暴かれた真光日本語版
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2005年11月12日(土) (たぶん真っ当な)宗教、宗教のあり方などを語る1

11○(たぶん真っ当な)宗教、宗教のあり方などを語る


・自然治癒能力
・宗教の根本は”ごっこ”である
・信仰を持つ前の段階 入念な真偽の確認を怠ってはいけない
・ある偉大な聖者の残した言葉
・他者を肯定することが結局自分を肯定する最も賢い選択
・だいたい宗教・信仰って自分自身を見つめ直す為のもの
・問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたか
・ある人の書き溜めていた文の内の一つ
・仏教から言うと
・織田信長の時代 日本の農民たちの宗教観
・「バチ」論
・天国と地獄の話(有名な話かも知れないけど・・・)




自然治癒能力

■■■ 真光関係者集合!!(3)■■■
http://life.2ch.net/psy/kako/997/997456582.html

933 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/11/24 11:09

手当、手かざしは誰にでも備わっている自然治癒能力です。
それを知らぬ無知な人が多すぎるから、宗教とか、自称超能力者が現れて、
セミナーとか、講習会とか、会費とか取って金儲けしています。
金を取っているところ、組織を作っているところ、HPで自己宣伝している
ところは、みな皆にせものです。
本物は、黙って人を治し、自分を治しているだけです。



宗教の根本は”ごっこ”である

■■■ 真光関係者集合!!(9)■■■
http://life.2ch.net/psy/kako/1032/10321/1032131885.html

421 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/10/15 12:26
宗教の根本は”ごっこ”である。
祭壇の決まり行事を国民や地球規模で統一することはけっこうだが・・・
ただそれだけのことなのである。

まだ論理認知の届かない世界に対して
私達は漠然とした不安を覚えるゆえに
その盲点(虚)をついて、デーモン信仰が産まれる。

虚に対しては理解認識(莫大な経験値、実験の積み重ね、徹頭徹尾の論理的推測)で立ち向かう以外
歩み寄る方法はないのだ。



信仰を持つ前の段階 入念な真偽の確認を怠ってはいけない

世界真光文明教団(真光関係者集合!)  九州男児編
http://mentai.2ch.net/psy/kako/991/991361333.html

236 名前:名無しさん@一周年 投稿日:2001/06/14(木) 12:24
宗教ってのは、生活の中に信仰を置くのではなく、
信仰の中に生活があるというのが本来の姿なんだよ。
出会いのきっかけはなんであれ、最後は全身全霊を
注ぎ込まなければならない...
だから一歩間違えれば大変危険な選択を強いられるわけで、
それをチョイスするにあたっては入念なリサーチが必要だったわけ。
「こういうもの」をやめられない人はマジで危険な状態にあると俺は
おもうね。


304 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/16(土) 12:39
>>302

何を信じようが自由かもしれないが、
一方でホンモノを見極めようとする努力は
惜しんじゃいけないと思うね。
それが宗教であればなおさらでね、
街頭で声を掛けられてそのまま入信した
とか、親の宗教がそれだったからとか、
そういうモチベーションの低さは
信仰する以前にクリアしなけりゃなら
ない問題だからね。


306 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/16(土) 13:33
>>305

そう。入念な真偽の確認を怠ってはいけないということ。
信仰するより労を要するだろうし、人によっちゃ、その期間が
今後の信仰生活より長い年月を必要とするかもしれない。
これは宗教というものに身をおくための、人間としての最低限
の義務だと俺は思うよ。


317 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/16(土) 23:16
>>307

最終的に、信仰というものは我執を取り払う作業であって
「疑いの無い状態」もしくはそれを目差すことを言うんだ。
宗教を選ぶとき、ほんとうにそれに値いするかどうか、それがニセモノか
ホンモノか、とことん見極めなくてよいのか、ということを言ってるんだ。
間違ったもの選んだ為に、その身を亡ぼしてしまうであろうことくらい、
きみだって解かるだろ?


