月に舞う桜

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2008年03月26日(水) ★X復活ライヴまであと2日★運命共同体でも、そうじゃなくても

XファンがXとファン、あるいはファン同士を「私たち、運命共同体だから」と言うのが嫌いだった。
あなたはそうかもしれないけど、私は違うよ、と思っていた。
「運命共同体」なんて言葉は、心中覚悟で一生添い遂げることを誓った伴侶くらいにしか、使えない。もちろん、みんな軽い気持ちでないことは分かっている。でも私には、どんなに彼らを愛していても、アーティストとファンの関係にその言葉を持ち出すのは違和感があった。ましてや、ファン同士なら尚更。
この先何十年の人生で、私がXを切り捨てることが「ありえない」とは言い切れない。「ありえない」と思っていても、言い切れないもの。

だけど、TOSHIが「Xとお前たちは運命共同体だからな!」と叫ぶとき、それは私の中で「本当」になる。
言葉って、そういうものだと思う。いつ誰が、どんな想いで発するか、だ。それで意味も重みも変わる。

X解散の原因を作ったのは、TOSHIだった。
そのあと、いろいろな騒動があって、嘘も真実も、嘘か真実か分からないことも、たくさん溢れていた。
受け入れられることと、受け入れられないこと、両方あった。
そして、私は時間をかけて、自分の気持ちの上でのスタンスを決めていった。
メジャーを降りて以降のTOSHIのソロ楽曲は、私の心にうまく響かなかった。だから聞かなくなったし、TOSHIの活動を無理に追いかけるのはやめた。やっぱり、「運命共同体」じゃなかった。
ファンというのは、そのアーティストの楽曲を愛していることが第一条件だろう。それならば、わたしは「ソロミュージシャンTOSHI」のファンではなくなったかもしれない。
でも、これからもTOSHIという人間を陰ながら応援したい、と思った。彼が、自分の歌いたい歌を表現したい方法で歌っていけますように、と。
道は違えても、ファンとは言えなくても、TOSHIはやはり大切な人だし幸せを祈りたい。

それから、どうか誰かの加害者になりませんように、と祈った。
自分の道を探りながら傷を癒して回復していく過程では、人を傷つけることもよくあるから。
傷ついた自分を自覚して、そこを乗り越えて自分を取り戻すには、人によっていろいろなやり方がある。私とTOSHIではその方法が違っていたのだろうな、と、事あるごとに思う。
でも、自分を解き放して、できるだけ自分が苦しくないように、自分が本当に幸せな生き方を選びたいのは、みんな同じだ。
だから、ただただ「幸せであれ」と願う。

中学2年のとき、『紅』で衝撃を受けた。自分の中の言いようのない怒りや絶望や悲しみや情熱が、弾けた。
私にとってXの曲は、大きなカタルシスだった。それは、広い意味での「癒し」だと思う。
私には、ヒーリング・ミュージックなんかより、Xの曲の方がはるかに強烈な、癒し以上の「癒し」だった。そしてそれは、TOSHIの声でなければ成立しない。
その歌が私に攻撃的な「癒し」をもたらしてくれていることを、TOSHIに伝わればいい、と思う。うん。
ちゃんと、そうだったよ、って。

もし今また、TOSHIが「10年経っても俺たちは運命共同体だからな!」と叫ぶなら、その瞬間にそれは「本当」になる。
私はいつだって、「運命共同体」なんて胡散臭い言葉に喜んで飛び込む準備はできているよ。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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