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2011年06月30日(木) 両極端子


『両極端な人だな。』

と昔からいろんな人に言われる。
そして私自身でもそれは間違った評価ではない。と思っている。
(全てにおいてその基準だけで評価されるのは困るが)
だから言われた時は私も概ね『そうよ。』と答える。

デジタル思考で、1か0か、AかZか、二択かつ両極端。
妥協案や中途半端な選択肢を良しとしない。
一見融通が利きそうに見えて、実は不器用で頑固な思考なんだと。

先日、改めて「そうだな」と思うことがあった。
抽象的に話をするなら
30センチの物差しを持っていたら、
皆はちゃんと、1mm、5mm、1cm単位に目盛があるのに、
私の物差しは「目盛がない」らしい。
つまり、0cmか30cmしか計ることしか出来ない。
そりゃ物差しじゃなく板だ、板。

例えばストレスの話に置き換えてみる。
ストレス受け用の「器」を皆それぞれ持っていたとする。
目盛がある皆の器は、ストレスがどれくらい溜まっているかわかるから
「あ、疲れてるな」「あ、やばいな」とその都度気付く。
ところが、私の器は目盛が無い。だから
「器から溢れる」ことでしか、その限界を知り得る方法が無いらしい。
だから気が付いた時には既に取り返しのつかない状況なのよ。
一見ストレスフリーに見えるだけで、しっかりと皆と同じ分だけ蓄積されている。
でもどんだけ溜まってるかわっからせんのよ。

例えば対人関係の話に置き換えてみる。
人に対して何か気になること、不快になること、嫌な部分が目に付いた時、
一定の目盛に達していなければ、笑って許せるようなことでも
一定量蓄積されれば、何らかの形で注意を促すであろう。
目盛があれば、目盛に達した時点で注意や警告とそのレベルに応じての対処が出来る。
限界点に達する前にチョイチョイ注意を促し、それで円滑なコミュが図れるのであれば
むしろ互いにとってもメリットである。
ところが目盛の無い私は、一見「すんごい度量の広い人」と思われていながら
一度許容量を超えてしまうと、修復不可能なくらいその人のことを嫌いになることがあるらしい。
いつまでたっても目盛に達しないから、もんのすごく長い期間笑って許し続け、
ある時「もうこの人ダメだー」と思ってしまったら、それはもう本当にダメな状況だったりする。

ああ、面倒くさい性格やなぁと…自分でも思う。
これじゃぁ広く浅い人付き合いしか出来んのちゃうか?と思ってしまったり。

元々「猪突猛進」的な思考回路の持ち主で
しかも、私自身それが生半可にわかっちゃってるモンだから
「ダメダメ一方通行な考え方をしちゃぁいけない!」
と自分に言い聞かせてしまい
ある一つの考えを思い浮かべたら、自動的に「その対極的な意見」も用意してしまい
あとは猪突猛進と中途半端によく回る頭の力で
その二つの意見がひったすら違うベクトルの方向へもんのすごい勢いで脳内を突っ走っていく…
はい、両極端の出来上がり。

という、自分なりの分析。
書いててようわからんくなってきたからこの辺で、おやすみなさい。


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