2009年12月10日(木) |
「がばいばあちゃん」のお話その5…「金持ちも貧乏も」 |
今週は最後まで、 「がばいばあちゃん」の紹介です。 あまりにも書くことがたくさんあって…(笑) 楽しい話や
「なるほど、ばあちゃん、 そうくるか〜」
さすが洋七さんのばあちゃんだ、 なんて感心することばかりで… 洋七さんの言葉もいいのですけどね。
今日は、以下の2冊の本からの紹介です。 おすすめの本ですよ〜
「がばいばあちゃん 幸せの教え」
「愛蔵版 佐賀のがばいばあちゃん」 ※この本には、カラーのイラストが書かれていて、 雰囲気が伝わってきていいですよ〜
今日は、昨日からの続きで、 ばあちゃんの言葉を中心に書きますね。 きっと、心に残る言葉があると思います。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 80〜81ページ」
「頭のいい人ばかりでも ビルは建たん。 例えば設計士が頭がよかった。 でも設計士ばっかりいても ビルは建たんよ」
だからって穴ばかり掘ってもビルは建ちません。 余計建たないすわ、そんなん。 社会ってのは色々な人が手を組んで、 はじめて上手にいくもんですわ。(略)
人間は何から何まで自分でできるわけがない。 だったら自分の不得意なことと 相手の不得意なことを助け合って、 楽しい人生を作り上げていけばいいと思うんです。
そうすれば、薄っぺな知識でできたものより、 すばらしい何かを作り上げることが きっとできるんですよ。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 107ページ」
「頭がええ人も、頭が悪い人も、 金持ちも貧乏も、 50年経てば、 みーんな50歳になる。 心配するな!」
ばあちゃんはいい言葉を残してくれたもんですよ。 本当に人生ってのは、いい時も悪い時も一瞬ですわ。 結局は、みーんな白髪が生えて、 最後にお墓にはいってさようならですもんね。
私も今から6年前、50歳の時に、 佐賀が中学の同窓会があってね。
安心しましたよ。 昔、頭が良かった子も、 金持ちのボンボンだった子も、 みんな50歳になってました。
これが、金持ちだけ42歳だったら ムカっとくるもんね。 頭がええ人だけが45歳だったら、 「くそ!私も勉強しとけばよかった」 って思うからね。 もう、みんな揃いもそろって50歳よ。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 112ページ」
ある時なんて集金に来た人とね、 ばあちゃんはこんなやり取りしてましたよ。
「徳永さーん、 集金に来ました〜」 「結構です」
言われた方も 「……はあ、そうですか……」 しか言葉を返せません。 「結構です」 なんて言われたら、取りようもありませんよ。 仕方ないから、集金の方は、 「じゃあ、また来まっさ!」 と帰るんです。 そうしたらばあちゃんは、 集金の方の背中に向かって、
「もう来こんでよか!」
って見送ってました。 私は腹抱えて笑いましたよ。
水道屋さんとのやり取りも面白かった。 集金に来た水道屋さんは、申し訳なさそうに、
「……すいません徳永さん、 水道代が3ヶ月溜まってますわ」
と言ったんですよ。 そうしたら、ばあちゃんは、 私の顔を見ながら首をかしげて言うたんです。
「そんなはずないな…… だってこの3ヶ月、 水なんか飲んだことないなあ」
わたしゃ、その言葉聞いて目が点になりましたよ。 でもばあちゃんに合わせなければ仕方ないんで、 「うん!」と言うしかありません。
飲んだよ、水は! 砂漠にいるトカゲやあらへんのやから! 3ヶ月も水飲んかったら、 エジプトのミイラになってしまいますわ。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 141〜143ページ」
「クラスの55人全部が 頭ええことないがな。 55人みんなが頭よくて、 学級委員になって、 東大行って、総理大臣になったら、 庶民は誰がやんの」
人間そんなもんですよ。 頭のいい人は疲れるのよ。 頭がええ人が素晴らしい人生とは限らんて。 国民のため、他人様のために頭を絞らにゃ いかんのですよ。 自分のことだけに頭絞って悩んでる 国民の方が幸せですよ。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 214〜215ページ」
