まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2009年10月22日(木) マザー・テレサの話…「美しい死」

今日も本からのお話の紹介です。
昨日までは、くすっと、笑っていただきましたが、
今日は、一転、
「死」にまつわるお話です。
それは「美しい死」についてで、
私の心に深く深く響いたお話です。
衝撃を受けたといってもいいかもしれません。

今日の「死について」のお話にも、
つきあっていただければ幸いです。




今日のお話は、先日も紹介した、
私の心から尊敬しているシスター、
渡辺和子さんの本からです。




「目に見えないけれど大切なもの」









■「美しい死」


美しい死で思い出すのは、
マザー・テレサのことである。




1984年来日の際のことであった。
聴衆に話し終えられたマザーに
1つの質問が投げかけられた。
その男性は、自分はマザーとその仕事に
深い尊敬を抱いていると前置きした後、



「1つ腑に落ちないことがある」


と言うのだった。



「あなたのところでは、
 医薬品も人手も不足がちだというのに、
 なぜその貴重なものを、
 生き返る見込みのある人にではなく、
 与えたところで、
 死ぬに決まっている瀕死の人々に
 与えるのですか?」




言外には、
「無駄ではないか」
という素朴な疑問があったと思う。



マザーの答えは、
はっきりしていた。





「私たちの『死を待つ人の家』に
 連れてこられる人々は、
 路上で死にかけている
 ホームレスの人々です。

 彼らは、私たちの『家』で、
 生まれてから一度も
 与えられたことのない
 薬を飲ませてもらい、
 受けたことのない優しく、
 温かい手当を受けた後、
 数時間後に、
 人によっては数日後に
 死んでゆきます。

 その時に彼らは、
 例外なく
 『ありがとう』
 といって死ぬのですよ」





マザーがいいたかったのは、
望まないで生まれ、
人々から邪魔者扱いされ、
生きていてもいなくても同じという思いで、
数十年間生きてきた人々、
自分を生んだ親を憎み、
冷たい世間を恨み、
助けの手を差し伸べてくれなかった神仏さえも
呪って死んでもいいような人々が、
「ありがとう」
と、いまわの際に感謝して死んでゆく。
そのために使われる薬も人手も、
これ以上尊い使われ方はないのではないか、
ということだった。




話し終えたマザーは、
感にたえたように、




“It is so beautiful”
(それは本当に美しい光景です)





とつぶやき、その後で静かに、




「人間生きることも大切ですが、
 死ぬこと、
 それも良く死ぬことは、
 とても大切なのです」





と、言われたのであった。
通訳をしていた私は、
あの異臭の漂い、ハエの飛び交う、
粗末な建物の中での、“美しい死”
みじめな一生の最後に、
“尊厳”を身にまとって死んでゆく人々の
姿に教えられた思いであった。(略)



             引用ここまで




生前、たいそう恵まれた生活、
あふれんばかりの豊かな生活をしながらも、
死に際においては、人を心底恨んだまま、
あるいは、遺産の心配ごとを抱えたまま、
苦悩のうちに旅立つ人もいれば、

このお話のように、
どんなに惨めな生活をし、
何もかもなくしたような生き方でも、
人を恨んでも、神仏を恨んでも、
こうして、「ありがとう」
を言って死ねる死に方があるのだと、
本当に衝撃を受けたのでした。



死に際の、その
「ありがとう」は、
本当に…本当に…
心のこもった心からの、
「ありがとう」だろうと
思うのです。




そう言われることをやり続けた
マザー・テレサのすごさに手を合わせ、
そう言って死んでいける人々に、
ほっとした思いを持ったのでした。

そして、
この話を読んでからというもの、
(数年前に、身内のある壮絶死に
 向き合った衝撃もあるのですが)
「死について」「死にざま」について、
本当に、考えるようになったのでした。
そして、今は、こう思っています。



「せめて、
 精一杯生きて、
 良く死のう」と。






最後に、シスター渡辺は、
こう言っておられます。



「“今”に心を込め、
 ていねいに生きたからといって
 必ずしも、“尊厳ある死”を
 迎えられるとは限らないということは、
 反対に、相当いい加減の生活をした
 挙げ句の果てに、
 すてきな死にざま、
 “美しい死”を
 迎える可能性も示唆する。

 繰り返していうが、
 私たちの生き方が、
 そのまま死に方になるという保証はない。
 生涯をハンセン病者のために働くことに
 捧げた立派な方が、
 たいそう惨めな最後を
 お遂げになったという事実もある。

 わからないから
 「いいかげん」に
 生きてもいいではないか、
 というのも、一理なら、
 わからないからこそ
 「ていねい」に生きる、
 というのにも一理がある。
 私は後者を選ぶ」





みなさまは、どんな感想をお持ちに
なられたでしょうか…
今週は、本からのお話の紹介でした。

来週は、
またいつもの道ばたのお話になります。
この間にも、いろいろみつけてましたので。
どぞ、よろしくです。<(_ _)>





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