希望の日記

2007年08月25日(土) 深夜

夜分恐れ入ります。ふと気持ちが楽になった気がした。私の統合失調症体質の本質が見えた気がした。気分的に見えた気がした。私は一度発病したからにはそういう素質も環境もそろっていたことは疑いない。発病するべくして発病した。100人に一人だからそう珍しいことではない。それより、k大に合格する方が珍しいかもしれない。哲学や文学でそれを癒そうとするのは虚しいだろう。むしろ一錠の薬の方が効くかもしれない。それで今酔っ払って何とはなしに考えたのだが、今の気分は症状改善に向かって一歩踏み出したような気がする。私に説教しても無駄である。私は肉親を殺しかねない人間である。多くの統合失調症患者と同じく。それを責めても仕方がない。病気のせいだ。hやkの私に対する態度は我慢ならないが、でも取りうる態度の一つではある。私の行為や態度が反社会的でオフェンシブに見えるからである。中学のときに教師にいじめられたこともありうることが起こったに過ぎない。どうしてこうなったか考えることは不毛だ。最初から運命付けられていた、起こるべくして起こったといったほうが真実に近い。私が統合失調症の素質があるからいじめてはいけないとは世間では通用しない。もしそうなら障害者手帳をもらって、作業所に通って、生活保護を受けることが妥当だ。私が親を死に追いやったかもしれないことは万死に値するが、100万件の一つに過ぎない。武田信玄も織田信長もそんな奴だ。だとしたらじたばたしても仕方がない。これは死の恐怖と対するときの気持ちと似ている。そんなに怖がることはない。最初から運命付けられているからだ。宗教によってその痛みを和らげることは可能だが、消し去ることはできない。今私の気分は世間の普通の人間と相当隔たっていたことを感じたことによる変化を示している。隔たっていてもいいじゃないか。それに気付きさえすれば。今日私は医者に拒絶的な態度を取った。すると医師は私の機嫌を取るような態度を取った。それが心地よかったというわけではない。でも私の誇りや意思が尊重された気がして嬉しかったことも確かだ。世の中の人間はそのようにして日々、争い、競い、傷つけあい、また機嫌を取り合い、生きていることが実感できた。これが統合失調症に苦しんできた私の一つの答だという感じがして、今この文章をつづっている。傷つけあうことが怖いから、引きこもったり、自殺したりすることは馬鹿馬鹿しい。そういう世間の常識を共有できた気がする。傷つけあうことが怖いというのは馬鹿馬鹿しいことだ。今そういいきれる。全く無傷でこの厳しい生存競争を生き残ることは無理だ。どんな穏やかな世界にもそれはある。人生の楽園と信じて田舎暮らしを始めてもそこにはやはり同じ世界が広がっていることに驚くだろう。観念上しか存在しない楽園を実在すると信じる馬鹿らしさ。それに漸く気付いた。腹が立てば怒ればいい。傷つけられたら傷つければいい。やられたらやり返せ。競争だっていくらでも気のすむまでやって良い。いくらでもその場はある。そういうことに気付いた今のこの瞬間の気分はとても気持ちが良い。今までにないくらい気持ちがいい。脳にダメージを受けたり、原ザリに傷ついたことはどうでも良くなった。今私が気付いたこのことの方がはるかに大事だ。この一年半休んでよかった。傷つけあわないユートピアを求めたり、夢見たりすることは馬鹿らしい。世間の常識に反する。国の指導者でさえ、あるいはそいつらほど激しく相争っているではないか。富を独占する人々ほど激しく競い合っているではないか。このことに気付いたのだから、脳にダメージを受けたことは何ということもない。原ザリに傷つけられたこともむしろ幸いであった。答えは見つかった。hやkに対する態度もはっきりした。絶対に答えは見つからないであろうという絶望は脱した。戦い、競い合うことは一定のルールの範囲内で許されている。政治で経済でスポーツで芸術で許されている。人は生まれ、競い合い素晴らしい成果を生み出して世を去っていく。