希望の日記

2010年01月06日(水) 晴れ

今日は会社に行った。眠れなかったので、イラっとして、休んでやろうと思ったが、気を取り直して、行った。案の定しんどかった。帰ろうかと思った。でも休み時間を長く取って、乗り切った。基地外が相変わらず、いやなことをしてきた。示威行為。馬鹿じゃないのか。無視したらいいのに、腹が立ってついみてしまう。するとますます調子に乗る。基地外だ。
脳梗塞ははっきりしない。大病院、専門病院で診てもらおうかと思う。それでなんともないといわれたら、諦める。今のままだと、なんだか意味がわからない。アリナミンとか処方されて、薬代一万円なんて馬鹿みたいだ。早く専門医に見てもらったほうがいい。飛び込みでもいいじゃないか。
ハードルを思い切り低くしていこう。それで幸せが増えることはわかっている。帰りの電車で、携帯から達郎の「あしおと」が聴こえてきて、幸せを感じた。これがいいのだ。こういうことの積み重ねで生きていける。金なんかいらないのだ。努力なんか要らないのだ。幸せになるのに。この点で、勝間より、香山先生に軍配が上がる。努力なんか何になるんだ。
幸せのために努力がいるなんて嘘だ。努力が好きな人間は欲の虜になっているのだ。金や権力、地位、名誉のために汲々としている人間、たとえばあの基地外、あの人間にわからないことをたくさん知っている。教えてなんかやるもんか。基地外は基地外のまま死んで行け。
会社は次々に色々努力を要請してくる。嘘だということを重々知っているはずだ。幸せのために努力をしろと真剣に思っているわけではない。そうならなおさらおかしい。努力は欲望の充足のためだ。もっと儲けろ、もっと作れ、もっと売れ。それは富を増やすためだ。幸せのためなんかじゃない。だから幸せと会社の義務とを分けよう。きれいに分けられれば分けられるほど幸せになれるような気がする。ワークライフバランスというのか、人はそのことに気づき始めている。会社が儲かったからといって従業員が幸せになるわけではない。ここ10年、当社の業績は急速に良くなった。それで私は幸せになったろうか。左遷され、病気が再発し、苦しみぬいてきた。反比例だ。人はうらやむが、私は苦しむのみだ。クビにならないから幸せに思えと、それが人を幸せにする企業の言うことか。企業は人を幸せにするものではない。幸せは自分でつかむものだ。企業は欲を満たす場だ。幸せなんて甘いものが通用する場ではない。幸せは自分でつかもう。
敵と友をはっきり分けることも幸せをつかむ第一歩だ。それができないから、こんなに苦しむことになったのだ。気違いははっきり敵だ。それ以外は敵はいない。皆味方だ。基地外と友をはっきり分けよう。あの三悪人は許すことができない。自分の身は自分で守ろう。言いたいことははっきり言おう。欲しいものは欲しいといおう。嫌なことははっきり断ろう。断る力。m氏は私の病気のことを何一つ理解していない。そんな人間に、生殺与奪を握られたくない。もう二度とあんな状態にもどりたくない。私は獰猛に生きていく。あのくそばばあ以上に自己主張をしていく。それができないから病気になったのだ。これからは言いたい放題いっていく。やられたらやり返す。それが生きる道だ。
若い頃から苦しんできた。適切な治療が受けられていたら、こんなに苦しむことにはならなかったんじゃないか。今日nhkのテレビを見てうらやましくなった。私は中学の頃、遅刻が始まって、問題児扱いされ、気の狂った教師に虐待を受けた。それが後の病気につながったことは疑い得ない。党の基地外教師は何もお咎めはないだろう。多くのキチガイ教師が哀れな犠牲者を生んでいるに違いない。ケアが必要な時期に逆に虐待を受けた。これが今日に至るまで、苦しむ元になった。今でも薬なしにすごせない。私は自分を許すことにした。統合失調症であろうと脳梗塞であろうと自分を叱咤しない。医者の尻を叩いたりしない。なるがままに任せる。根性論やスポコン野郎をもっとも敵対視する。断固戦う。どんなことがあっても戦う。


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