まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2009年12月07日(月) 「がばいばあちゃん」のお話その2…「職業は掃除婦」

今日も、昨日からの続きで、
島田洋七さん著作の
「がばいばあちゃん」からの
お話紹介です。

今日は、以下の2冊からの紹介です。
この2冊の本には、ほろりエピソードや、
いいわぁ、ばあちゃん!と笑えるお話が
いっぱい書かれているので、
ぜひ、読まんでみてください。
楽しい本ですし、読みやすいし、
元気がもらえますよ〜



「佐賀のがばいばあちゃん」






「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」






さて、この
「がばいばあちゃん」が
どんな人だったかというと…




1900年(明治33年)生まれ。
(91歳で大往生)
名前はサノさん。
割合裕福な家に育ち、筆達者。
きちんと教育を受けていた(らしい)

そして、13歳年上の
自転車を営んでいたじいちゃんと、
結婚するまでは、陸軍大将さんの家で、
お手伝いさんをしていて、そのとき、
非常に厳しく礼儀作法などを教え込まれ、
その故、貧乏でも凛として品があったという。
そして、かなりの美人さんだったとか。



この自転車屋のじいちゃんとの間に、
5女2男をもうけるも、
42歳のときにじいちゃんが亡くなる。
美人だったので、再婚もあり得たが、
7人の子どもがいたため、再婚より、
果敢に先頭立って働くことを決意したと言う。

(ばあちゃん、かっこいい!!)



洋七少年が預けられたときは、58歳。
もちろん、まだ現役で働いており、
上の女の子2人は働きにだしたものの、
下の3人の女の子は高校まで、
長男は、大学まで行かせ立派に育て上げていた。

ただ、7人目の末っ子(アラタちゃん)は、
3歳のときの事故が原因で、脳の成長が
とまってしまった知的障害児で、
洋七少年が預けられたときは、
14.5歳で家におり、
この3人が一緒に暮らすことになる。

さて、このばあちゃんが、
何をやって働いていたかというと、



「佐賀大学付属小・中学校、大学の
 職員室とトイレ掃除をする掃除婦。
 朝4時起きで、78歳まで現役。
 休まず、丁寧が売り」




このばあちゃんの職業は、
こんなだったそうです。



■「笑顔で生きんしゃい〜
  30〜33ページ)」



 佐賀大学と附属の小・中学校で、職員室と、
 トイレを掃除するのだが、大学以外のトイレは、
 始業前に終えておかなければいけないから、
 朝は、遅くとも4時起き。
 それに、トイレの床はコンクリート敷きで、
 底冷えがするし、まだ水洗じゃなくて
 くみ取り式だったから匂いもある。

 しかも、今ならある電動ブラシなどもない。
 かなり強力そうな薬品をまき、柄のついたブラシで、
 ゴシゴシと根気よく磨かなければならなかった。
 俺が小学校の頃なんて、まだゴム手袋もなかったから、
 あっというまに手がガサガサになったものだ。


 もちろん、個室もひとつひとつ丁寧に
 磨きあげて行くのだが、小さな子どもが
 使っているところもあるから、
 粗相で汚れていたりして、本当に、
 よほど根性がなければできない仕事だった。


             (ここまで引用)



ばあちゃんは、この仕事を毎日休まず続け、
子どもたちを立派に育てあげたのです。

この時代、この掃除をやって、
いくらもらえたのかわかりませんが、
このきつい仕事をやり続け、極貧でも、
7人の子どもを育てあげたばあちゃん…
しかも、明るく、めげずに。




やっぱり、
スーパー「がばい」ですね。
本当に見習いたいです。





ある時、広島にいる母親から
少しばかりのお小遣いをもらった洋七少年が、
ばあちゃんに誕生日プレゼントについて
聞いたら、こう答えたそうです。



「ばあちゃん、
 誕生日プレゼント何がいい?」
「プレゼント?
 手伝うてくれんか」




買ったプレゼントより、
掃除の手伝いをして欲しいということでした。
そして、手伝った後、ばあちゃんは、



「ラクね〜」
と、すごく喜んでくれ、
その笑顔をみて、
「これが何よりのプレゼントなんだな、
 高価なプレゼントなんか贈らなくても
 喜んでもらえるのだ」
と思ったということでした。




それから誕生日プレゼントは、
毎年掃除の手伝いになったとか。

また、こんなほろりとした
エピソードも書かれています。




■「笑顔で生きんしゃい〜
  122〜123ページ)



 ばあちゃんの一番下の娘、明子おばさんは、
 俺が佐賀に預けられた時は、まだ未婚だったにも
 関わらず、ばあちゃんの家にいなかった。

 喜佐子おばちゃんの家に住んでいたのだ。
 子どもだったので何とも思わないでいたが、
 明子おばちゃんの婚礼の日のことだった。

 婚礼衣装でおばあちゃんの家に現れた
 明子おばさんは、
 頭を畳にこすりつけんばかりに手をついた。



 「お母さん、ごめんなさい。
  家はボロボロだし、
  アラタちゃんはいるし、
  お母さんはトイレ掃除に行っていて、
  私、恥ずかしくて…
  すみませんでした」




 明子おばさんは、喜佐子おばちゃんのところに、
 家出していたのだった。
 美人揃いと評判のおばさん達の中でも、
 明子おばさんは際ってキレイな人だった。
 頭も良かったらしく、勤め先は県庁。
 娘盛りの明子おばさんが、
 ばあちゃんの家に住んでいるのは、
 辛かったのだろう。

              (ここまで引用)



ここからは、私の推測だけれど、
ばあちゃんは、明子おばさんの気持ちを
ちゃんとわかっており、許していたと思う。

しかし、そんなことを
気にしてはおれなかったし、
そんな余裕もなかったのだと思う。
生きていくのにいっぱいで。



こんなことも心にしまいつつ…
掃除一筋で働き続け(78歳まで)
明るさを失わなかったばあちゃん。
本当に「がばい」だと思いませんか?




明日は、このがばいばあちゃんの、
楽しいエピソードを紹介しますね。
これからが、本領発揮です。





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