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2001年09月30日(日) (fake 021 マスコミに出た真光)

スコミに出た真光



光記念館の真実(8)――紀宮への“手かざし” No: 5679 [返信][削除]

投稿者:崇教インサイダー 03/04/05 Sat 22:23:07
(崇教)真光誌 平成5年2月号 80-81頁
「紀宮様のご案内役を拝命」
岐阜県多治見小道場 加藤よね子

 昨年九月十七日、スメラミコト家の流れを汲む天皇陛下第一皇女、紀宮様が美濃路をご旅行の際、岐阜県多治見市の県陶磁資料館にお立ち寄りになられました。
 ご来館の一か月程前、宮内庁皇宮警察、侍従、報道陣等約二十名で、詳細にわたり打ち合わせがありましたが、この時ご案内役として、資料学芸員の私が選ばれたのです。
 県内には百館以上もの資料館、博物館、美術館等がある中、当資料館が選ばれたお仕組み、そして私をご案内役として抜擢頂いた光栄は、夢のようでもあり、それだけにまた責任の重さを痛感いたしました。
 私は、四年前資料館が新装されてからは、出勤すると欠かさず館内のお浄めをしています。そして数多くの方々が来館される中、手かざしと真吼えを機会を見つけてはさせて頂いております。
 平成二年十月、中国友好使節団一行が来館された時には、その一人が突然腹痛を起こし、私は、お浄めをしながらご案内させて頂きました。十分後にはすっかり良くなるという神様の御守護を頂きました。
 バスや旅行の疲れで、急に苦しむ方もおります。手かざしで楽になり、「これは何ですか」と尋ねられ、真吼えをさせて頂くこともしばしばです。
 このように日々御守護、奇跡を賜っている資料館に、宮様がご来館されることが決定してからというもの、私は、資料館内外、お部屋、お通りになられる道筋、さらにはご使用になる食器、口にされるお菓子にも、念入りに手かざしをさせて頂きました。
 もし私が組み手でなかったら、何ができるのでしょう。組み手であることの喜びに、安心と感謝が溢れて参ります。
 当日、宮様をお迎えさせて頂き、私は後ろよりそっと手をかざしながら、約一時間ご案内をさせて頂きました。終始なごやかに、楽しい会話も交え、普段よりもかえって自然な雰囲気の中でご案内ができ、感激も一入(ひとしお)でした。
 宮様はお喜び頂いたご様子で、無事帰途につかれ、私のご案内の大役もつつがなく終了させて頂きました。
 実はこの日の朝、私は、家を出るまでの間、下痢の清浄化を頂いておりました。また、いつになく目もかすんでいます。ところがご案内の時には、目も体もスッキリとしているでありませんか。
 神様は、クリーニングをして下さってから、ご案内というみ仕組みを下さったのです。曇り深い私にも拘らず、数々の御守護、御導きを賜りました。
 今後共、神様のみ意に添う御神業をさせて頂けますよう、精一杯精進努力させて頂く決意でございます。
 主の大御神様、救い主様、教え主様、真にまことに有難うございました。
写真:紀宮さま(左)にご説明をする加藤さん(右)

(解説) 財団法人・岐阜県陶磁資料館に来館した皇族に、本人の承諾なくこっそり手かざしをするのは問題があるといわざるをえない。このような記事を平然と機関誌に載せるという教団の姿勢は問題であり、県登録博物館の開設者としての適正を疑うものである。もし光記念館に皇族が来館するようなことがあれば、後ろからこっそり手かざししますぞと公言しているようなものだ。(なお、掲載写真は館内案内中の光景だが、別に後ろから手かざしをやっているわけではない。)





フランスにおける崇教真光(1) No: 3165 [返信][削除]

