ずいずいずっころばし
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2007年12月25日(火) |
老境とBuddhaとイエス |
『神谷美恵子日記』を何度も再読する。
25歳から亡くなる前の65歳までの間の日記であるけれど、著書の数々を書く上の苦悩と思索が書かれており、著書が出版されるまで、母として、妻として、生活者として、研究者として、文学者としての様々な役割を果たした上での血のにじむような結果だと知ることができた。
生涯をかけて自らの生きがいを懸命に追い続けてきた魂の記録はそうそうに読み終えるものではない。
46歳のときの日記には「生きているのが苦しいときあなたはどうするの?」という独り言をしばしば言う自分に気がつくとあった。 結婚生活の幸福のただなかでこういう独り言が無意識にでる自分をふと考えてみるという箇所があって、深く考え込んでしまった。
神谷美恵子さんは1935年、津田英学塾本科を卒業後大学へ進学、結核をわずらう。その後、アメリカの大学に進むが、日米開戦で帰国。27歳で東京女子医専に入学。卒業後精神科医になったときは30歳になっていた。多感な19歳のとき、ハンセン病患者の悲惨な状況をまのあたりにみて、医師を志したのだった。 当時死の病といわれた結核をわずらい療養生活を経験した神谷さんは死の病から生還でき、自分だけが癒され、生きていることに負い目を感じるようになった。 その負い目がハンセン病患者のために働くことを決意させる動機になった。
ハンセン病患者の中にも高い精神生活を送っている人を見出して、生きる意味、生きがいについてかんがえるようになったのだろう。
この日記を読むと深く思索し、研究、勉学し、己を謙虚に謙虚にいましめ、苦悩する姿に心が揺り動かされる。
41歳のとき、初期癌に侵されるがラジウム照射でくいとめたりという経験がある。 大学時代結核をわずらい療養生活を二度し、医師となってからはハンセン病患者の悲惨な状態を見、献身する中から生まれた著作には観念や筆先だけでない真摯な魂がこめられている。
神谷美恵子さんは十代のとき、キリスト教伝道活動をしていた伯父の三谷隆正氏の影響をうけたようだ。 ハンセン病患者に対して、「なぜ私でなくあなたが?」と思う底にはキリスト教的なものを感じる。
しかし、神谷さんは排他的で、キリスト教を唯一無二のものとする考え方には同調しなかった。晩年65歳(亡くなった年)の日記では (私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)と日記で述懐されていることに私は深い感慨をおぼえた。
科学者で難病に長い間苦しんできた柳沢桂子さんについてここであわせて考えてみたい。
柳沢桂子さんは1938年生まれ。コロンビア大学大学院博士課程修了。原因不明の難病による闘病生活が続く。生命科学者・サイエンスライターとして病床から啓蒙書を書き続ける。著書に「生きて死ぬ智慧」等がある。
柳沢桂子さんは生命科学者であり、神谷美恵子さんは精神科の医者である。 柳澤さんも難病に苦しんできた人であり、その病床から得たものから「生きて死ぬ智慧」を書き、般若心経についての著作をものした。
神谷美恵子さんは10代で結核をわずらい、40代で初期の癌を克服。57歳で狭心症。入退院を繰り返し、一過性脳虚血の発作などで14回も入退院を繰り返してきた。 最晩年はいつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えながら自伝を書いてきた。
神谷さんの最後の日記は壮絶。 「人を愛するのは美しい。しかし、愛することさえできなくなった痴呆の意識とからだはどうなのだ?だから愛せる者よりも価値が低いと言えるか。くるしみに耐えること、ことに他人に与えるくるしみに。」とある。 精神科の医者が一過性ではあるけれど脳虚血症を患ったことはいつ痴呆になるかと精神的に苦しんだことだろう。
(私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)
という言葉は私の胸に響いて去らない。
「なぜ私でなくあなたが?」と私はとうてい思えない。 反対に「なぜ私ばかりが?」と不満に思う私である。 だから「なぜ私でなくあなたが」犠牲になってくださったのかと思う神谷さんの精神的背景を知りたいと思ってきた。
長い人生の苦闘の魂の記録である「神谷美恵子日記」の最後のページは柳澤桂子さんの苦悶の末に行き着いたところとあまりにも似ている。
そして私が生死の境をさまよったとき、見たものは奇しくもBuddhaだった因縁を深く思う。
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