できる範囲でかまわないから、愛を受け入れよう。愛そう。感謝しよう。感謝を受け入れよう。そうやって行くうち、次第に真人間になる。ありがとうといっているうちに、矯正されてくる。自分は悪にどっぷり使って生きてきた。簡単には抜け出せそうにない。でも必死でありがとうを言い続けると、苦もなく抜けられる気がする。この世には善悪などないといっているのだから。できる範囲でかまわないというのは逃走論だ。闘争ではなく、逃走だ。できる範囲で良いから、無理だったら逃げ出せば良い。自分が楽になるようにすればいいのだ。人と会話していて、泣きそうになることがある。顔が引きつってくる。父が死んでからだ。まだ悲しみを抜け出せない。だから問題だといっているのではない。問題は何もない。ありがとうを言い続けているときっと良くなる。それまでの間、逃げまくるというのもひとつの手だ。そこにとどまらない。黙って我慢しない。逃げまくる。自分を楽にする。逃げる話術もある。この間の東京女も私を追い詰めてくる。でも逃げるという方法論はいつもある。愛を受け入れる気になったら、受け入れたらいい。でもそれまでは好きなだけ逃げたら良い。 怖がらせて人に言うことを聞かせることはできるが、それはその人から奪っているに過ぎない。自分は絶対にそんな手段は使わない。何も得られないからだ。心は絶対に得られない。愛と感謝で言うことを聞かせる。そういう力が人間にはある。 厳しさも必要だ。正観さんの教えは厳しい面もある。愚痴、不平不満、悪口を言ってはいけない。頼まれごとは引き受ける。疲れ果てても引き受ける。なかなかしんどい。ばばあとの関係で、一番良いのは、愛を受け入れることだろうか。それがどうしてもできなかった。いろんな原因はある。中学の頃の暴力きちがい教師、女嫌い。姉の存在と言動。人を好きになれないとか。でも受け入れて和気藹々と過ごせばいいのだろう。でも今はどうしてもできない。半ば逃げている。それで良いと思う。会社に頼んで逃げさせてもらった。一緒にはやれない。離婚だ。無理なことは無理だ。あいつは今は私を怖がっているから好都合だ。さすがに攻撃しようとは思わないらしい。私がこんな哀れな存在になったからだろう。どんな理由であれ、攻撃してこないのはありがたい。感謝する。きちがいが人間らしく振舞っているだけで感謝する。 厳しさが必要というのは優柔不断はだめで、果断に厳しく行動するときはするということだ。ぱっと行動する。仕事においては特にそうだ。果断に厳しく行動する。悪いことする奴はびしっという。悪を許してはびこらせてはいけない。
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