有馬温泉に行ってきた。あの馬鹿のことで気が重くて仕方がなかったが、何とか鬱にも不安にもならず楽しむことができた。あの馬鹿と縁を切るかどうかの判断は保留にしよう。今直ちに決める必要はない。でも付き合うには不愉快なことが多すぎる。私を差別しているし、見下している。それで付き合うなんて屈辱的だ。そんな屈辱に耐える必要がどこにあるのか。卑屈になってはいけない。もう一人の馬鹿も同じだ。決めるのは私であって自由だ。どうしようと自由だ。許そうと許すまいと、いつ許そうと永遠に許すまいと自由だ。加害者の決めることではない。
女がかわいく思えてきた。そんなに嫌うことはないと思いだした。若くて美しい女はもちろん愛すべきだし、そうでない女はかわいそうだと思えるようになってきた。以前はばばあなんか死ねと思っていたが、今はそれほどでもない。目立たないように生きてても構わないと思えるようになった。
欠点を直し、過ちを償うことは幸福だというゲーテの言葉に感銘を受けた。私にふさわしい。私は病気のせいとはいえ、悪事を働いた。悪に取りつかれて何もかも破壊した。病の治まった今は、静かに悔い改め、罪を償うことに専念したい。
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