月に舞う桜

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2010年02月04日(木) 安易なのか本気なのか

個性
1.個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質
2.個物または個体に特有な特徴あるいは性格

性質
1.もって生まれた気質。天性。資性。
2.物事が持っている特色
3.〔哲〕事物の本来固有するもので、それにより他の事物と種類を区別されるもの

(広辞苑より)
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うちの会社が、とうとう「障がいも個性」と言い出した。
あー、やだやだ。
私は、自分の障害を私の個性だと言われるのが大嫌いだ。冗談じゃない。
「個性」ってのは、「その人らしさ」のことだろう。
障害は、「私らしさ」じゃない。障害とは、引き受けざるを得ないものであり、いたしかたないものであり、そして明らかな「欠落」だ。「欠落」だけど、それで私の人間としての価値が下がるわけじゃない(もちろん、価値が上がるわけでもない)。
障害者であることは確かに私の属性の一つだし、障害が私の人格や生き方(つまり個性)に影響を及ぼしていることも事実だろう。だけど、決して「障害=個性」ではない。

口当たりと耳障りの良い言葉で、私の障害を変に美化したり、プラスのイメージを押し付けないでくれと思う。
人は、物事を美化すると、そこで思考がストップしてしまう。「障がいも個性」と簡単に片付けることで、いったい何から目をそらそうとしているの? 何をうやむやにしようとしているの?

こんなことを言っている私も、小学校6年のときに書いた小説では「障害は個性だって考えればいい」なんてことを主人公に語らせていた。
たぶん、何かの受け売りだ。でも、当時は本気でそう信じていたのだと思う。そう信じることで、自分を受け入れようとしていた。
考え方が変わった今でも、自分自身の障害を個性だと考えることで積極的に受け入れようとする人を、私は否定しない。それはそれでいい。それこそその人の生き方であり、「その人らしさ」だと思うから。
だけど、分別のある大人が、他人に対してその人の障害を個性だなんて安易に言うもんじゃない。

「障がい者」という表記や「障がいも個性」なんて言葉、いったい誰が言い始めたんだろう。
なんで、世の中はどんどん気持ち悪い方向へ向かっていくんだろう。

うちの会社は、真剣に考えた上で、この標語を決めたんだろうか。それとも、世の中のはやりに乗っただけなんだろうか。
去年、とあるイベント用の資料を作っているとき、「障害当事者として『障がい者』という表記は使いたくないので、今回の資料では『障害者』と表記させて下さい」と申し出たけれど、うちのグループ会社全体で決まっている方針なのでダメと言われた。
その方針も、何でそう決まったのかは誰も分からず。安易なのか、きちんとした理念あってのことなのか、怪しいもんだ。どこぞの障害者団体に意見されたから、というのも聞いたことがある。
難しいのは、そこなんだよね。
「障がい者」も「障がいも個性」も、障害者自身が言い始めたのなら、頑なに否定もしていられない。現に、好んで使う障害者は結構いるみたいだし。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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