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2001年07月29日(日) |
(fake 019 政治家と真光) |
崇教真光と悪徳国会議員(4) 小山孝雄(d) No: 2368 [返信][削除]
投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:05:02 2002.09.06 News 小山元議員に懲役1年10月判決:東京地裁 KSD側への依頼認定
ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)側から請託を受け、国会質問の見返りなどに約三千百六十万円のわいろを受け取ったとして、受託収賄罪に問われた元参院議員小山孝雄被告(58)に対し、東京地裁は六日、懲役一年十月、追徴金約三千百六十万円(求刑懲役三年、追徴金約三千百六十万円)の判決を言い渡した。 川口宰護裁判長は判決理由で「高度の倫理性、廉潔性を求められる国会議員でありながら犯行に及んでおり、国民への背信性の極めて高い行為」と指摘。「自ら贈賄側に資金提供を依頼し犯行を重ねるなど規範意識のまひは著しく、職責への自覚の欠如も甚だしい」と厳しく批判した。 弁護側は請託の有無を争い「単純収賄しか成立しない」と主張したが、川口裁判長は請託を認めたKSDの古関忠男前理事長(81)の供述について「関係者の証言とも合い信用できる」とし、退けた。 その上で「議員辞職し謹慎生活を送っているなどの有利な情状を考慮しても、刑の執行を猶予するのは相当ではない」と述べた。 小山被告は公判でわいろの授受を認め「国民の政治不信を招いたことは、ざんきに堪えない」と謝罪していた。 一連のKSD事件では計七人が起訴され、受託収賄罪に問われた元労相村上正邦被告(70)が無罪を主張し公判中。贈賄側の中心とされた古関前理事長ら四人の有罪が確定している。 判決によると、小山被告は古関前理事長から、参院労働委員会で外国人実習生の滞在期間延長などKSDの事業に有利な質問をするよう請託を受け、一九九六年十月に二千万円を受け取った。さらに労働政務次官在任中にKSDが設置を目指した「ものつくり大学」事業への補助金増額を依頼され、九九年から翌年にかけて秘書給与約千百六十万円の肩代わりを受けた。 小山被告は山形県出身。村上被告の秘書を経て九五年の参院選(比例代表)で当選、九八年七月−九九年十月に労働政務次官を務めたが昨年一月、東京地検特捜部に逮捕され、議員辞職した。(共同通信)
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投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:05:43 崇教真光二十六周年秋季大祭(宇尾好委員長) 「真光」誌(崇教) 279号(1985年12月) 41-42頁 お祝辞 十月十三日 「救い主様、教え主様のみ意顕現」 参議院議員 防衛政務次官 村上正邦
私は今日この荘厳なる秋季大祭二十六周年を記念いたしましての式典に参列させていただきましたことを心より御礼申し上げます。真に有難うございます。 私がこの真光様とのご縁をいただきましたのは、今日私がお供して参りました、明治神宮の権宮司と申しますよりも、日本を守る会の事務総長であられます副島先生の導きでございました。 ある会合の席で、「村上さん岐阜の高山にぜひ一度行ってらっしゃいよ。あそこには天地創造の神様をお祀り申し上げる大変な御神殿が建立されたんだよ。そしてまた教え主様がとっても魅力的なすばらしいお方だから、参拝をお願いし、そしてお目通りをお願いしたらよろしいよ」と、そうしたご案内を副島先生にいただきました。 ぜひ早い機会に参拝をしたいなあ、と思っておりました。その念願がかないまして、六月十日わざわざ、副島先生が明治神宮の総務部長をなさっておられます外山さんに、私の案内役をしていただきまして参ったわけでございます。 そして、私は忘れることもできません、教え主様の本当に終始にこやかでご慈愛深いご尊顔で、心温まるご接待を賜りましたこと、本当に有り難うございました。心うたれる思いでございました。心洗われる思いでございました。本当に高いところでございますけれども、心から御礼を申し上げます。有り難うございます。 思いますれば、救い主様が「今の日本はダメになってしまう。物質万能、日本人の心はいったいどこにいったのか。いまこそ神仏を信ずる宗教者が団結しなければならない」と申されて、日本を守る会を創立なさいました代表発起人でいらっしゃいました。この創立には本当に心を尽くしてくださいました。 