1982年の夏の終わり。 遅まきながら東京支店もコンピューター化の始まりである。 一足も二足も前からコンピューター化されていた香港支店から、若いフランス人、グリオ氏率いる4人のEDPチームがやって来た。 ポルトガル人のオズモンド氏、香港中国人チャック氏と李嬢。 入国の手続き、住居の手配に始まって、様々な事の面倒を見るのは謙治の役目であったが、グリオ氏を除いた3人は、総ての面に於いて謙治を頼って来た。 昼食、買い物、そして休日の過ごし方。 初めの3ヶ月ほどは、謙治自身も楽しめる面が無かった訳ではないが、6ヶ月が過ぎ、7ヶ月になるともううんざりして来た。 香港中国人の2人は、不思議な事に観光旅行という行為そのものを知らなかった。 限られた地域、香港に生活していると旅行という概念が無いのかも知れない。 彼等はボーリングをやる事と遊園地へ行く事は大好きであった。 しかし、電車に乗って遠くへ行き、景色を見たり、旧所名跡を訪ねたりとなると理解出来ず、泊りがけなんて全く考えが及ばない様子であった。
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