チャックルの日記
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2005年06月01日(水) 去年の昨日、去年の今日

去年の昨日は病院に初めて行った日。

看護師さんの予備診察と言うのか?先生に診ていただく前の診察から早くも涙。
そしていよいよ先生とご対面。聞かれるままに話し始めてから5分と経たないうちから涙涙。。。

結局正味1時間くらいだったかな、最初から最後まで泣きっ放しだった。
先生曰く「途中で感情が高ぶって泣く人はいるけど、貴女みたいに泣きっ放しの人はいない」。

そ、そうなんだ。でも辛かったんだもん。人手不足でトラブル続きの仕事のこと、自分勝手な後輩のこと、厳しすぎる上司とのこと、年明けから続いた激務・精神的苦痛、4月からの環境の激変・・・
それらを思い出してそれをまた口に出すのがほんと、辛かったんだもん。

「診断書、出すからね。要らないと言われても出すからね。それを会社に提出するかどうかは貴女の自由だけど、持っているだけで気持ちが楽になるから、診断書は出すからね!」

実にいい先生だ(T_T) 自分で自分を褒めてあげたいのは、この先生を捜し当てたこと。
この直感に自分自身感謝!

その当時の私の状況は、「コップから水が溢れ出してしまった状態」とのこと。自分のキャパを優に超えてしまっていたんだね。体よりも心が疲れきってしまったんだそう。



そして去年の今日。上司と部長と面談し、診察の結果を報告するだけのつもりが、上司が席に座るや否や「診断書見せて!」(同じ女なのにいつも羨ましいぐらい強気だ・・・。)

見せるつもりがなかった=休職するつもりのなかった私はその一言に面食らったね。しかし有無を言わさない一言に圧倒され、職場に取りに戻ったときの情けなさといったら・・・(;_;)

『病名:心因反応 一ヶ月の自宅療養を必要とする』と書かれた診断書を提出してから話し合いが始まる。

「仕事上、解決していないトラブルも抱え、新人を育てている今は休めない。」と言い張る私に、最終的には「仕事も大事だけど、自分を大切にしなきゃ。」との部長の一言で不承不承休職を決意した私。

その後パパに休むことになったことを報告したら、「バカだなぁ!ブラジル行きの準備があるのになんで安易に休むなんて言っちゃったの?!」と怒られ、思わず電話口で叫んだ「だって休みたかったんだもん!ブラジルにも行きたいけどそれよりもとにかく休みたかったんだもん!!」

情けないけどそこで初めて自分が休みたがっていたことを実感した。
上司達の前では「休めない」なんて言ってたけど、ほんとは自分自身は休みたかったんだ・・・自分の本音って意外と自分でも気が付かないものなんだって事を改めて知った。

その日は「何事もなかったように退社して」と上司に言われたように、仕事は通常通りに片付けて、簡単な身辺整理だけしてその日も10時に上がった。

先に帰ったIちゃんが、「突然辞めるようなことだけはするなよ!」と笑いながら励まして(?)くれたのが懐かしい。「そのうち二人で外でお茶出来るようになったらいいね」と話したのがまさか私達の最後の会話になろうとは・・・。



こうして思い返してみると、あの頃は本当に辛かった。よく耐えたと思う。『心因反応』で済んだのが不思議なくらい。ま、原因は仕事絡みである事は明白だったわけだから、休んでしまえばある程度は解決したようなもの。ただ、疲れきった心を回復させるためには時間が必要だってこと。

それにしてもその時間に費やされたのが1年とは・・・(正確には一年以上、だね。まだ復職の目処たっていないし)。
同じ先生にかかっている彼が先生に質問したところ、この手の病の回復基準は『年単位』だそうだ。はぁ〜。

まあ、人によるそうだけどね。うつ病で私より遅れること3ヵ月後に休職したIちゃんは4ヵ月後には復職しようとしていたわけだから、うつ病でもない私はやっぱり時間かかり過ぎなのかな。でも、薬の量とかにもよるよね。私は最低限しか飲んでないらしいからさ。



で、一年経った今日は昨日に引き続いて調子がいい(^_^) 朝起きてから眠気もなく、午前中はパソコンいじって午後は彼が遊びに来るまで食器棚の整理とか細々したものの片付けとかして、夕方からは親に誘われて外食。一昨日の辛さが嘘のよう。嬉しいなぁ!お陰で日記も進む進む。気が付けばこんなに長くなってしまった(^_^;)


明日はどうなるのかな。滞っている通信講座に手が付けられる気分になれるといいなっ!






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