それを否定するなんて馬鹿らしい。世間の常識に反している。極楽トンボのように一生を送ることは不可能である。たとえホームレスの人々、障害者の群れの中に身を投じたとしてもこの痛みと苦しみは逃れようがない。以前に比べて、はっきりと自分が見えるようになった。私がこういう文章を書き記すのは自分が迷いの中から脱したいからである。そして漸く一歩私は踏み出した気がする。このことは誰にも説明する必要はない。自分さえわかっていればいい。これで自分の言いたかったことは尽きただろうか。気分の問題だ。気分がよくなったのだ。hやkを始め、厄介な人々に対する対処法が見つかったことの喜びである。私は半分障害者である。そのことを認めることは良いことである。なぜ私が争いを恐れるか、ユートピアに憧れるか、人生の楽園を見てしまうかの説明でもある。私はからに閉じこもったヤドカリである。半分身を出して世間と交渉しなければならない。この年になってひきこもりからやり直すなんて馬鹿らしい。でも逆にすごいかもしれない。私は半分障害者である。半分でも十分苦しい。それを認めてやることは自分にとって大きな一歩になる。苦しいのは生きている証拠だし、障害のある人もない人も等しくあるものだ。それから逃げていたら生きていくことはできない。作業所に通えば、単純な作業が待っているし、人間関係もある。労賃はわずかだ。それが現実的だろうか。大きな穴に落ちてしまった。でも落ちきって苦しみ抜いたせいで今日のこの気分、感慨に至ったのであって、きっと脱出できる。ここまで落ちきってしまえばあとは上がるのみだ。脳にダメージを受けてもこれだけの気付きは得られる。世間に戻れる日は必ず来る。良くここまで落ちたものだ。脳のダメージのお蔭だが、これもこうなるべくしてなったのだ。運命だったのだ。そのお蔭で気付くことができたのかもしれない。私が統合失調症体質であることは全ての鍵を握っている。良くここまでもったものだ。世間の中でホームレスにもならず、障害者に分類されもせず、生きて来れたものだ。栄誉は要らない。地道に生きていくことだ。脳のダメージなんか恐れるに足りない。この大きな気付きに比べれば微々たるものだ。脳のダメージがなく、原ザリとの出会いがなかったら、この気付きはなかったかもしれない。私は今日医者と正面衝突した。それでも正しい答を見出して帰ってきた。私が正しい位置にたどり着きつつあることの証拠だ。hやkともこのように本音でぶつかればいいのだ。そうでなかったら、絶対に正しい答にはたどり着けない。私の人生は難問だ。決して易しくはない。統合失調症であるというだけで、ものすごく難解である。でも解けない問いではない。多くの患者は寛解し、世間に戻っている。ありがちな病でもある。私は書きたかったことを書きつくしたろうか。今日の気付きを忘れずにいられるだろうか。全てこの世で起きることには理由がある。今脳のダメージを受けている私より、頭の悪い人は大勢いる。だからそのことは気にする事はない。もうこの年になって認知症になる奴もいれば、脳死状態になる奴もいる。気にする事はない。
私が中学の頃、教師によるいじめ、家庭内での争いから逃れるために自閉したことは嫌われ、いじめられることへの嫌悪、苦痛から逃れたいためであった。自閉は復讐でもあった。教師に対する、世間に対する、兄に対する、家族に対する。でもその辺になると病気との境界線上になり、後年の発病に向けて一歩を踏み出していたのかもしれない。だから原因を探るのは難しい。不毛である。原因が結果で偶然が必然で誰にもわからない。だから私は運命を甘受し、耐えるしかない。それは世間の皆がやっていることだ。死の恐怖に耐え、競争の苦痛に耐え、子を養い、生きているのだ。その一切を放棄してからに閉じこもってはいけない。でもこの年になって引きこもりになるのは病気のせいでもある。原因が結果であるこの病気の難しさだ。木村敏の世界だ。哲学的に難解である。