投稿者: 02/12/15 Sun 21:35:22
カルト宗教のトラブル対策 2000.5.20初版
山口広、中村周而、平田広志、紀藤正樹。 教育史料出版会

82-86頁
1995年12月議会報告の内容
 127頁の冊子は、まずセクトの実情の分析、次にその危険性の分析、最後にとられるべき対策について述べている。以下とくにことわらない限り、報告書の内容をそのまま記述したものである。
<報告書の要旨>
〔序文〕
 序文は1993年4月米テキサスのブランチ・ダビディアン事件の88名の死亡、94年10月カナダ、スイスの太陽寺院事件の53名の死亡、95年3月東京のオウム真理教毒ガス事件の死者5名(原文ママ)、負傷者5,000名の事件、さらに78年ガイアナ人民寺院事件の923名の死亡にふれ、セクトはなお狡猾な活動を続けていると述べたうえで、次のとうり言う。
 「期待に応えてくれると錯覚し聞き入ってしまうような説教の、見せかけの宗教性に惹きつけられやすい現代人を、このセクトのなかに落としめるものは、我々の社会の動きそのものである」
 調査委員会はさまざまな立場でセクト現象について深い知識をもつ人たち、たとえばセクト教団の運営責任者、医者、法律家、教会(カトリック教会)関係者、セクトの犠牲者を救済する団体の代表者、そして当然セクトの元信者、指導者などから情報、経験談、分析などを得た。
 また、委員会は社会問題担当省、外務省、パリ警察庁、そしてとくに内務省(総合情報局本部)から力添えを得た。しかし、経済・財務省、司法省からは見るべき情報はなかった。
〔第1章 セクトの現状について〕
1. 定義が困難な現象・セクト
 セクトとは何か。これを定義づけるのは困難であり、法律のどこにも手がかりはない。だからといって、信教の自由を侵す危険をおかしてまで強いてセクトの定義をするか、それとも定義づけは不可能だとして作業を放棄するか、いずれもとるべきではない。委員会は事実に基づいてセクトと一般に言われている組織の現象を分析し、その特徴を引き出す努力をした。
 そもそもフランスは政教分離制度(著者注:国は宗教に無関心であるべきというもの)をとっており、宗教の法的定義もしていない。法律上キリスト教とセクトを区別することは不可能である。
 委員会はセクトの語源、社会学的分析、危険性に基づく分析などにコメントしつつ、結局以下の基準(内務省のセクト現象分析でも用いられているもの)を採用することにした。
「1」 精神の不安定化をもたらすか
「2」 法外な金銭的要求をするか
「3」 生まれ育った環境との断絶を教唆するか
「4」 健全な身体の損傷をもたらすか
「5」 自動徴用(子どもをかり集めて、グループ化)するか
「6」 多少を問わず反社会的な説教をするか
「7」 公共秩序の攪乱をもたらすか
「8」 多くの裁判沙汰を起こしているか
「9」 通常の経済流通活動からの逸脱傾向があるか
「10」 行政当局への浸透を企てているか

 委員会は、その団体が新しい、信者数が少ない、奇抜だということをもって、セクトとみなす基準にはできない、と考える。現在大宗教と言われるものでも初期においてはおおむね信者数の限られた団体にすぎなかったし、現在社会的に受容されている宗教儀式が、当初は警戒心や反対を呼び起こしたこともあり得るからである。
 
2. セクト活動の現状
 セクトの実情を把握することは極めて困難である。そもそもセクトとは何か。どの範囲をセクトの信者と認めるのか。たんなる講演会の参加者もメンバーと同一視してよいのか。信者とシンパ層を区別できるのか。
 そこで、委員会は、内務省からの情報とセクト問題の専門家からの情報をまとめてそのまま掲載している。
(1) 内務省の情報
 前述したセクトの判断基準に一つでも該当するとして内務省が列挙したセクトは172ある。支部組織を含めると800以上にのぼる。報告書はこれを地域別に分析した。セクトの信者は約16万人、シンパは約10万人と推計している。しかしその多くが500人以下の集団であり、セクト的現象が集中的に見られるのは約40の団体である。
 委員会は50名以下、500名以下、2,000名以下、1万人以下、それ以上の5グループに分けて、内務省情報に基づいて具体的な団体名をあげている。
 50名以下の団体としては、幸福の科学、フランス神慈秀明会のほか、ランドマーク教育インターナショナル・フォーラムやフランスの騎士と三位一体の会など合計47団体の名が列挙されている。
 500名以下の団体としては、霊友会、崇教真光、世界基督教統一神霊協会(統一教会)、クリシェナ意識協会フランス同盟、OSHO情報センター、愛の家族(旧・神の子どもたち)など日本になじみのある団体を含め、マリーの方舟、グノーシス研究センター、ナザレの家族、曼荼羅33、テモテ伝道団など合計80団体の名があげられている。
 2,000名以下の団体としては、23の名があがっている。アントワーヌ派、ヨハネの家、眼が開く、キリスト者生活センターなどであるが、日本になじみのある名はない。
 1万名以下の団体には、パリサイエントロジー教会、フランスラエリアンムーブメント、フランス創価学会インターナショナルのほか、サクレクール兄弟姉妹共同体、フランス新使徒教会など12の名があがっている。
 1万人以上の団体には、エホバの証人があげられ、信者は13万人と推定されるている。
 内務省情報によると、1982年に比べ、1995年にはセクトの信者数は10万人から16万人に、シンパ数も5万人から10万人に増えている。とくにエホバの証人の信者が7万5,000人から13万人に増えたのが目立つ。
(2) 専門家の分析
 フランスではセクト対策の民間ボランティア団体として、UNADFI(家族と個人を守る会、全国連合)とCCMC(マインドコントロール対策資料収集教育活動センター)の二つが活動している。
 UNADFIは1974年に設立され、20の地方団体をまとめている。CCMCは1981年に息子をセクトの犠牲で失ったロジェ・イコールの提唱で設立された。そのほか医者、大学関係者、キリスト教会、ジャーナリストなどさまざまな分野の人がセクト問題に取り組んでいる。
 UNADFIは、委員会に対し、重大性のあるセクトは200ないし300あり、全国で約50万人が直接間接にセクトとかかわりをもっていると述べている。
 たとえば、UNADFIのパリ本部(ADFI)とその関連グループの事務所が受けた電話相談の数が紹介されている。

