希望の日記

2010年09月21日(火) 曇り

一番になる。スピリチュアルの世界で一番になる。今までの失地回復だけじゃなくて、逆転満塁ホームランを狙う。人についていくというのでは足りない。気がすまない。スピリチュアルの世界で、あのきちがいを叩きのめす。糞ころがしとして扱う。私が支配する。この世を支配する。それくらいの気概をもって望む覚悟だ。仲良くやっていこうとか、迎合しようとか言う気持ちはさらさらない。差別は許さない。徹底糾弾する。気にならない、問題にならないという気持ちはそういうところまで行かないと生まれてこない。私は自由に生まれてきて、自由を追求してきた。感謝、笑顔、賞賛で、ありがとう村を築こう。そして、ありがとう帝国の天皇になろう。
今日も無事終わった。幸福論の内容が、正観さんの教えと余りにも符合するので驚いた。人生の真実に洋の東西はない。
差別は気にしないことにした。人を変えることはできない。逃げることもできない。我慢するのも嫌だ。ならば気にしないという方法がある。そして気にならなくなる。これが理想だ。
自分に優しくしよう。節約するというのもそのひとつだ。
糞ころがしは今日も元気だった。あんな奴に意味はない。だが、あんな奴でも、感謝、笑顔、賞賛を求めているんだろうなと思う。かわいそうになる。哀れな奴だ。重大な欠陥があるとはいえ、同じ死すべき存在だ。気にしないことだ。
哀れな糞ころがしのことが見えてきた。怖がっているのだ。自分がいじめた人間が戻ってきて、復讐されるんじゃないかと怖がっているのだ。ところがこちらが霊的に高まっていることを示すと、臆面もなく近づいてくる。昔からの友達のように、近づいてくる。本当に嫌だ。どっか行け。こちらを見るな。私はあまり人に近づかれたくはない。話したくもない。でも私は霊的に高まっている。受け入れるときが来ているのかもしれない。でもお前ではない。何もかも持ち出そうとする火事場泥棒のようなお前にだけは近づいて欲しくはない。何にでも欲情する、完全に正気を失っているお前にだけは近づいて欲しくない。厳しく選別したらいいんじゃないのか。自分を傷つける可能性のある人間は遠ざけ、おとなしい、霊的に高い人間だけ近づける。当たり前のことではないだろうか。きちがいを恐れる人間の心理は、自分が傷つけられると思うからではないだろうか。恐怖心。それを除かないといけない。生半可では解決できない。差別の問題は、問題としないこと、気にしないこと、恐怖を与えないこと。そういうことで行こう。恐怖心で抑えようとするのは逆効果以外の何ものでもない。恐怖こそが差別を助長するからだ。哀れな糞ころがしは、職場の気持ちの象徴かもしれない。糞ころがしの問題を解決できるかどうかが、今後、職業を続けていけるかどうかの試金石だ。
感謝、笑顔、賞賛が重要だそうだ。人は誰もそういうものを求めて生きている。子供は誰でもそうだ。大人になっても、同じだ。金や権力に目がくらんでいても決して満たされることはないと気づく。金や権力や色欲は塩水と同じで、飲めば飲むほど渇く。wさんとの事がうまく行かなかった理由はそこにある。差別問題を解決する方法も、相当自分が霊的に高まらないと決して解決できないだろう。糞ころがしの問題は、差別問題と同じくらい厄介だ。どれだけ霊的に高まっても、どこまでも穢れた手を伸ばしてくるだろう。それでも諦めてはいけない。もうそれしか道はないので、覚悟は決まった。人に優しくしよう。自分もやさしくして欲しいならそうする以外ない。哀れみの気持ちがなくなっているようだ。哀れな糞ころがしも哀れんでやることが近道かもしれない。糞ころがしも恐怖心と戦っているのだ。恐怖に駆られて、走り回り、叫び倒しているのだ。哀れな糞ころがし。哀れんでやることが最大の虫除けになるかもしれない。
感謝、賞賛、笑顔はまず、自分に必要かなと思う。自分をほめてみよう。こんなに霊的に高まって、偉い。人にやさしくできて偉い。今まで頑張ってくれて、感謝。病気にも耐えて、復帰して偉い。人に馬鹿にされようとも、耐えて毎日会社に行っているのは偉い。気の狂った糞ころがしのいる職場に、頑張って毎日行っているのは偉い。まず自分を受け入れよう。悪いこともいっぱいした。でもいいこともいっぱいした。今、ユニセフや、あしなが育英会に、寄付している。デリ穣に稼がせてやっている。偉い。差別されても、耐えて、出勤しているのは偉い。こんなにも霊的な気付きを得られたのは偉い。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加