でももうそのことにかかずらう余力と時間は私にはない。私は自分が病気であることを素直に認めるべきである。それが解決への第一歩である。解決というのはふさわしくないかもしれない。再び生きることを始めるための第一歩である。非常に危機的な状況であることは確かだ。原ザリとの出会い、脳のダメージは大きなロスではあった。でもそれは以前から準備されていたのかもしれない。必然か偶然かこれも判然としない。だから考えることは不毛である。私は今の気分を大事にしたい。医者に駄々をこねてぶつかって行った単純さを大事にしたい。hやkともぶつかって行ったらいいのだ。それが生きることである。生産的であること、それにはどうしたらいいか、それが私の考えることである。そのほかのことを考える余裕はもう私には残されていない。脳のダメージを受けたといっても認知症の年寄りよりは賢いだろう。それで十分だ。書きたいことは書きつくしただろうか。
昨日ここまで書いたものを読み直してみると何のことかわからない。気分は絶え間なく移り変わっていくものだから仕方がない。書いたものは抜け殻になる。それでも何を言おうとしたのかはわずかにわかる。あのあとビールを飲んだら耳鳴りがひどくなって一睡もできなかった。酒を飲んではいけないことはこのことからもわかる。復讐のために自閉したと書いてあった。自虐だ。自虐によって復讐しようとしているのだ。そんなことは不毛だ。引きこもりの論理だ。戦わないといけない。自閉の結果として病気になったのか、病気だから自閉したのかそんなことはわからない。はっきりしていることは一時期発病したことだけだ。もう発病の危険はないが、引きこもりみたいになっている。自虐のための復讐のための自閉に見えるかもしれない。無意識のうちにそういう道を選んでいる。しんどい。復帰できるのかわからない。復讐しようとしているのではない。自分を守りたい。戦いの場に戻れるだろうか。耳鳴りがひどくなって眠れない。アカンジアも発生している。そうでないとしても症状は良く似ている。あの似非医者に言うと言下に否定される。何を考えているのかわからない。
しんどい。昨日どんな気分だったかもうはっきりしない。でも自分が統合失調症だったことをもっと大事に認めることだ。でもしんどい。今がしんどい。昨日一睡もしてない。目がかすむ。昨日は気分がよかったのは酒のせいかな。そのあと耳鳴りがひどくなっておかしくなった。おかしくなってきた。昨日みたいな悟りはもうない。自分が統合失調症であること。少なくとも患ったことがあることを大事にしよう。
しんどい。少し寝た。少し楽になった。デパスのお蔭だ。酒は飲めないがって飲む気か。もう止めよう自分を傷つけるのは。自暴自棄になってないか。原ザリの影響か。もうあのことは忘れよう。少し外出するか。こもりっきりになるとおかしくなって来る。
しんどい。戦うことは可能か。戻って戦うことは可能か。zに話してみよう。昨日の気分は戻ってこない。自分が統合失調症だったことを重く見よう。
しんどい。楽にしよう。楽にしていればしんどくはない。
しんどい。昨日の気分はどこに行っただろうか。でも私は変わったと思う。昨日のことがあってから変わった。統合失調症であることは幸いである。真実が見える。普通の人には見えないものが見える。
人生の楽園を見たが盛り上がらなかった。自分には絶対できないと思った。自分にはできなくても楽しめるのに。酒がないからだろう。どうなるのだろう。zにも見放されている。どうしたらいいのかわからない。どうしたらいいのかわからない。睡眠薬を飲もうか。
昨日書いたものを読み返しても何のことかわからない。酔っ払っていたし、何が気分が良いのかわからない。しんどい。特に日経がわからない。何もかも違和感がある。本屋にいっても読みたい本がない。あっても読めない。本が読めなくなったのは痛い。成長ができない。


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