月に舞う桜

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2009年09月08日(火) たぶん私には永遠のテーマ

軽い気持ちで相談したのに、話を大きくして勝手にあれこれ調べて、事を進めようとする人。そういう人に、イラッとする。
本人は親身になったつもりで、よかれと思ってやってくれているのだろう。それは分かるが、どうしても受け入れられないのだ。
「悪いこと」であれば、迷惑だからやめてほしいと言うことができる。でも、善意から発生した言動には、なかなか否とは言えない。だから、余計に苛々する。

あることを解決するためにAという方法を取ろうと思っているんだけど……と、私が相談したとする。すると、その人は別のBという方法が良いんじゃないかと提案してくれる。
そこまではいいのだ。ありがたいと思える。
が、私が「じゃあ、AとBのどちらにするか検討してみようかな」と思っている段階なのに、Bの具体的なやり方までどんどん調べて「これが良いと思うから、今度○○しようよ」なんて言われると、途端に感情が冷えてしまう。

私、まだ「じゃあBにするよ」とは言っていないし、「Bについて調べてもらえる?」と頼んでもいないよね?
しかも、最初に私が言ったAについては、完全に無視なんだよね(←ここが、私にとっては結構重要なポイント)。
そもそも、Bについて、それくらいのことは私だって調べられるし。

そんなに嫌なら、その人に相談しなければいいのだけど、その人に言わないことには進まない物事もあるわけで。

人の善意は、全てありがたく受け取らなければならないのだろうか。
たくさんの人のたくさんの善意がなければ、生きていかれない。
でも、ときどき過剰な「善意」に私という主体が脅かされ、窒息しそうになる。私の意思を蔑ろにされた気になってしまうのだ。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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