希望の日記

2008年12月25日(木) 晴れ

愚者となりても貧者となりても生きていくことを誓う。脳がダメージを受けても生きて行こう。その勇気ができた。頭が良くても何の役にも立っていなかったじゃないか。それではこじきと一緒だ。会社のため、人のために働こう。
私はモンスターになっていたのだ。知らぬ間に。小さい頃のどんな経験がそうさせたのかわからぬが。父親や母親のことも知らずにモンスターになっていたのだ。私が正常になるということは生涯ないかもしれない。でも薬でコントロールしながら、正常の範囲内で生きていくことはできる。そういうコースをたどって生きて行こう。芥川も三島もそういうコースを外れてあちらがわの世界に飛び込んでしまったのだ。私はそんなことはすまい。天才ではないのだから。凡人として細々と巷間で生きて行こう。マザーテレサのように生きても良い。釜が崎に行っても良い。自由な気持ちで生きていったらいいのだ。今日加藤さんに会ってもいい気がしてきた。話したいことがある。聞きたいこともある。でも加藤さんがいいというかどうかだ。
今日は会社に行ってみることにした。新しい人生が開ける。愚者貧者として生きていくことにした。実際そうだもの。何か取り柄があるだろう。宗教を守ってちゃんと生きていくことにした。
会社に行ってきた。人に聞きながらやっとの思いでたどり着いた。冷たい雨が降っていたがそれほど惨めではなかった。新しい目標ができたからか。梅田に寄って、女子パウロ会の本と手帳を買ってきた。小型でシンプルな奴。図書館で借りていた本をとりにいった。
私の能力が落ちたことは明らかだ。それでも雇ってくれるという会社に感謝する。でも目が悪いことや、脳がダメージを受けていることを知られたら安泰かどうかわからない。
キリストはグループで一緒になったsさんに似ている。言葉が非常に上手で、非常に知識が豊富で面白く、優しい。しかしどこかに激しい暴力性を秘めている。それは人に向かうこともあれば自分に向かうこともある。人に向かうと罪となり、自分に向かうと狂気となる。あるときは道化者のように映り、あるときは知の人愛の人と映る。太宰治もそんな人だったかもしれない。道化師と聖人。案外近いのかもしれない。
k藤さんは電話がつながらなかった。怒っているのかもしれない。電話するのはやめといたほうがいいかもしれない。もう三年もたっている。
bgに戻ってもちゃんと迎えてくれるかどうかわからない。迎えてくれるところがあるかどうかもわからない。とりあえずその前に話があるだろう。いきなり来いと言われても良くわからないだろう。何か力が入らない。
kさんに電話した。驚いていた。電話するとは思わなかったのだろう。私もどうしたいのかわからない。薬も飲んでいないし。数日あけて酒を飲んだらどうかと思うのだ。どうしてこんなに卑しいのかわからない。酒なんかやめといたらいいのに。寂しいのか。でも社交的になったといってくれ。自分から電話するなんてあまりないことなのだから。
ドリカムのチケットもファンクラブ入らないと無理かもしれない。ファンクラブはいるほどでもないかもしれない。といっているうちは手に入らないかもしれない。
zに勤務再開のことを報告した。誰かれなく連絡している。喜んでくれるとは限らないのに。さっきいの伝にかけたとき、良かったといってもらえて、素直に嬉しかった。正反対のことを言う奴もいるから、気をつけないといけない。人間て難しい。でもなんで難しいか良くわかるようになった。こんな病気になって初めてわかることもある。自分が差別される側に回って初めて差別がいけないことがわかった。悪いことをしてはいけない。私も悔い改めたい。父のことについて謝罪したい。でもキリスト教を受洗すると父と同じ墓に入れないし、あの世で会えないのではないかと思う。マザーテレサのような人が日本にもいて私を救ってくれないかと思う。
k藤さんはやっぱり、私の番号を見て切ったのに違いない。切られても仕方がない。
