月に舞う桜
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仕事帰り、小学校時代の音楽の先生に会った。ものすごい偶然だ。先生は近くに住んでいるらしく、買い物帰りだった。 この先生は、ピアノも歌もうまかったので、私が知っている中では唯一「音楽の先生」として認めている人なのだ。小学校から高校を通して、ピアノがうまかった音楽の先生というのが他に思い当たらないので……それって、どうよ?
先生は、授業がとても熱心だったし、いろいろと工夫していた。それも、私が音楽の先生と認めている大きな理由のひとつだ。 毎学期末には、クラスの音楽会を開き、グループに分かれて好きな曲(教科書に載っているのでもアニメソングでも、何でもいい)を演奏したり歌ったりする。 6年生の最後の音楽会には担任を呼び、そこで担任は『乾杯』と『昴』を歌った。私たちの卒業を祝って歌ってくれたのだが、小学6年へ贈る曲としては選曲が渋すぎ。子供心に「昴かよっ!」と思っていた。ちなみに、この担任は、私が出会ってきた先生たちの中で一、二を争うほどの名物先生であり、恩師である。
音楽の先生の話に戻る。 毎回、授業を始める合図をピアノでするのだが、その合図は生徒の持ち回りとなっていた。皆に少しでもピアノに触れる機会を……との思いがあったようだ。 それから、ピアノを習っている子は、これまた持ち回りで授業の最初に1曲披露させてもらっていた。習いたてで簡単な曲を弾く子もいたし、かなりうまい子もいたけれど、先生はどんなレベルの子に対しても同じように、頑張って人前で弾いたことへの賞賛と拍手を送っていた。それで、私たちの間にも、ピアノを弾いた子への尊敬の念みたいなものが何となく沸き起こるのだった。 一番思い出に残っているのは、6年生のとき、ひとりひとりに作詞作曲をさせたことだ。どんなに短くてもどんなに単調な曲でもいいから、とにかく自分で1曲作るのだ。そして、最後の授業で先生が1曲ずつピアノで弾いて紹介してくれ、1学年全員の曲が1冊の本にまとめられて私たちに配られた。 とても時間のかかることだし、ひとりひとりに曲の作り方や楽譜の書き方を教えるのは労力の要ることだ。でも、授業というのはたぶん本来はそういうことだし、先生は「音を楽しむ」ことをきちんと教えてくれたのだと思う。
先生は、15年ぶりの私を見て「大きくなったわねぇ」と言った。小学6年が27歳になったのだから大きくなっているのは当たり前なのだが、先生の頭の中の私は今でも6年生のままだったのだろう。 私が大きくなったのと対照的に、先生は縦も横も縮んだように見えた。あの頃はショートカットだった髪は、無造作にうしろで結わいていた。教師らしかったきちんとした服装も、Tシャツとズボンになり、メイクもほとんどしていなかった。4年前に、教師を辞めたらしい。 もう「音楽の先生」ではなく、一人の主婦になって買い物袋を提げている先生を見て、私はほんの少し寂しいような気持ちになってしまった。 でも、時は経つものだ。もう、15年も経ったのだ。
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