今日も春の陽気だろう。最近好天が続く。マンション買うことに決めようかなと思う。ローンもおりそうだし。数ヶ月待ってくれといわれたが。給料明細をためてくれといわれた。会社に定着したかどうか、給与水準が元通りになったかどうかを見るんだろうなと思った。このままで生きていくしかないのだ。めまいがする中で、酔っ払った状態の中で生きていくしかない。すぐ忘れるのは個性だ。忘れないと生きていけない。ふざけているのではないのに、ふざけていると思われるのは困ったものだ。困った。 明日からカメラマンをやることになった。脳がダメージを受けていることから、リハビリのためにという親心だろう。私もあそこに座っているのは正直辛い。変なことを言うおっさんはいるし、本当に辛い。これから数か月はそちらに没頭できる。席を離れても問題がない。堂々とあの部屋を離れられる。嬉しい。無理してあそこにしがみつく必要はないのだ。その間にリハビリをすればいいし、もし治らなくても別の仕事を探してくれるだろう。それはあそこではないかもしれない。それでもいいのだ。マンション買うのはやめておこうか。どこに行くかわからない。若い奴にも馬鹿にされている。しがみつく必要はないのだ。ゆっくり治せば良い。でも三年かかって、治らなかったのだから、これ以上改善することはないだろう。おかしいとか言われているのにしがみつく必要はないのだ。しゃべれないし、パソコンも覚えられない。ミスが多い。悪気がなくても迷惑をかけていることは間違いない。あの場所を離れて過ごせるということは大きなメリットだ。しかも倉庫業務ではないので寒くも暑くもない。しかし孤独な作業で孤独に耐えられるかどうかは難しいところだ。まあ広い意味でマスターの業務なのでよしとしよう。良いリハビリと解放になる。私の業務としてよかったんじゃないかと思う。 今までの苦労が報われたんじゃないかと思う。機械と写真相手の孤独な仕事だが、頑張っていこう。これが一番今の私に向いていると思う。あの頃も運転手の仕事なんかやっていた。それでも失敗ばかりしていた。今のほうが数段上だと思う。おかしいといわれながらも何とかやっている。今日帰りがけに目が少しはっきり見えた。このまま良くなってくれればいいのだが。 これであの空気から逃れられる。私にはもうデスクワークは無理なのだ。といって、危険な仕事は任せられない。ガラス細工のようなバルネラブルな人間なのだ。今でも酔っているような不思議な気分で覚めたことがない。字が読めない。デスクワークは無理だ。簡単な手作業くらいしかできない。こうなることは分かっていた。でもこうなることを望んでもいた。これと守衛の仕事と大差ないような気がする。マスターの大きな戦力になるものと思っていたが、ちょっと無理なようだ。難しいことがさっぱり頭に入らない。簡単なことが覚えられないのになんで難しいことができるのだ。あそこに座っているのが辛いのでそれから解放されるのも嬉しい。良いこと尽くめだ。mさんも辛いのじゃないか。私も頼ってばかりじゃなくて自分ができることを見つけていこう。私は元の自分ではないことは明らかになった。良かったのではないかと思う。 なんか母親に電話したが、電源を切っていた。夜は電源を切っているのだろうか。なんか寂しい。お金をもらう話をしたかったのだが、できない。私も運が向かなくなってきたかもしれない。会社はカメラマンみたいな仕事をあてがわれるし、どうしようもない。仕方がないのだ。これも仕事だ。一生懸命やろう。頭が壊れているのだ。でもマニュアルとはいえ、文章を書くことができるのは嬉しい。見るところは見ているのだ。ぎりぎりの仕事だが頑張ってやっていこう。デスクワークはあまりないようだ。カメラマンの仕事頑張っていこう。自分のカメラ持ち出しでやってもいいか。お金払わないと仕事ないのか。でもこの仕事がうまく行けばマスターのマニュアルを書く仕事ができるかもしれない。次につながるから頑張ってやっていこう。私にぴったりの仕事だ。もう机に座っているのは限界だ。電話もないし、あの変なおじさんに変なことを言われて、黙って座っているのはしんどい。あの席を離れられるのは嬉しい。しゃべれないのは辛い。それはいいけど記憶力、注意力が落ちたのは悲しいことだ。知的能力が落ちたとひとくくりにされて、病気のせいじゃないかといわれ、どうしていいのかわからない。病気のせいといわれれば諦めるしかないが、病気のせいではないと思う。あの医者もいい加減なことを言う。やめたほうがいいかもしれない。前から調子が悪いといっているのに、何で分かってくれないだろうか。意の伝が通じない。母親にも通じず、辛い。仕事がうまく行かないのが何より辛い。私生活がうまく行かなくても仕方がない。
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