2008年02月27日(水) |
六本木で見つけた「ひぇ〜」なものたち |
先日、六本木に住んでいる友人と会ってきた。 以前、ドンキホーテの屋上「絶叫マシーン」の 反対を運動をしていた友人で、その後も気になったので、 そんな話も聞きながら、久しぶりに六本木で お茶などしてきたのだった。
しかし、六本木という街は、 いろいろなものがあるんですね。 (いろんな人もいるしね)
今まで気が付かなかったけど、 じっくりと歩いてみると、 ほぉ〜、とか、ひぇ〜なんていうものが いっぱいありました。 今日は、その1部のご紹介。
まずは、ドンキホーテの 「絶叫マシーン」の残骸だ。 こんなふうに、 ツノのように残っていた。
どうやら、 撤去はしないらしい。
9階くらいの高さにあるのではないかと思う。 こんな高いところで、「絶叫」されても困るし、 この上で、ジェットコースターのようのものに、 乗るなんて、私にはとても考えられないことだ。 (遊園地の乗り物恐怖症なのだ)
ドンキホーテの裏側は、お墓でもあるし、 (六本木の街には大きな墓地がある) やっぱりこれを阻止してよかったと、 友人は言っていた。 その後、ドンキホーテは別に何事もなく 店を開店させ、今は、街になじんでいるらしい。 友人も、時々行くようになったと言うことだった。
さて、友人と、 六本木の街をぶらぶらと散歩していたら、 こんな店も見つけた。 かなり有名なカラオケ屋さんらしい。
電極につながれたこの女性も 張り切って歌うのだろうか。
でも、これも、 ちょっと怖かった。
友人と「今度入ってみようか」 などと言う話にもなったが、今回はやめた。 また「いつか」かな。 そんな「いつか」がくればだけど…。
さて、さらに歩いていくと、 意外なものを見つけた。 それは、ひっそりとあった。 六本木の交差点に。 ほら、これだ。
もっと近づいてみると、 こんなだ。
で、これが何かと言うと、 そのものずばり 「奏でる乙女」だ。
六本木の今の街には、 とても不釣り合いに見えるが、 大交差点に、人知れずひっそりといるのだ。 友人は六本木住人だが、 「知らなかったわぁ…」 などと言っていた。
「こんなところにあるのは、 何となく気の毒だね…」
などと、友人と話しあった。 家に戻ってきてから、 インターネットで調べてみたら… やっぱり、気の毒なことになっていたことがわかった。 (詳しくは、こちらの「札幌彫刻美術館」を見てください)
どうやら、こんなことがあったらしい。 簡単に抜粋してみた。
「「奏でる乙女」は、1954(昭和29)年東京の六本木に 戦禍のあとを一掃する区画整理と道路拡張工事が 一段落したときに設置された作品です。(略) 戦争によって焼け野原となった六本木が、 9年を経て経済的な復興の兆しが見え、精神的な豊かさを 望む余裕を持ち始めた証のような清々しく魅力的な 作品だったのではないでしょうか。
しかし、復興と平和のシンボルであった奏でる乙女は、 急速に変貌する東京の街中でなかなか安住の地を 得ることができませんでした。 1956(昭和31)年の地下鉄工事のために、 近くの三河台公園に移転を余儀なくされました。 しかも、街灯もない公園のために しばしば心無いいたずら絶えず、 いつしか腕とギター部分を壊されてしまい、 一時人々の心から忘れられてしまいました。(略)
その後、奏でる乙女は昔の姿を懐かしむ人々の 強い希望でほぼ同じ形で修復されることとなり、 初代制作者の本郷が依頼されました。 二代目の材質はコンクリートより堅牢な ブロンズになりました。 現在の六本木に交差点に移転したのは1975(昭和50)年でした」
ということで、 歴史ある彫刻であり、 今でも、懐かしむ人々のために、 この交差点にひっそりと いるのだ…
その後、友人にこの話をしたら、 友人はいたく感動し、
「今まで、待ち合わせ場所は、いつも 交差点の近くにある「アマンド」でしていたが、 (だいたいの人がここでする) 今度からは、この「奏でる乙女」前でする」
などと言っていた。
みなさまも、もし六本木に行く機会があれば、 アマンド側でなく、交番側の交差点の前に、 この「奏でる乙女」がありますので、 ぜひ見てあげてください。 「復興と平和のシンボル」です。 そして、声をかけてあげてください。
「毎日、ご苦労さま」
とかなんとか… 私も、今度六本木に行った折りには、 そう声をかけようと思っています。 というわけで、六本木の紹介でした。
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