2006年05月24日(水):「戦争論」
大掃除をしていたら小学校時代の文集が出てきた。小6の時、平和学習の際に書いたものと思われるが、自分で読んでてちょっと笑えたのと、大筋では今現在と言いたいことは変わらないのでそのまま公開してみる。
敢えて表現などに手直しは加えないため、表現や論理展開など拙い部分があろうがその点はご容赦願いたい。

「戦争は文化の交流である。」6年3組タケカワユキヒデ

戦争は文化の交流である。
私にはなぜ韓国や中国が日本に文句を言ってくるのかわかりません。
たしかに、今戦争が起こって欲しいかと言えば、現代に生きる私たちにとっては嫌なことである、というのはそうです。だから、その当時の一般人が苦しい、嫌だということには理解はできますが、歴史を見て、戦争と言う出来事全てを否定するのは考えが足りないと言わざるを得ない。

例えば、最初に「戦争は文化の交流である」と書きましたが、アレキサンダー大王の東方遠征、それによるオリエント文化の派生、歴史の教科書は、どれを見てもこのことを称えこそすれ、批判的に書いてはいません。また、日本が民主主
義と化したのは米に戦争で負けたからです。そのことにより、アメリカの思想が日本に流入し、現在の形態になったわけです。かといって、日本人がいつまでも米を恨みつづけ、いつまでもマッカーサーを恨みつづけているでしょうか。
現在の日本の姿が正しいかどうかはさておき、少なくとも、戦争により文化の交流、変化が起こることは確かである。

ならばなぜ、第2次世界大戦の日本だけ責められるのだろうか。

昔は兵器も発達していないから、被害はそんなに広がらないからであろうか。いや、どんな時代であれ、実際に戦火に巻き込まれる身からすれば、たまったものではないだろう。それは現代人と一緒である。そんなのは昔の話だ、という意見もあるだろうか。その人は戦争そのものを否定していたはずなのに、昔のことならいいというのだろうか。
それならば、二次大戦もすでに歴史の話である。いまさら中韓に謝罪する必要はない。だが、韓国はいまだに豊臣秀吉の朝鮮出兵を恨んでいるという。
その理屈ならば、モンゴル人は元寇のことを日本にあやまらなければならないし、ローマも東方諸国に謝らなければならない。
韓国も、百済から仏教を日本に持ちこんだせいで、蘇我氏と物部氏の内乱がおこったことを日本に謝罪すべきである。
それらが許されるのは違う「国」になっているからでしょうか。でも、同じ「民族」のはずです。「政府」が変わっているから責任は無いと言う考え方なら、大日本帝国の戦争責任は日本国にはありません。
それとも、過去のことでも、直前の戦争だけは謝るものという考えが国際社会にあるのだろうか。ならば、日本がまた韓国を攻めて勝てば、文句はないのだろうか。

しかし、直前の戦争といっても、韓国はすでに朝鮮戦争とやらがあったではないか。
その戦争で、韓国に味方したのは米国であるが、その米軍を援助するために物資を供給していたのは日本であるし、米軍の拠点は、駐日基地であった。
言ってみれば、南側が北朝鮮に押され、危ない状態を救ってやったのは日本である。
日本が援護しなければ、韓国は38度線まで盛り返すことはできなかったはず。日本が助けてやらなければ、韓国などは存在していなかったかも知れないのである。

韓国は日本に感謝してしかるべきである。百歩譲って、一度は日本も韓国を攻めた、ということを差し引いても、その分助けたのだから、貸し借りなしの関係でいいはずだ。
にも関わらず、韓国併合がどう、秀吉がどうのというのは、ただの外交カードである。

「戦争は文化の交流」である。戦争は悪いことだと決めつけるのではなく、その歴史的意義を考え直してみるべきだと思う。

まあ今の朕からしても半分も生きてない頃の作文であるし、社会の認識もこの十数年で多少変わってはいる。歴史的事実とされるものが変わったりもしてるけど、
自分自身は何らこの頃から変化が無いなと思う。


〜思い出したので追記〜
朕の生まれ育った地域の学校では「にんげん学習交流会」と言うのがあり、近隣小学校から児童が複数名づつ選抜されて集い、「平和」だとか「人権」だとかについてデスカッションする催しがあった。
朕はこれに参加したくてねぇ…よく勉強したよ、こういうのに参加させてもらいやすい、教員連中の好みそうな作文はどういったものかを。
これはその場で発表したものなのだが、PTA向けの活動発表の冊子を毎回作ってたみたいなんだけど、その冊子からは朕の部分はキレイさっぱり差し替えられておった。表現・言論の自由って無いんだなぁ、と言うのを子どもながらに実感した、ハト マメ ナス マス の世界だね。
まあ我が小学校区の所謂「黒歴史」だよ。


今日のハンバーガー:ライスバーガー(焼肉)

My追加日記にコメントをつける前日翌日一覧へ