             1990年 1994年
サイトエントロジー    829 414
エホバの証人       215 236
創価学会           50 105
統一協会           102 41
ラエリアンムーブメント    40 110
超越瞑想            34 36

(解説)
 崇教真光は、上記「1」-「10」のどれか一つ以上にあてはまると、フランス政府からお墨付きを得たわけだ。次に紹介される天理教や清明教は、そのような認定を受けていない。やはり、崇教の活動内容に問題があると言わざるをえない。
 また、この書籍は、全国の公立図書館や大学図書館に収蔵されている。
 岐阜県内の公立図書館:岐阜県立、可児、海津、池田
  www.library.pref.gifu.jp/oudan.htm
 全国の大学図書館:http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA47317820
 この事実からいって、崇教真光の活動実態に問題点があるといえる。県登録物館の開設者として、不適当である。
 なお、真実BBS・No.1861にて源伸氏は以下のように述べているが、私は不適当発言と考える。
 <またフランスの調査や情報を壊れたテープレコーダのように繰り返される方は
 <「オルヴォアール、ムッシュ。アビエントー、ア・パリ」でしょうか。
 <貴方は日本人でしょう。しっかりして下さい。


(保存版作者、○付き数字を「」付きに変更)

No.460:  [2002年12月14日(土) PM 10:02 ] 週刊新潮1981年10月15日号 22頁
『宗教法人』に課税を>もう“聖域”の時代ではない
 今、世の中で一番もうかる商売は、「三大脅迫産業」だそうである。
 すなわち、「来院しなければ病気は治りませんよ」という“医療産業”。「通わねば勉強ができなくなります」と脅す“学校産業”。そして、「信じぬ者は地獄に落ちる」と宣(のたま)う“宗教産業”――。
 とりわけ、“宗教産業”の羽振りのよさは比類のないほど。
 つい最近も、国が補助金を出していた、岐阜の舟山高原自然休養村の一部が売却され、町があわてて買い戻す事件があったが、一億円以上の金をポンと出して買収したのは、地元の宗教法人『崇教真光教団』
現在、三百億円かけて高山市内に本山を建設中という。
 「三大脅迫産業」がもうかるのは、社会に利益をもたらす「公益法人」として税制面で優遇されているからである。
 「宗教法人」は宗教法人法によって保護され、宗教上の事業は無税。また、宗教法人の金もうけである「収益事業」にかけられる税金は二五%。しかも、三十%控除されるので、実質は17.5%にすぎない。
これに対し、一般法人の税率は42%。つまり、同じ“商売”をしても、宗教法人を名乗るだけで税金は半分以下になってしまう。
 そのうえ、宗教事業と収益事業の区別がきわめてあいまい。そのため、創価学会は全国十六ヵ所に豪勢な”研修道場”を持っているが、実態が会員の物見遊山の施設であっても、宗教法人を名乗るがゆえに、これらの不動産は無税になっている。




崇教2代教え主代理 No: 1969 [返信][削除]

投稿者: 02/11/03 Sun 21:03:16
2代教え主代理に、岡田晃祀師−−崇教真光
2002.11.01 毎日新聞地方版/愛知 14頁

 岐阜県高山市に世界総本山がある崇教真光の2代教え主代理に、教え主補佐の岡田晃祀(こうし)師(55)が決まった。岡田師は64年に同教団の神組み手(信者)になり、70年に幹部。93年に現教え主・岡田恵珠師の養子となり、企画室課長、同室長などを歴任後、02年から教え主補佐を務めていた。晃祀師は3日から同本山で始まる秋季大祭で御祭りを執り行う。

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崇教真光誌2002年11月号より No: 2516 [返信][削除]

