月に舞う桜
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まともに読んだこともなくてよく知りもしない小説を安易に批判するのはどうかと思うので今まで黙っていたけれど、実は私、『源氏物語』が嫌いなのだ。 歴史に残る名作と言われるだけあって、『源氏物語』に関する話はちょいちょい耳にするので内容は知っていたけれど、きちんと読んだのは高校の教科書に載っていた「桐壺」くらいだった。あとは、授業で東山紀之主演のドラマを見せられたことと、漫画『あさきゆめみし』を友達に借りてちょっと読んだだけだ。そういった断片的な情報から、イメージだけで何となく「私はあんまり好きじゃないな」と思っていた。 でも、これだけ語り継がれる小説なのだから私の好みに合う要素が本当はあるかもしれないし、それを知らないで遠ざけているならこんなにもったいないことはないので、瀬戸内寂聴の現代語訳を買ってみたのだった。教養の意味でも、一度きちんと読んでおいた方がいいだろうし。
が、しかし、やはり私には合わなかった。 イライラしながらも「桐壺」は最後まで頑張って読んだのだが、次の「帚木」でイライラを通り越して気持ち悪くなってしまい、あっけなくリタイア。
以下、悪口になりますんで、『源氏物語』がお好きな方はお戻りください。不用意に読んでしまってご気分を害されても責任は負いません。
たぶん、内容は昼メロと似たようなものなのに、それをやけに雅な雰囲気に仕立てているのが性に合わないのだ。 美しくないものを美しいもののように描いているところが、一番癇に障るところなんである。 もし、もっと醜い感じに書かれているのであれば、同じ内容でも私はもっと楽しめたかもしれない。あるいは、「これは恋愛小説ではなくて、ポルノ小説です」と言って渡されたなら。 でも、それじゃあ後世に残る「大作」にはならないだろうから、結局私の目に触れないわけで。 正直なところ、これなら韓国映画『スキャンダル』の方がマシだったな、と真っ先に思った。 だいたい、愛だとか恋だとか母の面影だとか言ったって、結局は女とやりたいだけじゃねぇか、と。 いくら高貴で類稀なる養子でも、やっていいことと悪いことがあるわけで。ま、エディプスコンプレクスを乗り越えられず、女とやりたいだけの、女と見るや節操なく手を出す男が主人公の小説というのは、別にそれはそれで構わない。構わないんだけれど、これでもかと源氏の美しさを強調されればされるほど、引いてしまうんである。 源氏の魅力を微塵も感じ取れない私は、女として、あるいは小説の読み手・書き手としてダメなんでせうか。
瀬戸内寂聴はあとがきで、
「作者は紫式部一人ではなく、複数かもしれないという説もあるのは、これだけの壮大華麗な傑作が、到底一女性の手で書ける筈がなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない」(『源氏物語 巻一』講談社文庫)
と書いているけれど、私はむしろ作者が男性であってくれと願わずにはいられない。 悪趣味なものを長々と、しかも美しさを装って女性が書いたのかと思うと、同じ女性としてはもうやってられんのである。
時代によって、恋愛観や男女観に大きな差があることは当然だ。きっと、そういう時代の差を越えたところに、『源氏物語』の「良さ」があるんだろう。 でも、残念ながら私は恋愛観や男女観を重視するので、その「良さ」は分からない。そこまで辿り着けない。 男が女を教育するって何!? アンタ、何様のつもり!? と思ってしまう人間には、あの壮大な物語を理解するのは無理なんでしょう。 ……理解しようという気もないんだが。
そんなわけで、教養がないと言われようと、私はもう『源氏物語』を読むことはないだろうと思う。 あー、『枕草子』が読みたいなぁ。 考えたら、随筆と小説でジャンルが違うんだし、比べられるのは清少納言も紫式部もお互い迷惑な話だよね。
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