大好きな句に。 西行法師の有名な句がある。
願わくば花のもとにて春死なんその如月の望月の頃
娘は当時としてはまだまだ珍しい、登校不登校児だった。 兆候は保育園児の頃からあり、小学校では保健室登校。 中三を一日だけ行って、後はもう一歩も歩けなくなった。 私は学校は行けないのなら、それでいいと思っていて。 担任との話し合いでも、本人が行けないというなら、それを尊重すると言った。
不思議と不安はなかった。この先どうなるかとか、全く案じることはなかった。 「死にたい」と娘が言う。 生きてさえいれば、この先まだまだ捨てたもんじゃないよ、と言う私。 けれど最後にはどうしても娘が死にたいのなら、一緒に死んでやろうと思っていた。 浮き沈みを繰り返し、大人になっていった娘。 よいときも悪いときも、背中をなでる私。 そんなかんだで十数年が流れ。 今ではプロの漫画家として、毎日忙しく、締め切りに追われている。 死にたい、とは言わなくなった。 それよりは、健康が欲しいと言う。 私の方が幼児化していて。 もうどちらが親なのかわからなくなっている。
私も死ぬときは花の頃がいい。 さくらが潔く散っていくように、最後は綺麗に逝きたいものだ。
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