優雅だった外国銀行

tonton

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42 本店はセクショナリズム
2005年07月27日(水)



パリ国立銀行本店には、通信設備を担当するセクションが幾つもある。 テレックス、電話、それにパソコン通信。 それらは、それぞれ独立したセクションが担当していて横の連絡はほとんど無いらしい。

SESAMEと呼ぶ独自のテレックス通信網を、1975年頃から持っていた。 パリ本店を中心に主要国の都市を専用線で結び、グループ内にテレックスを送るシステムであったが、甚だ不安定な設備であり、本店もそれを認めていて「支払いの絡む重要な通信は通常の公衆回線(日本の場合はKDD)を使うべし」となっていた。 結構面倒くさいもので、メッセージには相手先別の通し番号を付け、一日の終わりに各送信先に「本日は何本送りましたご確認下さい」と出さねばならず。 受け取ったメッセージも同様に、相手が言って来た送信本数と照らし合わさねばならなかった。 その本数が合わないのが度々で、特にロンドン支店には泣かされた。

問題は、何故本店はこのようなシステムを強制的に使わせるのか、と言う事である。 本店・ロンドン間や本店・ニューヨーク間の様に通信量の夥しく多い所は、専用線によりコスト削減ができるのかも知れない。 しかし、東京支店は違った。 東京・パリ間を専用線で結ぶのには、大変な経費がかかる。そこで、パリ・シンガポール・香港と伸びている線に繋ぐのがいくらか安く出来るのだが、それでも月額80万円位になる。 重要なメッセージを除いたグループへのテレックスは、それだけの量は無い。 そこで、本店SESAMEセクションが考えた事は、公衆回線で香港のSESAMEステーションに送れ、という事であった。

東京支店では、大してメリットのないSESAMEを、本店からの注意を無視して長い間使わないでいたが、コンピューター化されたテレックス端末を使うようになってからは、謙治が夕方のテレックスの発信状態をチェックすることにして、SESAMEを多く使う様になった。

香港のSESAME中継ステーションであるケーブル・アンド・ワイヤーレス社は、かなり大規模な通信会社であるにもかかわらず、進歩的な設備を使用していないことがすぐに分かった。 長文のメッセージを送っている時、突然先方が割り込んで来て、「テープを取替えるから待ってくれ」と言って来たりした。 紙テープで受信し、そのテープを使って受信者に転送しているようであった。 

テレックスも電話と同じ様に時間で料金が計算される。 だから、余程タイピングに自身のある人以外は予めメッセージを準備してから送る。 1970年代前半迄は、テレックス端末を直に叩きさん孔テープを作っていた。 同時にモニタープリントが出来るのであるが、ミスタイプが有ると、昔テレックスを打った事のある人は忘れられないでしょう、テープの修正が大変面倒な事なのである。 ミスタイプでは無くとも、気紛れなボスが文章を変えたりするのは日常茶飯事である。 1970年代後半になると、さん孔テープを作る機械が、初歩的なワープロ機能付きで出て来た。 これは当時のテレックス・オペレーターにとっては福音以外の何物でもなかった。 完全な文章がタイプされてからテープを作れたし、挿入、削除の様な修正も随分楽になった。 しかし未だ、記録媒体は紙製さん孔テープであったから管理が面倒である事に変わりはなかった。

1980年代中頃になると、テレックス端末もコンピューター化されて来た。 ディスケットによる記録、保管、再生、発信が出来るようになった。 香港のケーブル アンド ワイヤレス社は、未だテープを使っている、と言う事は、メッセージを読む気になれば読めるのである。 電話だってそうではないかと謙治は思った、その気になれば電話だって簡単に傍受できる。 ただ、その気になる事は、いずれの国でも固く禁じられている。

SESAMEで問題が起きた。 ニューヨーク支店へのテレックスが、どうしても出ない事があった。 そこで、多額の支払いが絡むメッセージの時は使ってはいけないSESAMEを使った。 現実には、SESAMEによるメッセージで相手に着かないという事はほとんど無い。 「何通出しましたよ」と言って来る数が合わない事が度々あるが、それらは数え違いであるのがほとんどなのだ。 だから、SESAME経由でも、実際には心配はしていなかった。 テレックスというのは、特別な場合を除き、発信人と受信人が直接繋がって、発信人はアンサーバックにより相手を確認して送信する。 コンピューターによる自動発信の場合は、相手のアンサーバックを入力しておく事で、コンピューターが相手のアンサーバックを照合確認して送る。 SESAMEの場合にはメッセージをステーションに預けてしまう。 だから、出たかどうかは、「相手からの何通受け取りました」というメッセージが来るまでは確認出来ない。 その確認が支店によっては2・3日後になる事がある。

後で分かったのだが、この日のニューヨーク支店のテレックスは工事中で繋がらなかったのである。 SESAMEは、工事も、工事が終わる時間も知っていた。 だが、工事終了後送らねばならなかったメッセージを、引き継ぎミスか何かで送らなかった。 運が悪い日というのがある。 たまたま、このテレックスは、数億ドルの資金を動かすものであったので、大騒ぎになった。