私は当時国会議員ではございませんでしたが、この日本を守る会の国事対策局長を命じられまして、私も救い主様のお心の万分の一でもと思いまして、一生懸命お手伝いをさせていただきました。 そうしたご縁もございまして、救い主様、教え主様の下で活き活きと、伸び伸びと、幸せをかみしめてその日その日、毎日毎日を送っていらっしゃる世界の国々から沢山ご列席なされておられる皆様とお目にかかれたのだなあと、そのご縁に今沁々と感謝を申し上げさせていただいておるところでございます。 お話をうけたまわれば、今年は陛下ご在位六十年の大祭を十一月の十三日武道館で日本を守る会が主催をいたしまして、開くことになっておりますが、そのご在位六十年のみ祭りにも沢山今日ご列席の皆様方が来てくださるということをお聞き申し上げております。 今も皆さんと一緒に神の国、天意顕現のというお祈りの言葉がございました。あのどう猛な狼とあの優しい仔羊が共に草をはむ、地上天国、神の国を顕現するために、私も皆さんと一緒に力を合わせて今後、働かせていただきたいと決意を述べさせていただきます。 教え主様、真に有り難うございました。
朝日新聞 1986.07.30 東京朝刊 2頁 2総 動静(29日) 中曽根首相【午前】9時20分、公邸に岡田恵珠・崇教真光教え主、村上正邦参院議員。 10時8分、官邸。11時2分、民放テレビのインタビュー番組
毎日・読売新聞にも同じ記事の記載があったことを確認している。(公立図書館で閲覧可能である。)
(解説) 故玉置和郎参院議員の秘書だった村上正邦は、昭和55年に生長の家の全面的支援を受けて参議院比例代表区に初当選し、中曽根派に所属した。同時に、生長の家の職員だった小山孝雄は村上の公設秘書となった。ところが昭和58年の参院選で生長の家推薦候補が比例名簿の下位となり落選してしまった。このため「生長の家政治連合」は解散し、生長の家は政治活動から撤退することを決定した。バックを失った村上は、KSDや崇教真光への接近を図ったわけである。 昭和61年の衆参同日選挙で村上は2選を果たしたが、崇教真光は相当協力したようで、恵珠師と中曽根総理との面会が選挙後に実現した。トップ秘書の小山が、おそらく村上の鞄持ちとして公邸に同行しただろうということは、容易に想像できる。 なお、「日本を守る会」は「日本を守る国民会議」と統合し、平成9年5月30日に「日本会議」となった。 http://www.nipponkaigi.org/
「日本会議」を応援する「日本会議国会議員懇談会」設立時の役員は次の通り(「日本の息吹」七月号より) (平成9年5月29日設立、加盟議員204名) 会長 島村宜伸(衆議院議員) 発起人衆議院 小渕恵三 葉梨信行 森喜朗 中尾栄一 綿貫民輔 中山太郎 谷川和穂 (以上、自由民主党) 小沢辰男(新進党) 奥田敬和(太陽党) 発起人参議院 井上裕 村上正邦 倉田寛之 上杉光弘 鎌田要人(以上、自由民主党) 永野茂門(新進党) (http://www1.jca.apc.org/aml/9807/9176.html)
正論98年9月号参照
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投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:06:23 崇教真光三十二周年秋季大祭(朝熊俊文委員長) 「真光」誌(崇教) 1991年12月号 23-24頁 お祝辞 「神のみ声を聞く」 自由民主党総裁 宮沢喜一 自由民主党参議院議員 村上正邦
私、この大祭にお参りに参上いたします時に自由民主党総裁・宮沢喜一より、メッセージを頂いてまいりましたので、代読をさせて頂きます。 (中略) 教え主様、真におめでとうございます。 この機会をお借り致しまして、私事ではございますが、一言お礼を申し述べさせて頂きますことをお許し願います。 教え主様のお蔭をもちまして私は、この八月に参議院自由民主党国会対策委員長に就任させて頂きました。来年三期目の改選を迎えるものでございますが、二期途中での参議院国会対策委員長就任は、参議院自民党はじまって以来のことであるとの光栄をかみしめながら、与野党逆転の参議院にあって政権政党としての筋を通し、参議院の良識と叡智をもって国家国民のために全身全霊を尽くしてまいりたいと決意を新たに致しております。 来年の参議院選挙比例代表区において教え主様の御推薦を頂いておりますことに改めて心から、感謝申し上げます。教え主様の御愛念にお応えすべく、御教示の愛和の世界、神人一体、神人合作の世造り人造りを国政の場において、自らの心を清め魂を鍛えて、誠心誠意尽くしてまいります。 神組み手の皆様の御支援を心からお願い申し上げ、御礼のご挨拶にかえさせて頂きます。有り難うございました。