最近人の気持ちに敏感になった。年の功かなと思う。病気の功というのもあるかもしれない。
キリスト教はやっぱりいい。貧しいもの、弱いものが守られ、愛される世の中でなければならない。今日エレベーターで不快な出来事が会った。裕福そうな夫婦が私が降りるのを待たずにエレベーターの閉のボタンを押そうとした。気分悪い。侮蔑的な態度だ。貧富の差はないのだ。身分差別みたいなことは良くない。士農工商とか意味わからない。人を差別してはいけない。私は無邪気なところ無垢なところもあるが、残酷なところもある。人はみなそういうものだ。悔い改めよう。私も罪びとの一人だという自覚が必要だ。私は援助が必要だと自分でも思う。すでに自立支援法でもらっているし、一歩間違うと福祉をもらわないといけない。復帰は決まったがまだ本決まりではない。復職ではない。
自分が危うい、きわどい人間だということが良くわかった。人に迷惑をかけてはいけない。まじめに働いて生きて行こう。精神的に問題があることが良くわかったので、よく気をつけて再発しないようにしよう。もう焦っても仕方ないからのんびり行こうと思っている。それが再発防止と思っている。
耳鳴りがひどい。目の霞みもひどい。もう脳がダメージを受けている証拠だ。私に利用価値がないとわかれば、ごみを捨てるように捨てるだろう。zが私を捨てたように。私は負けない。頑張って生きていく。生きていくのは大変なことだ。それでも頑張って生きていく。貧者愚者として生きていく。脳にダメージを受けたから馬鹿になった。それは仕方ないことだ。弱くなってしまった。仕方ないことだ。音がうるさいとか言っていたのはやっぱり多少おかしかったかもしれない。うるさかったのは確かだが、仕方がないかもしれない。神経がおかしかったのはつい最近のことだ。それで復帰が可能だろうか。自信はないが仕方がない。頑張ってやっていこう。神に救いを求めよう。本気でそう思っている。神というより、キリストに救いを求めるのだ。芥川がキリスト教に救いを求めたように。
太宰も確かキリスト教に興味を持っている。どういう態度だったか良くはわからないが人間失格のなかにも出てくるし、他にも出てくると思う。自分がだめになってしまうような気がする。zに見放され、hに見放された理由も良くわかる。でも生きないといけない。
薬を飲んだ。我慢するのは馬鹿みたいだ。酒なんか飲まない。
脳がダメージを受けているからといって何も不都合なことはない。落ち着いてゆっくりできることからやっていけばいいのだ。三年も休んでいたのだからできることなどないといってもいい。コピーさえ取れないのではないか。ワードやエクセルの入力さえうまく行かないだろう。でもそこからゆっくり歩んでいこう。のんびりするくらいがちょうどいい。できることをやっていけばいい。
のんびりゆっくりやっていこう。もうそう決めた。誰がなんといってもいいじゃないか。誰の役に立たなくてもいいじゃないか。箸置きくらいの役にはたつだろう。頑張って働こう。ところで今日見た、ごみ焼却場は一体なんだろう。健康に心配はないのだろうか。長い目で見たら、ダイオキシンとか粉塵とか何か悪影響があるのではないだろうか。仕方がないことだ。犠牲になっているのだ。健康を犠牲にして働かないといけないのだ。仕方がない。生きていくためには仕方がない。
今宗教の本を読んでいる。今までみたいな教養とか知的好奇心とか快楽とかは薄れてきた。これからは心の糧を得て生きていきたい。早くしゃべれなくてもいいではないか。
もうすぐクリ約が始まる。嬉しい。一生の思い出になるだろう。小田和正がここまで好きになったことはない。人を好きになったことはないのではないだろうか。うまく行かないから好きになるのをやめたのか。頑張って生きて行こう。のんびり頑張ろう。
哀れみをもたれてもいいから行きぬくのだ。できることをやって生きていくのだ。サロンの人々のように。私は哀れまれても平気だ。誰でも年を取れば哀れまれる存在になっていくのだ。認知症にならなくても衰えていくのだ。仕方のないことだ。作家は書くことがなくなると「あの人」のことを書くのではないだろうか。sさんに良く似たあの人のことを。
