暴かれた真光日本語版
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2005年08月23日(火) 在ペルー日本大使公邸占拠事件 

在ペルー日本大使公邸占拠事件


日航123便墜落事故と真光
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1100318036/

75 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件1 投稿日: 2007/12/07(金) 11:03:44
事故・事件つながりでこのスレッドに記す。

在ペルー日本大使公邸人質事件

wikiより
在ペルー日本大使公邸占拠事件
1996年12月にペルーの首都のリマで起こったテロリストによる駐ペルー日本国特命全権大使
公邸襲撃および占拠事件。「在ペルー日本大使公邸人質事件」とも呼称される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E5%85%AC%E9%82%B8%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この事件に関して真光が主張していることを検証する


1.ネット上での噂

【奇跡】真光教団・御守護談を語ろう!
http://life.2ch.net/psy/kako/1025/10250/1025091854.html

13 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/06/30 19:57

勧誘されてます。
日航機墜落事故のとき助かった4人は全員手かざし受けていたときいた。
ベトナムで、組み手が水を汲みにいってる隙に村が襲われ全員死んだ。
組み手だけ助かった。
○国での大使館テロの話、監禁されている中に組み手がいて
皆に手かざししたが、1人だけ拒否した。その人だけ死んだ・・ETC

教団あげてこんなこといってんの?
それともオバチャンの創作?


76 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件2 投稿日: 2007/12/07(金) 11:04:50
道場長に質問しよう!
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1143383176/

82 名前:名無しさん 投稿日: 2006/04/30(日) 20:42:20
不思議なんですがね・・・
ペルー大使館での人質事件では、組み手が(手かざしを受けなかった一人を除いて)
人質を救ったと吹聴していたが、
その本人の体験談が真光誌には載っていなかったと記憶しています。
それだけのご守護と事件がなぜ載らないのでしょう????

素朴な疑問というより「嘘だからだろうなぁ」と私は思っています。


83 名前:魔光嫌い 投稿日: 2006/04/30(日) 21:53:04
82さん!私も聞きました、その話。人質の中に組み手が居て、皆に手かざしをして感謝
されたとか。一人だけ手かざしを拒絶していた人だけが亡くなった。という内容ですよね。
指導部長から聞きました。アンビリバボーでペルーの人質事件の特集もやりましたが、真光の真の
字も出ませんでした。真光誌に載ってないという事は嘘だからなのね。さすが真光!


77 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件3 投稿日: 2007/12/07(金) 11:05:50
137 名前:名無しさん 投稿日: 2006/08/19(土) 11:56:55
>>82-85
遅レスで失礼。初めにお断りするがこれは擁護ではないよ。

ペルー大使館人質事件の組み手の体験談は、真光誌で読んだ記憶があるよ。
覚えている内容は「手かざしを受けてくれない人が一人だけいた」
「率先して掃除をした」(「シフト表を作った」かもしれない)くらいだ。
あとはお約束の「人質になったのも己の過去世からの罪穢、曇り」や
「人質の救いのために神様が組み手を人質に入れたと受け取った」
みたいなものもあったような気がする。

問題の、
「一人だけ手かざしを拒絶していて、その人が亡くなった」は、あったのかもしれないが記憶無し。

私は他の人が書いていた「勉強会で、一人だけ手かざしを受けない人がいてその人だけ死んだと
いっていた」のは記憶がない。その時期ちょうど勉強会に出ていなくて人質事件に関しての話を
聞いていないのかもしれないし、出ていても私の拠の幹部が話題にしなかったのかもしれない。
複数の人からこの話しが上がっているのを見ると前者の可能性が大きいのかな。

真光以外の雑誌でも「人質の中に新宗教の信者がいた」と書いているのはあった。
月刊誌の寄稿文って感じだった。
あの事件を総括するもので、真光や手かざしを書くのが目的ではなかった。
そこには「新宗教の信者が(人質たちが気落ちしない様?)に雰囲気作りに努めていた」
という感じの事が書かれていたと思う。ソース出せなくてすまん。


78 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件4 投稿日: 2007/12/07(金) 11:08:40
2.崇教真光誌の記事

「日本大使公邸人質事件」での御守護記事あり。

崇教真光 424号(1998年1月号)
P.75 海外だより 「日本大使公邸人質事件」での御守護
報告 ラテン・アメリカ方面(ペルー国)リマ中道場 道場長 H・K

