優雅だった外国銀行

tonton

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2 コモタレブー
2005年05月02日(月)

「ヨーロッパの大きな銀行が、東京に事務所を開くから働いてみないか」友人に言われるまま、その友人の会社に埃まみれになっていた、オペル・キャピタンという少し大きい、しかし、ポンコツ車を借りて、羽田空港へ不安と期待とで入り交じった心を落ち着かせながら、着任するラボルド氏を迎えに行ったのは、1968年8月の幾分秋めいて来た夕暮れで、謙治は29才であった。

家庭の都合で上級進学をあきらめざるを得なかった謙治は、中学校を出てすぐ、蔵前の文房具店に丁稚奉公に入ったが、向学心旺盛で、特に好きな英語の勉強は、日に16時間以上に及ぶ厳しい労働環境の中でも、ほんの少しの時間を見つけては続けていた。 その後、英語学習のために何度か職場を変えたりしながら、辛うじて使える英語を身に付けることができていた。

いつもそうであったが、人でごった返している狭い国際便到着ロビーは、身長160㎝の謙治には決して居心地の良い場所ではなかった。 増してこの日は、これからの主人となるかも知れない人に、粗相があってはいけないのである。"Mr. LABORDE"と書いた札を一段と高く掲げた。

半分以上頭が禿げ、度の強い眼鏡を掛けた、太ってはないがお腹の出た中年の男性が近づいて来て、謙治の掲げている札に目を凝らしている。"Excuse me, sir but aren't you Mr. Laborde?" 大袈裟に安堵の表情を浮かべた彼は、「コモタレブー」と言いつつ、大きな手でぎゅうぎゅう謙治の手を握った。 あとで車のハンドルに置いた手が腫れぼったく感じた程であった。

ある程度英語に自信がついてから、謙治はアメリカの中堅の商事会社に2年程在籍した。その後、ドイツ人の家庭のドライバーを少しの間やっていた。 だから、10や20のドイツ語は分かる。これからはフランス語を勉強しなくてはと謙治は思った。

ラボルド氏は良く喋った、「モンテヴィデオに3年間いた。 日本は初めてであり、非常に興奮している。 ワイフと2人の子供がいる、住む家が決まったら呼びに行く。 おまえは英語が上手なのに驚いた、Banque Nationale de Paris はヨーロッパ最大の銀行であり、従業員を非常に大切にする。学歴なんか気にする事はない、実力第一だ。 だから、ぜひ、お前も私といっしょに働いたらどうか」謙治は、モンテヴィデオがどこに在るのか知らなかった。

帝国ホテルは工事中であった。 ライトの設計で有名な旧館を取り壊し、新館の建築中であったので、駐車スペースが無かった。 謙治はラボルド氏に、駐車スペースのあるホテルに移ってはどうかと申し出たが、彼の答えは簡単明瞭、「私は、一流ホテルに滞在しなくてはならない。 誰かが訪ねて来たり、又、人に滞在先を言う時、それは一流ホテルでなければならない」
近くにパレスホテルがあり、ちょっと離れれば、ずっと落ち着いたホテルオークラがある、と説明したものの、それが直ちに取り入れられる程、謙治はまだ信頼されてなかった。





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