投稿者: 02/11/21 Thu 21:44:54
[1] 30頁 「教え主様お代理御礼言上」
(誤) あまりにも大きな御神名ゆえに、私は何度か躊躇し、
(正) あまりにも大きな御神命ゆえに、私は何度か躊躇し、
 巻頭カラー写真をみればわかるように、岡田晃祀師が恵珠師より拝受したのは「御神命」である。あまりにも大きな字の誤りゆえに、崇教の組み手はあきれているのが現状だ。嘘八百の文章を書こうとするから、こういうところでボロがでるのだ。岡田プリンスはデビューからして、つまづいている。

[2] 41頁  岡田晃祀(こうし) 略歴
1947(昭和22)年10月  東京都渋谷区に生まれる
1964(昭和39)年7月 神組み手となる
1967(昭和42)年4月   真光隊創設に参加し、東京青年隊隊長
1970(昭和45)年3月   國學院大學卒業(文学部史学科神道考古学専攻)
1970(昭和45)年3月   第一期幹部候補生
1970(昭和45)年11月  導士任用・上野大道場付
1971(昭和46)年 夏 宇尾好部長と共にボーイスカウト、世界ジャンボリー大会に参加
1972(昭和47)年6月   大阪中道場付
1972(昭和47)年12月  枚方中道場付
1974(昭和49)年5月   訓練教学部教官
1976(昭和51)年4月   企画室課長
1981(昭和56)年10月  マヤ文明研究家三浦鴻氏と共に中南米遺跡調査
1984(昭和59)年4月   企画室長補佐兼奉斎部長補佐
1986(昭和61)年5月   教え主様中南米御巡光に随行
1990(平成2)年9月   バチカン法王庁にてローマ法王に謁見
1993(平成5)年5月   教え主様欧州御巡光に随行
1993(平成5)年9月   山崎きみ代と結婚。同年、岡田家に入籍
1994(平成6)年3月   企画室長
2000(平成12)年2月   元み魂座統理
2000(平成12)年9月   教え主様豪州御巡光に随行
2002(平成14)年2月   教え主補佐
2002(平成14)年6月   特級研修終了
2002(平成14)年10月  二代教え主代理

(解説)
1) 二代教え主の経歴は、生年月日等を含め、全く公表しなかったのに、次期後継者の経歴は初代のようにきっちりと公表した。
2) 「神道考古学」専攻とは驚いた。光記念館に展示された教団史は捏造であり、石器の捏造と同次元である。神道考古学や博物館法に反する内容である。
3) 今まで「崇教真光」誌には全くといっていいほど、西暦は使われていなかった。教団の小冊子には西暦が使われたこともあったが、月刊誌には使われたことがほとんど記憶にない。「大聖主」に書かれてある初代の経歴にも、西暦は全く使われていない。その西暦が、今回次期後継者の経歴発表にあたり使用されるとは、ひとつの変化の始まりであろうか。




524 名前: 投稿日:2002/12/15(日) 18:19
東名高速で玉つき交通事故、福岡県の3人死亡 静岡

1992.12.07 西日本新聞 朝刊 23頁 19版23面4段

 六日午前五時ごろ、静岡県小笠郡菊川町牛渕の東名高速道路上り線で、兵庫県川西市西多田字西峠、運転手坂東利朗さん(25)のトラックが横浜市戸塚区戸塚、同平川紀夫さん(48)の大型トレーラーに追突。
十五分後、走行車線に停車していたトラックに福岡県久留米市東町、農協職員森山謙二さん(33)のワゴン車が衝突した。
 この事故でワゴン車に乗っていた八人のうち、同市通町、化粧品卸商那須サユルさん(62)、同市大善寺町黒田、会社員古賀捷慧(としえ)さん(56)、福岡県八女市大字蒲原、同西清子さん(48)の三人が頭などを打ち死亡。
同県久留米市白山町、運転手北村国勝さん(51)が内臓破裂の重傷など、四人が重軽傷。
トラックの二人も軽いけがで、計九人が死傷した。
 静岡県警高速隊の調べでは、森山さんが時速約百キロで走行中、車線上に停車しているトラックに気付くのが遅れたらしい。同隊は森山さんのけがの回復を待って業務上過失致死傷の疑いで事情を聴く。
 森山さんら八人はいずれも世界真光文明教団久留米支部の信者。五日夜に支部の手配したワゴン車で久留米を出発、六日昼に中伊豆町で開かれた教団の大祭に向かう途中だった。
 他の重軽傷者は次の通り。(関係分、敬称略)
 【重傷】▽東田豊子(59)=福岡県久留米市梅満町【軽傷】▽森山謙二(33)=同市東町▽森山セノ子(61)=同市安武町安武本


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