ずいずいずっころばし
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2005年10月17日(月) 黒髪とファムファタル(運命の女)

美容院で髪をカットしてもらった。
ばっさりと切りたいと思ったのに、美容師さんが惜しんで切ってくれなかった。変なの!
でも少し軽くなったので心も軽やかになった。女の髪は命・・・だなんて昔の言葉?
いえいえ、今も命とまではいえないけれど、たった1cmのことで一喜一憂するのが女。

また話が蒸し返るけれど、ラファエル前派の時代、あのファムファタル(運命の女)を描いたロセッテイの絵には秘密がある。
ロセッテイは女しか描かなかった。その絵の女性の髪はほとんどゆたかに垂らした長い髪である。キリスト教社会では女性は本来罪深い存在であり、長い髪は罪の象徴だった。したがって女性は人前では髪を結い上げ帽子やかぶりもので髪を隠さなければならなかった。その名残であろうか、今も正式な洋装姿は帽子をかぶる。皇室の貴婦人方をごらんあれ!
さて脱線したが話を戻そう。
つまり女性が髪をほどくのは寝室のなかだけだった。

すなわち、ロセッテイの絵の女性はタブーを破って豊かな髪をさらして魅惑している。
ファムファタル(運命の女)とよぶのにふさわしい光彩が画面から放たれている。

いかがであろうか?
「髪は女の命」ならぬ「女の武器」のようでもあって、なまめかしいではないか。

女の私から見ても実につやっぽい女の動作とは「髪を梳く姿」であると思う。
長い緑なす黒髪(?)を櫛けづる姿は実になまめかしく美しい。
茶髪に染めた傷んだ髪などおよそ色っぽさからは遠い。

漆黒の髪を束ねるためにピンをくちにくわえ、後ろ手にくるりと器用に束ねた髪を結い上げる姿はまさに「よくぞ女に生まれけり」と言いたくなる。

結い上げた髪のほつれが白いうなじに一筋ながれ、緋色の長じゅばんがはらりとはだけたりする。
品が落ちるかおちないかの瀬戸際の表現である。
これをあの与謝野晶子が美しくもろうたけた寝姿の詩を詠んでいてすばらしい。


        ひとり寝

夫の留守の一人寝に
わたしは何を着て寝よう。
日本の女のすべて着る
じみな寝間着はみすぼらし、
非人の姿「死」の下絵、
わが子の前もけすさまじ。

わたしはやはりちりめんの
夜明けの色の茜染め、
長じゅばんをば選びましょ。
重い狭霧(さぎり)がしっとりと
花に降るよな肌ざわり、
女に生まれたしあわせも
これを着るたびおもわれる・

(以下省略)

さて、ここでまた髪の話に戻すとしよう。
与謝野晶子の歌には「髪」の歌が多い。

その中でも有名な歌を引いて今日の日記のお開きとしよう。

・その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

・黒髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる





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