キリスト教はキリストが一人で作ったものではないということがわかった。人類という集団が共同して作ったのだ。
のんびりしてみたら少し楽になる。そんな気がする。kさんみたいにこの病気に完全な回復はない。寛解はあるが。私も一度きりの発作で終わったものだと思っていたが、そうではなかった。病は深く潜行して人格を蝕んでいたのだ。仕方がない。薬でコントロールすることと、宗教でよくするということが考えられる最高の療法だ。認知療法なんて確かに信じられない。おかしい。アメリカ発のいんちき療法じゃないのか。薬以外には信じられない。今の薬は進歩しているから頼っていいのだ。今最先端の治療を受けていること。この病気は珍しくないこと。この二つだけは確信できる。
よく頑張ってきた。心の病を抱えてよく頑張ってきた。これからも頑張るだけだ。あの似非カウンセラーにはわからない。私の心の悩みはわからない。何が偉いのかわからないが、まあ関係のないことだ。何で私がカウンセラーの心配をしなければいけないのだ。
のんびり回復を待とう。脳のダメージはまず治らない。馬鹿にされても仕方がない。でも人の助けを得ないと仕方がない。でも仕方がない。誰でも誰かの助けがあって生きている。神様じゃなく人間なのだ。のんびりやって行こうと思っている。字が読めなくなってしまった。無理しても仕方がない。キリスト教はその思想が重要だと考えている。進行といってもそこが肝心だ。科学的に信じられないことは切り捨てて考えてもいいのじゃないかと思っている。復活とか信じられない。でも思想は信じられる。納得行くものだ。早く働こう。働ける。人間関係もうまく行く。馬鹿にされても耐えないといけない。脳がダメージを受けていることは仕方がないのだ。これも徐々に治っていくだろう。高次脳機能障害。かも知れない。どうも違うみたいだ。でも脳がダメージを受けていることは確かだ。人の会話についていけない。昨日はにんにくを食ったからにおうのは仕方がない。とりあえず最初は無給なのだからこちらのペースでやらせてもらおう。貴重な休職期間を使って復帰するのだから、一歩一歩着実に歩んでいこう。
脳のダメージも次第に良くなるだろう。訓練するうちにボケも次第に良くなるだろう。じっくり時間を取って三年間のブランクを取り戻していこう。誰でも三年も休んだらおかしくなるだろう。よく頑張った。おめでとうといいたい。
少し頑張ってみようか。でもゆっくり自分のペースでやっていくといい。それしか回復する方法はない。
nおばあちゃんは偉いなと思う。みんな苦労している。かわいそうだ。重い人もいる。デイにいる人は安定しているが、妄想とかはあるみたいだ。kさんもある。生保をもらっているみたいだ。でも日常生活では特に苦労はしていないようだ。今日はデイのクリスマスはうまく行っただろうか。見たかったような気もする。お世話する方で参加できないだろうか。無理だな。訓練とか資格とかないとだめだ。
会社にはいくら感謝しても感謝しきれない。引越しできたのも休職手当てがあったからだ。収入制限があったからだ。一万円の違いだった。今回のことでも、感謝の一語しかない。会社の温情にすがって生きていくしかないのだ。もっと強くなれたら。それは時間がかかるかもしれない。自分の足で立って歩くのに少し時間がかかるかもしれない。キリストにすがって生きて行こう。キリストはいくらすがっても文句は言われない。多くのものを与えてくれるような気がする。人は信仰なしには生きてはいけない。無信仰といわれる日本人でも本当にそうであるわけではない。何か心にみな持っている。日本教というべきものを持っている。どこからきたのかはわからないが、固有の宗教と仏教と、儒教、武士道、町人学、いろんなものが交じり合ってできている日本教をみな信仰している。


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