そんなことが有ってから謙治の独断で、東京支店には何のメリットも無いSESAME送信を止め、各支店になるべく東京支店宛にはSESAMEを使わないように頼んだ。 本店から文句が有るだろうと申し開きを考えていたら、シンガポールもSESAMEを止めると言って来た。 そして、数週間後に本店からお叱りの代わりに、SESAME廃止の連絡が入ってきた。

大企業というのは、同業他社がやると「我が社も」と、その善し悪しを考える前に飛び付く様な所がある。 パソコンによる通信は、現在(1985年)では極当たり前になっているし、方法もたくさんある。 パリ国立銀行も随分早い時期から取り入れていた。 パソコン通信は、益々発展するものであろうし、後ろ向きに考える事ではない。 しかし、国際ネットワークを構築するという本店は、いささか乱暴である。 コストを考える事はしないで、いきなり専用線を引く事から始める。 アジア地区の中継地をシンガポールとし、パリからのラインが来ている。 オーストラリアの四支店と香港、ソウル、東京がシンガポールと繋ぐのであるが、少しでも節約したい東京は、香港へ伸ばして、その先は香港の線を使わせてもらっている。 それでも固定費用が専用線使用量その他で毎月60万円以上になる。

パソコン通信システムを導入した1987年は、まだ、テレックス全盛時代で、ディーリングルームを除いても、百万円以上のテレックス通信があった。 謙治はテレックスをパソコン通信に置き換える事により、専用線使用量を生かそうとして、サンプル・メッセージを本支店のたくさんあるメールボックスに送った。 ところが驚いた事に、全く使い物にならなかった。

本店のパソコン通信開発班は、装置の設置はどんどんやったが、教育はしてないのだ。 一応、説明書は送られていた。 謙治は、説明書がフランス語であったにも拘らず、研究し自分宛のメールボックスにメッセージを送る事でテストし、万全の体制で臨んだ。 新しいものにすぐ飛び付くのは、やはり日本人の特質なのであろうか。

テレックスは、着信すれば普通はプリントされる。 秘匿性を重視したパリ国立銀行のパソコン通信の場合は、受信者がボックスを開けなければメッセージを読む事は出来ない。 受信者がメッセージを読むと「ボックスナンバーxxは、メッセージを読みました」という短いメッセージが発信者に戻るようになっている。 そして、10日経っても受信者が読まないと「着信者は期限内にメール読みませんでした」という応答が来て、メッセージは取り消される。 謙治は、その「読みませんでした」という応答を、送信した内の90パーセントから受け取った。

無駄はパソコン通信だけでは済まされない。1990年になると電話とデータ用に専用線網を作る事になった。 回線の都合で、香港・パリ間は当分引けそうにない。 回線供給量が少ないのだそうだ。 シンガポール・パリ間も、それ程容量のあるものは引けないようであったが、東京・パリ間は、国際通信三社、KDD、IDC、ITJに十分余裕があったので、電話線に換算して32本分の回線256Kbを引いた。 ちなみに、この回線の月間使用量は日本側だけで300万円弱、パリ側でも同じような額を支払う。 設備には、また別にそれなりの費用がかかっている。 これは、東京支店が使う全国際通話料より高いのである。 ともかく、初めは地域が限られていたが、電話代を気にせずに架けられる様になった。 しかし、一般従業員に専用線を使ってもらうのには、大変な努力がいる。 専用線による電話の対地と番号表を、対地が増える毎に配るのであるが、ほとんどの従業員は、パリやロンドンに電話する事は極めて稀である。 配布されたメモを自分には関係無しとして処分してしまう。 たまたま、パリに電話の用が出来た時、メモを捨ててしまっている彼らは、専用線を使わずに架けてしまう。 パリ、ロンドン、ニューヨークは早くから専用線が繋がっているのだが、一向に通常の国際電話請求金額が減らない。 シンガポールへも繋がった。 しかし、これを使うのは、大変骨が折れるのである。 回線ルートは、東京からパリの交換機を通してシンガポールへとなる。 地上、海底ケーブルと違い、衛星回線では、地球が丸いからなのだが、東京・パリ間で2個の衛星を使い、音声は地球と衛星間を二往復する。 すると、どなたも経験がおありだろうが、声には遅れが出る。 東京・パリ間で一秒弱、シンガポール迄だと、あと一秒弱かかる。 東京からシンガポールへ約一秒半、帰りが一秒半、「ハロー」と言って返事が来るのに3秒強かかる、これには中々慣れない。 自分は慣れた積もりでも、相手がせっかちだと話しが出来ない。 結局、誰も使わなくなってしまった。

パソコン通信に使っている東京・香港間の回線を止めて、パリへの回線に収容することを本店に提案した謙治に返って来た返事は、「パソコン通信と電話はセクションが違う」であった。




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