(抜粋)
……実は、百二十六日間にわたり囚われの身となっていた七十二名の人質の中に、
一人の神組み手がいらっしゃいました。ペルー国会議員のE・P氏がその方です。

……また、P氏は、百二十六日間の監禁期間中に、ほぼ全員の人質に手かざしを
されたそうです。
 ボリビア国政府がMRTAの解放を拒んでいたため、同国の大使は、当初武装
グループから様々な嫌がらせを受けておられたそうですが、お浄めを受けられることに
よって、段々とそのような迫害を受けることがなくなり、み光の素晴らしさに驚いて
おられたそうです。
 その他にも、Pさんが賜わられたご守護の数々は、挙げればきりがありません。
しかし、ただお一人だけ、最後までお浄めを許されなかった人質の方が、事件解決直前に
亡くなってしまわれたことは、大変残念なことでした--。


79 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件5 投稿日: 2007/12/07(金) 11:25:00
P76-79 人質としてのご神業体験
ペルー国リマ中道場E・P(写真入り)

(P77 抜粋)
……まず最初の取り組みとして、敢然と「真吠え」を実践させて頂きました。すると、
一人また一人とお浄めを希望する方が増えてきて、毎日欠かさずに三名の方々に
お浄めをさせて頂きました。

……こうして、監禁期間中に、ほぼ全員の人質に手かざしのお許しを頂きました。
しかし、どうしても手かざしを受けて下さらなかった方が一人だけいらして、
その方をお救い出来なかったことは、今でも残念でなりません……。


(コメント)
崇教真光誌では実名の道場長と組み手の議員をイニシャルにした。
ペルー軍特殊部隊の突入で亡くなられたのは特殊部隊隊員ではファン・バレル中佐と
ラウル・ヒメネス中尉の2人、人質ではカルロス・ジュスティ最高裁判事1人、MRTA
14人は全員死亡している。真光が話題にしているのは「人質」の犠牲者である。

道場長の文章ではお浄めを受けなかった人質が一人だけでその一人が亡くなったとは
断定しかねるが(受けなかった人質が複数いたとも取れる)、P氏が「どうしても手かざしを
受けて下さらなかった方が一人だけいらして」と体験談でいっているため、双方を併せて
一人だけ受けていない人=人質の(唯一の)犠牲者と主張している、といえる。

そこまで細かく見るまでもなく指導部長からそう聞いたという組み手の証言があるが、
形として崇教真光誌に残っているもので確認できたのは大事なことである。


80 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件6 投稿日: 2007/12/07(金) 11:30:49
3. 一般誌・一般書籍における人質の体験談

a. 文藝春秋1997年7月号
幽囚日記 八〇枚 我、ペルーの土と化すとも 青木盛久(前ペルー大使) P120-141
(崇教真光誌 E・P氏の体験談の後、広報部註で紹介あり)

P128
 食事が済むと、チェスや将棋を指すものもいたが、ゼミが始まることもあった。
ペルー人の国会議員の人質の中に日本の新興宗教の信者がたまたまおられて、
人質になった当初は手かざしなどをなさっていたが、彼の提案で、ゼミが始まった。
いくつものテーマで、代わる代わる講師になる。日本人の人質の方は、自分の企業の
活動状況を話したりする。いつも賑やかだった。語学講座と相候って、ペルー人、
日系人、日本人それぞれの文化交流が果たせたように思う。

P136
 ジュスティ判事が亡くなられたのは、爆発が起き、あわてて納戸に隠れたのが禍い
したようだ。流れ弾か、テロリストの銃撃によるものか不明なのだが、弾が足に
命中してしまい、出血多量で亡くなったとのことだ。手当てが早ければ助かっていた
かもしれない。

(コメント)
匿名で議員の手かざしが載っている。青木氏の書き方は、同氏が手かざしを受けて
いるように感じられない。これは後述の本「人質 ペルー日本大使公邸の126日」で
はっきりする。ジュスティ判事が亡くなられた状況について触れられていたのでそれも
抜粋した。
(ジュスティ判事の悲運については NHKスペシャル「ペルー人質事件」プロジェクト
『突入 ペルー人質事件の127日間』日本放送出版協会 1998年3月 ISBN 4-14-080365-7
 P21-23、P233 が詳しい)


81 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件7 投稿日: 2007/12/07(金) 11:39:54
b.人質 ペルー日本大使公邸の126日
青木盛久 Interviewer 岡崎久彦 クレスト社 1997年10月 ISBN4-87712-059-9

P88
 十時になりますと、私は大使館員の部屋に必ず行きました。私の次席の木本博之
公使とチェスをするのです。その横では、E・P議員が先生になって、スペイン語
教室を開いていました。初級コースは、若手の大使館員が、私の妻が〝積ん読〟し
ていたリンガホンのテキストを使ってスペイン語会話を習っていました。
 P議員は、実は日本のある新宗教の信者でして、よく人質たちにお祓いをしてい
ました。私は最後まで辞退したのですが、ペルー人の間ではたいへん評判がよく、
外務大臣も一度やってもらっていました。たいへん心休まるそうです。
 P議員は他の日本の民間企業の方にも、スペイン語を教えていました。差入れの
書籍の中に「リーダーズ・ダイジェスト」のスペイン語版がありまして、これを使っ
て読解をしていました。一日、三○分ぐらいやっていました。こちらは中級講座です。