ばあちゃんが万病に効く薬として 持っていたのは正露丸。 そして体温計。 家にあるのはそれだけでした。
今みたいにすぐに病院に行こうという 時代じゃありませんでしたしね。 まず私がお腹が痛いと言うと、 いつもばあちゃんは薬箱から正露丸を 一粒だして飲ませてくれました。 もちろん歯が痛いときも正露丸でした。 あるとき私が筋肉痛でばあちゃんに、
「脇が痛い」
と言ったら、
「脇の下に正露丸挟んどけ」
と言われました。 脇の下からものすごい臭いが漂ってくるんですよ。 でもその通りにすると、 脇の下がすーすーして効いたような気がするの。 熱がある時には、
「正露丸潰して額に塗っとけ」
と言ってましたね。 そうすると鼻の中の通りの良くなったんです。 一度、38度の熱を出したとき、 ばあちゃんは、
「大丈夫、 お前やったら40度は出せる。 がんばれ!」
と応援されたことがあります。 私は、 「出さなあかん」 と思って寝込みましたけどね。
■「がばいばあちゃん 幸せの教え 217ページ」
冬場のばあちゃんの手は、 アカギレでガッサガサになってました。 もうワセリンをつけたところでどうにも ならないくらい、ひどく ヒビ割れていたんですわ。
私とばあちゃんは小学校4年まで お風呂に一緒に入っていたんです。 ばあちゃんは私の背中をガサガサした手で 流しながら、
「ヘチマいらんやろ」
って言ってたもん。 ご飯の釜を洗うにも、
「タワシはいらんばい」
なんて、それくらいガサガサしてた。 本当に気の毒でした。 「寒い、寒い」と 布団にくるまって出てこない私に、 ばあちゃんは言ってました。
「“暑い”“寒い”とうるさく言うな。 夏は冬に感謝して、 冬は夏に感謝しんしゃい」
季節は移ろい変わっていきます。 そんなことも忘れて人は新しい季節がくるたびに、 いつも文句ばっかり。
ばあちゃんは次に訪れる春を楽しみに、 冬の寒さを耐えていたんでしょう。 そこにはやっぱり希望があったんでしょうね。
(ここまで引用)
最後に、 「「がばいばあちゃん」のお話その2… 「職業は掃除婦」」 で、書いたお話、 末娘の明子さんの結婚の話の続きを…
■「愛蔵版 佐賀のがばいばあちゃん 75〜76ページ」
花嫁衣装を着た明子おばさんが、
「お母さん、ごめんなさい。 家はボロボロだし、 アラタちゃんはいるし、 お母さんはトイレ掃除に行っていて、 私、恥ずかしくて… すみませんでした」
と、言った後、
「明子……」 ばあちゃんは、 自分も明子おばさんに 向かい合って座り、 そっとハンカチで 目頭を押さえています。
若く美しい明子おばさんは、 お金のない貧しい暮らしと、 知的障害児のアラタのいることが 恥ずかしくて、家を出て行ったのでした。
けれど、いざお嫁に行く時になって、 母親にあやまり、 生まれた家から嫁ぎたいという 思いから、花嫁姿で ばあちゃんの家に現れたのでした。
もちろん、そんなことがアキヒロに分かったのは、 ずっと後でしたが、お人形のようにきれいな 明子おばさんが、泣きながら手をついて あやまった姿と、気丈なばあちゃんの涙は いつまでも忘れることができませんでした。
(ここまで引用)
「がばいばあちゃん」本当に、 「がばいばあちゃん」 だと思いませんか。 しかもスーパーがばい!!
私は、がばいばあちゃんの本が好きで、 気分が落ち込んだ時など読み返します。 (ほとんど持っています(笑)) そして、ばあちゃんに元気ばもらいます。
今回は、がばいばあちゃんのがばいぶり、 ほんの一部分を紹介いたしました。 本当のがばいぶりは、本を読んでみてください。 ばあちゃんのすごさ、たくましさ、 楽しさ、ステキさがもっと伝わってきますよ。
そして、 「つまらないことをグチグチと言ってちゃいかんな、 もっと大らかにほがらかに生きなきゃね」 なんて思えてきます。 この本を紹介できたこと幸せに思います。 機会がありましたら、読んでみてくださいね。 だまされたと思って、ぜひ。
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