希望の日記

2009年05月12日(火) 晴れ

今日は暑かった。回りに迷惑をかけるのでいづらい。これで病気になったのではないかと思う。来週は少し収まると思う。嫌いな人間に好かれるというのは難しい。こちらが嫌いでも向こうが嫌いでも、難しい。無理して好きになろうとしたり、好きになってもらおうとしたりしても無駄だ。人間関係に無理は禁物だ。物事に力はいらない。理屈にかなっていれば力を抜いて軽くやればうまくいく。力が入っているとうまくいかない。世の中力のいることなんかないのだ。自分を守るための熱い力を持っていれば、後は力を抜いていいのだ。自分を嫌っている人間に好かれようなんて思わないことだ。エネルギーの無駄遣いだ。また自分が好きでもない人間を好きになろうと努力するなんて馬鹿なことだ。嫌いなら嫌いでいいのだ。女嫌いだけど、好きにならなくていいのだ。好きになってもらわなくてもいいのだ。自分を守ることに集中したほうがいい。脳のダメージなんか気にしないほうがいい。残った能力でやっていけばいいのだ。がんばる必要はない。リラックスして集中してやれば、がんばる必要はないし、力は必要ないのだ。自分を嫌っている人間に好かれる必要はない。あのグループで散々悩んで病気が再発してしまった。もっと決然とした態度をとろう。嫌なら嫌でいいのだ。嫌なことはしないほうがいい。挨拶とか嫌だけどやっている。でも嫌々やっているとわかるようだ。嫌なことは嫌だ。嫌いな人間に好かれる必要はない。自分を嫌う人間に好かれる必要もない。腋臭のせいで私を嫌う人間は多い。そういうのに無理して好かれる必要はない。人に無理して好かれようとして病気になったというのが私の説だ。嫌いな人間を好きになろうとすること。自分を嫌いな人間に好かれようとすること。これが私の悪い癖であり、大変なストレスになっている。女が私を嫌う。私も嫌ってやればいいのだ。近寄らなければ良いじゃないか。そのほうがよほど理にかなっている。嫌いな人間と一緒にいてもストレスだろう。母親が私と一緒に住もうとして私の家に来たことがあった。こんなストレスはなかった。何で嫌いかなんてわからない。でも嫌いなのだ。好きになる必要はない。hkとか永久に平行線でいいのだ。仲良くなんてならなくていいのだ。好きになんかならなくていいのだ。嫌いなものは嫌いでいい。電車の中で押してくるやつを好きにならなくていいのだ。私は人を押したりしない。今日かばんで人をぐいぐい押してくるやつがいた。何考えているのだ。嫌いなやつを好きになる必要なんかないのだ。えらそうに自分が正しいような顔しやがって、好き嫌いだけで行動しているじゃないか。わけのわからんやつを相手にする必要はないのだ。安心して暮らしていけばいいのだ。心配しなくてもお前なんか好きになるやつはいない。しんどい。人を好きになる必要もないし、嫌いなやつを好きになる必要もない。自分を嫌う人間に好きになってもらう必要もない。もっと自分を大事にしよう。誰かに嫌われたらどうしようとかいつもびくびくしているから病気になる。好き嫌いなんか関係なく、堂々としていないから、変なやつに付け込まれるのだ。正義感だろうが怒るやつは間違っている。怒りに駆られて死刑を望むやつはぞっとする。洗練されていない粗野な人間の証だ。人に嫌われてもいい。人を嫌ってもいいのだ。そうすれば楽になる。大体今でも誰にも好かれていないじゃないか。だったら嫌われてもいい。楽に生きよう。hkなんか何なのだ。何者でもないじゃないか。人に好かれなくても良いじゃないか。昨日の子は良かった。かわいかった。嫌なものは嫌というと人生は楽になるんじゃないか。絶対楽になる。明日のスピーチも人に嫌われてもいいと思うと楽に楽しんでできるんじゃないか。体育会系のやつとか。嫌われたってかまわん。粗野なやつが一番嫌いだ。人が腋臭だといって怒る粗野なアメリカ人。所詮野蛮人だ。原爆でも食らって死ね。怒るやつは野蛮で間違っている。結局えらそうにしたいだけだ。人間なんか。キリストは愛のために死んだ。私も愛のために死にたいものだ。野蛮な人間はもう滅び去った。武器を取って殺しあう人間は先進国にはいない。愛に生きることができる時代になったのだ。


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