2008年03月12日(水) |
この「おことば」の意味、わかりますか? |
今日は、ありがたい「おことば」の紹介だ。 (以前紹介した話は↓ 「やや難解な…ありがたい「おことば」たち」) このあたりは、お寺や教会が多く、 「おことば」を掲示板に貼り付けてあるのだ。 私は、この「おことば」を見ることも 楽しみの1つとしている。
まずは、 いつものこの教会のおことばだ。 今回は、これだった。
「そうだね、そうだね、 その通りだね」
思わずうなづいた「おことば」だった。 人は、何かがないと、 今のすばらしさを実感できないからね、 だから、時々、何かがあるんだよね、 なんて、思ったのだった。 これは、とてもわかりやすい 心に入ってくる「おことば」だった。
しかし、次は、 相当難解だった… はっきり言いましょう、 私には意味不明、 全然、わかりませんでした。
それは、この「おことば」だ。
「無量寿」に帰し 「無量寿」に立ち 「無量寿」に生きる
あの〜 すいませんが、 「無量寿」そのものが わからないですけど…
あまりにわからなかったので、 帰ってきてから、調べてみた。 例えば、こんなふうに書いてある。
「阿弥陀如来のことを無量寿如来とも称するが、 その「無量寿」とは、周知のように、 「無量なる寿命」という意味である。 これまで仏教における「いのち」とは「寿命」と いう意味であると、このコラムにおいて指摘してきたが、 その意味で、「無量なる寿命」とは 「無量なるいのち」ということになる。(略)
阿弥陀如来の無量なる「いのち」とは、 私たちを「本願を信じ念仏もうす身」とせずには おかないという如来の大悲に他ならない。 常行大悲・大悲無倦常照我なる大悲のはたらきが、 無量寿如来の「いのち」である。」 「無量寿如来の「いのち」」より
あの〜 引き続き、 さっぱりますます、 わからないんですけど…
無量って、何ですか? (辞書によると、無量の意味は、 はかり知れないほどに多いこと。 数知れないほどあること、とある)
周知のように、ってあるけど、 全然周知してませんでした、 すいません…
そこで、さらに、調べてみると、 ともかく…「無量寿」は、 「量り知れない寿命」という意味らしい。 では、その「量り知れない寿命」がどうなんだ、 というと、あれこれ調べて、 こんなことかな、と思ったことをまとめると、
「無量寿とは、無限の命、時間的無限をも意味する。 つまり、阿弥陀如来は、無量寿如来とも呼ばれるので、 空間的にも時間的にも無限の仏で、 私たちの救いの声を、いつでも、どんな場所でも、 聞き届けて、私たちを救おうとしてくれる。 だから、いつでも仏様と私たちは一緒にいる、 ということを忘れてはならない」
ということらしい… (でも、違う意味かも知れないなぁ。 信じないでくださいね) で、
「無量寿」に帰し 「無量寿」に立ち 「無量寿」に生きる
というのは、どういうことか… というと…
あ、やっぱり 全然、さっぱり、 It does not understand. わかりませんでしたっ。 すいません。
お寺の掲示板に貼られるのは、もう少し、 わかりやすいのがいいなぁ…なんて 思ったのだった。
今度、いつもいろいろと教えてくださる、 お寺さんの住職に聞いてきます。 また、わかる方がいたら、 ぜひ、教えてください。 <(_ _)>
さて、すっかり、 難しい問答をしてしまったので 頭が混乱してしまった。
こんな時には、こんな「おことば」が いいかもしれない。 これは、とあるお寺さんの塀に 貼ってあった「おことば」だ。
「そうだね、なにかと、 ついフラフラと ついてっちゃ、ダメだよね」
なんて、素直に思ったのでした。 昨今は、すぐについて行く人が多くて、 事件が多いから、すぐに ついていってはいけないのだ。 ね。
というわけで、今日は「おことば」の 紹介でした。
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