最近仕事がらみでよく行っている街に、 ネコたちがいっぱいいる通りがある。 私は勝手に「ネコ通り」と名付けてそこを 通るのを楽しみにしている。
ほら、こんなふうに、 商店街にネコたちがいる。
そして、通りの真ん中で、 堂々と寝そべったりしているのだ。 この通りは、車両規制されているらしく ほとんど車が来ないし、来ても、ゆっくりと走っている。 そして、このネコたちにみんなが声をかけていく。
もちろん、ここにいるネコのほとんどは 野良ネコたちで、決してきれいなネコたちではない。 にもかかわらず、とても幸せそうなのだ。 のびのびとしていて、人間を怖がらないのだ。 といって、すりすりしてくるという感じでもなく、 お互いが適度な距離でいるって感じなのだ。
このすぐ近くのお宅で、 こんなふうに、日だまりの中で、 とっても幸せそうに、 丸まって寝ているネコもいる。
このネコを見るといつも 「これが、本当の幸せと いうのではないか、 何も持たず、何にも執着せず、 今、このときを 幸せに過ごしている… 幸せそうだなぁ…」
などと、思うのだった。 それほど、幸せそうに見えるのだ。 なので、私はこの通りを通るのが好きで、 仕事があった日は、必ずこのネコたちを 見て帰るようにしていた。
そして、先日、 このネコたちがどうしてこんなふうに 共存できているかがわかったのだ。
いつのもように、この通りに入り、 ネコたちを見ていると、ちょうど、 ネコたちのご飯の時間になったようで、 一軒のお宅の入り口にネコたちが集まっていた。
「ご飯の時間かな? みんな待ってるね」
などと思い、写真を撮っていたら、 突然、その入り口のドアが開き、 中から男性が出てきた。 私は、あわてて、カメラをさげた。
というのは、東京では、 野良ネコにご飯をあげてる人を写そうとすると、 嫌がられることもあるのだ。
その背景には、近所の方々から、 「野良ネコにえさをあげる人」 ということで、迷惑がられていて、 嫌がらせをされることもあるからだ。 だから、写真を撮るときには、必ず、 断ってからにしないといけないのだ。 そこで、私は、この男性に声をかけた。
「ご飯の時間ですか?」 (だいたいこの返事いかんで、状況がわかる)
すると、男性は、
「うん、そうだよ、見てく? こっちでご飯をあげるから」
と、かなり気さくに言ってくれたのだ。 そして、ご飯をあげる場所に案内してくれた。 写真も許可してくれた。 それは、商店街に面した店の一角で、 まるで、ネコさんの家って感じだった。
こんな感じでご飯をあげていた。 ネコたちは、自分のご飯の順番を ちゃんと待っていた。
そんな風景を見ていたら、 この男性が、こう言った。
「子ネコもいるんだよ。 見る?今からご飯あげるから」 「え、子ネコもいるんですか? 見たいです、見たいです」 「じゃ、こっちにいるよ」
ということで、 他の家の横脇に案内してくれた。 すると、確かに小さな小さな子ネコが 3匹ほど、ぴょんぴょんしていた。 私が近づくと、いなくなってしまったけど、 何とかこの子だけ、写真が撮れた。 ほら、こんなに小さくてかわいい。
私が写真を撮っていると、 おばさんが声をかけてきた。 私は、また警戒して、カメラをさげた。 すると、おばさんはこう言った。
「子ネコがいるでしょ。 かわいいね… みんな避妊手術をしているんだけど、 どうして、生まれちゃったのかしらね。 どのネコが母親なのかしらね〜」 「あ、全部避妊しているんですか… また、どこからから来たんでしょうか、 避妊してないネコさんが?」
すると、このおばさんは、 こう教えてくれた。
「そうかもね。 この辺りでは、 ネコたちを いじめる人いないからね、 ネコたちも、こうして 生きていけるのよ。 みんなね、 見守っているの」
なるほど、この街では、 商店街の人も、近所の方も、 このネコたちを静かに見守っていて、 だから、ネコたちも幸せそうで、 あの男性も、ご飯を堂々とあげてもよくて、 写真を撮ってもいいのだった。
もちろん、 全部の方々が認めている訳ではないと思うけど、 しかし、ネコたちがこうして生きるのを、 誰も、じゃまをしたり、いじめたりは しないようだった。
私はとても嬉しくなり、堂々と、 子ネコの動きを見たり、 ネコたちのご飯を食べるところを見てきた。 そして、心の中で、
「よかったね、 この街で…」
と思ったのでした。 というわけで、しみじみ、 動物とうまく共存できる街って、 いいなぁ…と思ったのでした。
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