月に舞う桜

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2007年07月13日(金) そんな「やさしさ」は要らない人と、傷つけるつもりなんてない人と

中学の卒業式でのこと。
ひとりひとり名前を呼ばれるのだが、私が呼ばれたときだけ、後ろの保護者席から大きな拍手が起こった。
それは、私にとって大変屈辱的な出来事だった。

人と話をしていて、「この人、私の中学の卒業式に居合わせたら、きっと拍手をしているタイプだな」と感じることがある。
最近、そんなふうに感じると戸惑ってしまうのだ。
もし、目の前の人が卒業式に出席して私に対してだけ拍手をしていたならば、それが全くの善意からだろうということが容易に想像できる。一対一で話していると、分かるのだ。
けれども、純粋な善意であることが分かっても、私が感じた屈辱が消えるわけではない。むしろ、善意だからこそ屈辱なのだ。

善意も本物。屈辱感も本物。
ならば、その間の大きな溝は、一体どうやって埋めればよいのだろう。
そう思って、私は途方に暮れる。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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