(解説) この年の秋季大祭の時点では、宮沢喜一は自民党総裁となったばかりで、まだ首相には就任していなかった。翌1992年の参院選で村上は三選を果たし、労働大臣に就任した。小山は労働大臣政務秘書官となった。
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投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:07:07 「真光」(崇教) 平成5年12月号 ご祝辞:「神組み手の愛と真の実践に感動」参議院議員 村上正邦
今日の我が国は、正に神鍛えの場におかれていると思います。そしてまた私共が身を置く政治も、神の大いなる試練を頂いている時であると思います。 この時にあたり、政治に携わる私共は心を空しくして神の声を聞かなければなりません。そして政治に必ずみ光が射すことを信じて下さり、御指導御教導賜っております教え主様はじめ、神組み手の皆様のお力を頂いて、この大いなる試練を乗り越えて我が国の発展の為に全力を尽くしてまいる決意を新たに致しております。
尚、私事でございますが昨年の十二月、教え主様はじめ皆様の御指導御支援のお蔭をもちまして、労働大臣に就任させて頂き、この八月迄その職責を全うさせて頂きました。 その間、この地上に生を受けた一人一人が、その天分を生かし一人の失業者もなく病む者もなく、乏しき者もなく、住む人悉く喜びに満ち充ちた地上天国を実現できるよう、政治の究極の目的を達成する為に、国務大臣の立場にあって微力を尽くさせて頂きました。
教え主様にはこの四月、総理主催の観桜会においで頂いた折、労働大臣として国家国民の為に全力を尽くすよう御激励を頂きました。更に富田局長をはじめ、東京都内の幹部の皆様がわざわざ大臣室まで足をお運び頂き、激励して下さいました。どんなに勇気付けられたことでしょう。真に有難うございました。 大臣在任中に、是非一度この高山に参りまして、世界総本山にお参りさせて頂きたいと存じておりましたが、ご承知の通りの事情で、それも叶わないままとなりましたが、ここに在任中に御守護賜りました、主の大御神様、救い主様に、そして教え主様に、厚く感謝御礼を申し上げます。
今、全国各地の神組み手の皆様は、教え主様の御指導により、光の人となって人を救い、世を浄める為に身を挺しておられます。 つい先日、私が身体に不調を来たしました時に、東京都内の道場長をはじめ神組み手の皆様が議員宿舎に私を訪ねて下さり、お浄めをして下さいました。 またお誘いを受け、私自身道場にお伺いしお浄めを賜わりました。また、この大祭より帰りましても、五日には政界の再編に大きな影響力を持つ先輩の衆議院議員御夫妻共々にお浄めを頂く予定になっております。(部分抜粋)
(解説) この年の秋季大祭は、選挙とは無関係な年であった。おそらく、労働大臣の任務を無事終えた挨拶と、選挙に立候補を予定している「秘書の小山をよろしく」という意味合いがあったのだろう。
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投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:07:43 「真光」平成9年12月号 26-28頁 お祝辞 み教えを心として 参議院 自由民主党幹事長 村上正邦
教え主様、本日は御立教三十八周年真におめでとうございます。 主の大御神様、救い主様の御守護、御加護、教え主様の御指導に心から感謝申し上げ、お祝い申し上げます。
教え主様、先の国会では、夫婦別姓問題や臓器移植法のことで大変ご心配をお掛け致しました。御教示の通り、社会秩序の基本は家族でございます。教え主様は、『選択的夫婦別姓制度はわが国の家族のあり方を根本的に崩壊させ、やがては社会の崩壊、国家の解体にまで行き着くことになる』と反対されました。私どもは、御指示を体して各方面で夫婦別姓制度に反対する論陣をはり、自民党の党内議論で法務省が準備してきた法案は、国会に提出する前の段階で断念させることが出来ました。
もう一つの臓器移植法でございますが、衆議院が可決し、参議院に送られてきた原案は「全ての脳死は、人の死」と定義付けるものでございました。教え主様始め心ある宗教界の多くの指導者の方々が、この法律に反対を表明されました。私ども参議院は、宗教界を始め各界各層の御提言を受けて慎重に論議を進め、臓器提供者に限って脳死を人の死と認めるという大幅な修正を行ったのでございます。これによって、人の死は心臓死と脳死の二つの死が存在することになりましたが、生命倫理の観点からも問題があり、また国民的合意も出来ていない脳死は人の死という考え方を、この法律で国民に強制するという大きな間違いだけはかろうじて避けることが出来ました。百パーセントご満足いただける内容ではございませんが、一方で、本人が承諾し家族も同意した場合には、臓器移植の道を拓いてあげなければならないという、現実的対応を求められる政治の場としては、ぎりぎりの選択でございました。
