※ happiness ※
えみかっぱ



 別離。

本日全て済んだのでご報告です。

3日の午後、私の祖父が永眠しました。

享年83歳でした。


『誰にも迷惑なんてかけない!』そう言っていた祖父。

しかし、認知症になり 自分の事すらままならなくなっていました。

トイレで排泄も出来なくなったため、オムツになり・・・。

そのオムツすら自分で交換することが出来なくなり、ほとんど私たち家族がしていました。

それなのに、オムツ交換しようとすると、オムツを掴んで離さなかったりとか。

布団へ連れて行こうとすると、すごく反抗的だったりとか。

腕を掴んで離さなかったり、蹴られたりとか そんな事もよくありました。


どんなに朝が早くても。

祖父の汚れた服やシーツを交換して仕事へ行かなければならない。

どんなに眠くても。

祖父を布団まで連れて行って寝かせてからじゃないと眠れない。

祖父が作った借金を返済している上にお世話もしている。

それなのに、認知症とはいえ反抗する祖父が 私は許せませんでした。

早く死んでしまえば良いのになんて思った事もあるし、実際言ったかもしれません。


普段は出した食事の他にまで手をだす祖父が、その日は食事を残したんです。

体調が良くないようだったので、そのまま布団で休ませていました。

その日は昼食も夕食もおかゆなどで、少ししか口にしませんでした。

夜に従兄弟が"少し顔を見ていくかな"と祖父の元へ行った時はなんともなく。

眠る前に母が水分を与えようと布団へ行った時に亡くなっていました。

母の声で急いで布団へ行き、冷たくなった祖父の手を触って血の気が引いた。

祖父は血を吐いて、時間が経っていたので 既に冷たくなっていたのです。

兄は救急車が来るまで、ずっと心臓マッサージをしていました。

まだお腹が温かいから、もしかしたら戻ってくるかもしれないと。

『じぃ!かえって来い!』そう言いながら・・・。

私は何も出来ずに ただ、立ちすくんでいました。

祖父が吐いた血の臭いと、手の冷たさが頭から離れません・・・。


それから救急車がきてくれましたが、既に瞳孔が開いているので厳しいと言われました。

その後、警察が来て 色々質問をうけ、調べて 病院へ体が運ばれていきました。

父と母が付き添って、私たち兄弟と親族は部屋の片づけをしていました。

全て終わって、祖父の体が自宅に戻ってきたときは朝5時を回っていました。

死因は急性胃潰瘍だったそうです。

元々力が弱くなっていたので、血を吐いて力尽きた感じになってしまったようです。


葬儀屋さんが色々やってくれて、午前中には入棺になりました。


あれだけ憎いと思っていた祖父。

早く死んでしまえば良いのになんて思っていた。

ショートステイで家にいないと安心さえしていた。

それなのに・・・。

入棺のとき、なぜか涙が零れて止まらなくなってしまったんです。

あれだけ許せなくて、憎かったはずの祖父なのに・・・。

本当にいなくなってしまうと、嫌な事より良い事ばかり思い出すんです。

思えば、高校時代まで一番お世話になったのは私でした。

いつも車で送り迎えしてもらっていました。


色んな後悔と、複雑な想いで私は今を過ごしています。

後悔もあるけれど 私はまだ、祖父を許せないでいるのです。


2008年01月07日(月)
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