(コメント)
文藝春秋の手かざしが御祓いに変わっている。こちらはE・P議員の実名入りである。
「私は最後まで辞退した」という青木氏が生還しているのだから、崇教真光の主張、
手かざしを受けなかった人質はたった一人で、その人だけが亡くなった、というのは
嘘である。


82 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件8 投稿日: 2007/12/07(金) 11:47:16
c. 人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件 齋藤慶一 文藝春秋
ISBN4-16-354270-1 (ISBN-13: 978-4163542706) 1998年7月

(コメント)
都合3回P議員の名が出てくるが同議員の信仰している宗教や手かざしには触れていない。
P議員に関する記述は、健康管理で血圧の測定が行われ当初は同議員が希望する人質の
血圧を測定したこと(P107)と語学講座の中級スペイン語の講師だったこと(P161)、講演会の
提案をしたこと(P162)である。齋藤氏が手かざしについて書いていないからといって同氏の
受光を否定できるわけではないが、載っていないということは指摘しておく。

d.ペルーからの便り 青木盛久 学生社 ISBN4-311-60134-4 1997年7月25日初版発行
第2部 リマ便り特別便 大使公邸人質事件
(コメント)手かざしの話題は無い。


4.まとめ
長々と書いたが短くまとめるとこうなる。在ペルー日本大使公邸人質事件において、真光は
人質の中に組み手がいて一人を除いて全員の手かざしをしたが、受光しなかった一人だけが
(武力突入で)亡くなったと主張している。しかし、組み手とは別の生還した人質がインタビュー
本の中で自分は最後まで手かざしを受けることを辞退したといっているので、それは嘘である。

参考文献
教団の御守護体験掲載号 崇教真光 424号(1998年1月号) P75とP76-79
教団外の人質の体験談 幽囚日記 文藝春秋1997年7月号 P120-141
人質 ペルー日本大使公邸の126日 ISBN4-87712-059-9 P88 
人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件ISBN4-16-354270-1 ISBN-13: 978-4163542706
ペルーからの便り 学生社 ISBN4-311-60134-4
NHKスペシャル「ペルー人質事件」プロジェクト 『突入 ペルー人質事件の127日間』日本放送
出版協会 1998年3月 ISBN 4-14-080365-7


83 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件9 投稿日: 2007/12/07(金) 11:58:13
5.付記 
手かざしに限らず、崇教真光誌で組み手の語る人質生活の様子と他の人質の手記を読み比べる
のも良いと思われる。たとえば当然のことながら崇教真光誌の体験談では、人質ではなく
自分の意志で残ったウィッチ神父のことや来邸するシプリアニ司教によるミサには全く触れていない。
ちなみにペルーは人口の95%がカトリックである。

人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件
P68
「私は、ここに残りたい。ここにいる人たちは私を必要としている。私は、人質の皆が
解放されるまで、ここに残ることを希望する」
 踊り場に集まっている残留者たちから大きな拍手が起こる。パシフィコ大学の教授である
ウィッチ神父だった。セルパは、一瞬沈黙するが、アラベと言葉を交わし肯いた。
 外の世界からみればウィッチ神父は人質の一人だったが、侵入者たちは、神父は自分の
意志によりボランタリーで残留しており、MRTAの意志ではないと明言する。従って、
神父は自分が公邸を出たい時には、いつでも自由に退邸出来た。だが、彼は、自分の言葉
通り人質全員が解放されるまで公邸に残ることになる。

P101
 シプリアニ司教が来邸して開くミサに、日本人の人質は当初出来るだけ参加した。信仰上の
問題でなく、人質の解放のために粉骨砕身の努力をしている司教に対する素直な感謝の姿勢と、
そのミサの中で得られる情報を取得したいという気持ちがそうさせた。
 他のペルー人人質のほとんどは信徒として参加しているが、その雰囲気の中で信仰を持つ意義も
感じることが出来たと私は思っている。人は皆「神の子」であり、神の手に委ねられるという
言葉は、今の私たちの境遇にピッタリだった。
 もっとも、その「神」はフジモリ大統領かも知れないし、侵入者の首魁セルパかもしれない。


また、組み手による手かざしよりもラジオ第1体操の方が人質たちの心身に好影響を与えたのでは
ないかという気もする。(ラジオ第1体操に関しては「ペルーからの便り」 P175-176)
ほかにも「リマ症候群」や人質の自治と秩序回復の速さなども目をひく。


日記作者