七月度の月始祭の御教示で、教え主様は次のようにお示しになられました。『真に浅薄な法律的判断により、将来、”生命の尊厳”を歪めることのないよう切に為政者に対して望みたいと思います』 私は、このお言葉「生命の尊厳とは何か」「人間は物質にあらず、肉体にあらず、脳髄細胞にあらず、神経細胞にあらず、人間は霊なり、生命なり、人間は神よりいでたる光なり」このことをしっかり踏まえて行くことこそ、生命の尊厳・生命の尊重の基本であるとサトらせて頂いたのであります。(以下省略)
(解説) 崇教真光は平成9年8月、各拠点の月並祭の席上において、村上正邦参議院議員を比例候補に推薦するための署名を信者に指示し、集めた署名を自民党本部に提出した。そして、村上議員は同年11月の崇教真光秋季大祭に来賓として出席し、スピーチをおこなった。翌年村上は4選を果たし、小山は労働政務次官となった。 平成13年初めに両議員が逮捕されたが、崇教は信者に対しこの問題で全く謝罪しなかった。全く、この教団の幹部は何を考えているのか分からない。悪徳国会議員との黒い関係を、信徒にたいし「ス直」に「心の下座」でもって「お詫び」せよ!。逮捕時は、ちょうど崇教は「陽光子の三大徳目」なる単行本を一生懸命買わせていたが、はっきりいってインチキだね。教団は「崇教真光」誌に謝罪文を掲載せよ!(私も両議員に署名した) 村上は神道政治連盟議員懇談会幹事長で、夫婦別姓に強く反対していた。彼の逮捕後自民党内で、夫婦別姓支持派が意見を言いやすくなったそうである。 なお、崇教真光発行の月刊誌名は、平成9年12月までは「真光」だったが、平成10年1月より「崇教真光」に変更された。世界真光文明教団発行の「月刊真光」との混同を避けるためである。
-------------------------------------------------------------------------------- 崇教真光と悪徳国会議員(9):藤波孝生 No: 2373 [返信][削除]
投稿者:内部告発者X 02/11/17 Sun 19:10:03 「大聖主」(崇教昭和58年初版)263-264頁 「今こそ求められる救い主様への霊智」 衆議院議員 藤波孝生
初代教え主様は、ご立教後全国をお歩きになられ、現代文明の改革と、世界の中で日本は大きな役割を果たさねばならない使命のあることをお説きになられました。 丁度その折、私は三重県の伊勢市におきまして、はじめて初代教え主様とお会いしたのでした。当時、一介の田舎の青年であった私は、熱情のこもった、身に余るご指導を賜り、身も心も奮い立ったのを覚えております。その時の、慈愛に満ちたお顔、優しいお言葉、いろいろなみ教えが、今でも懐かしくよみがえって参ります。(部分抜粋)
「真光」平成8年12月号 32-34頁 お祝辞(十一月五日) 盤石の構えを持って救世へ! 衆議院議員 藤波孝生 (内容は省略)
「真光」平成9年12月号 32-34頁 お祝辞(十一月八日) 二十一世紀を開く崇教真光 衆議院議員 藤波孝生
全く個人的なことになりますけれども、私は非常に恵まれた中でご指導を受けて参りました。御立教当時の昭和三十年代に救い主様はよく三重県の伊勢へお越しになり、大勢の仲間に親しくご指導を下さいました。その時、大きなお身体で優しいお目元でご懇篤なご指導を頂いたことを、非常に懐かしく思いおこしております。 また、中曽根内閣の時代には、教え主様が総理大臣官邸にわざわざ足をお運び下さり、「お国のためにしっかり働いて下さい」というお励ましを頂きましたことなどを思いおこしまして、こうやって飛騨の高山神徒の町に世界総本山を構え、いよいよ崇教真光が大きく発展しようとしております姿を拝見いたしますことに感慨無量のものをおぼえておるところでございます。(部分抜粋)
(解説) 藤波孝生は、リクルート事件で受託収賄罪に問われ、1999年10月21日に最高裁で有罪が確定した。こんな人間を来賓に呼んでくる奴の気が知れない。また、86年7月29日に岡田恵珠師は村上正邦参院議員と伴って、総理『公邸』で中曽根総理と会っている。『官邸』と『公邸』とは違うぞ。新興宗教の教祖が『官邸』に呼ばれるわけがない。
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