322 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/17(日) 12:15
>>320

なんだかきみは、俺の言ってることが解かってるのか
解かってないのか、よく解からんね(笑

まず、きみは「信仰」という言葉を取り違えてるぞ。

>自分自信がやってみない事には、
>自分自信で判断する事は出来ない。
>そういう姿勢そのものが、信仰の世界

これは信仰の世界とは言わない。
「やってみないことには解からない」状況は
信仰とは言えず、いまだ迷走世界にいることを指す。
何度も言うが、信仰とは没我して信順・随順する世界だよ。
没我して随順する以上、めあてとするものに対して慎重に徹底的な確認
を取るべきであって、それにはおのれの五官をフルに使い、智慧を使う
べきだと俺は言いたいのよ。
裏を返せば自分を守るということにおいて、そういう前段努力と慎重さを
欠くような安易な入信、"犬も歩けば棒に当たる"的な入信のしかたを
してはいけない、っちゅうことだ。


325 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/18(月) 01:07
>>323

俺が言ってるのは、信仰を持つ前の段階のことだ。
信仰を持ったら最後、突っ走るしるしかないんだ。
しかし、全ての宗教が同等をもってその信仰の方角が正しい、
と言いがたいのはきみにだって理解できるだろ。

きみ自身、その坊さんの話を引き合いに出すなら、
これにならって話そう。。
人生に対しプラスアルファを宗教に期待するという
考え方がある。生活の為の補強材や調味料としての信仰。
生活の中に信仰を持つという捉え方だ。。
これは人間を樹木にたとえるなら、外見の枝を立派にし、
なんとかきれいな花を咲かせよう、という考え方だ。
悪いとは言わないが、しかし、本当の宗教というのはそんなもんじゃない。
枝葉や果実の以前に、人間という存在の根幹もしくは樹木そのものを問うの
が宗教なんだよ。
つまり、信仰は生活の中にあるものではなく、信仰の中に生活があるんだ。
だから信仰というのはあった方がいいというなまやさしいものではなく、
きみがAという宗教を選び信仰(没我)したら最後、それを体現しなければ
ならない原則や義務が同時に伴うわけだよ。((これは出家主義-在家主義の話とは違う))
それだけむちゃくちゃな前提を要求される「宗教」、一歩間違えたら
社会から糾弾制裁されるやもしれない社会行動を隆起させる「宗教」というもの
を選ぶ局面で、個人の能力差は別においてその信仰の方向が間違っているかいない
かの判断に最大限の努力を払うべきだと言ってるんだよ。。
俺が指した「信仰の真偽を問え」というのはそういう意味だ。
その上で正しいと判断すれば没我し信仰するしかない。



ある偉大な聖者の残した言葉

■■■ 真光関係者集合!!(44)■■■
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156380830/

934 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2007/02/01(木) 18:43:59 ID:zczPwJSP

ttp://space.geocities.jp/mindmanipulate/syuukyou.html
にこんなん ありました。

840 :名無しさん@3周年 :04/02/01 15:44

○神占がよくあたりたりとて、すぐに神と信ずるなかれ。
○一時病が治りたりとてすぐにこれを神と信ずるなかれ。
○悪魔は人の心を読みて、人を驚かせ恐れしむることあり。
○病を一時救いてその人の心を奪い、後に悪魔の仲間へ誘わんとすることあり。
○悪しき霊は悪しき姿にて現れず。必ず善の仮面をかぶりて来たり、偽りの善をなし偽りの誠を立つるものなり。
○心浅く愚かなるものは、心の眼なきゆえに悪魔を善神と見あやまりて神にそむくことあり。

これはある偉大な聖者の残した言葉です。
○○○さんの体験していることは、もしかしたら「低級霊の幻惑」かもしれません。

不可思議な事象を盲目的に信じるのではなく、気をつけたうえにも気を付けて、
人生を踏み誤ることの無い様に検証しましょう。



他者を肯定することが結局自分を肯定する最も賢い選択

世界真光文明教団(真光関係者集合)
http://mentai.2ch.net/psy/kako/962/962797976.html

562 名前:光明 投稿日:2001/02/16(金) 14:06
一つの宗教で全てを救う、ということ自体、間違っていると思うのです。
「うちが最高だ」と主張すればするほど、他の宗教を信じている人たちは
いい気分ではありません。これからは、宗教団体同士がお互いに認め合い、
共存していく事が必要であると思います。私はどの団体にも所属していませんが。


563 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/02/17(土) 00:17
光明さんの言うとおり。自分を肯定するためには、他者を否定しなければならない。
それは影なくして光は存在しないのと同じ原理。
だが、自分を肯定することなど考える必要なんて全くない。
他者を肯定すること。それが結局自分を肯定する最も賢い選択なのです。
そこで、聞きたいのですが、私気功を学んでいるんですが、
手かざしは気功と全く同じです。それで宗教をつくり、奇跡を売り物とするのはどうかと思いますよ。
気功教室なら、日本中に五万とあるから、宗教よりもそっちに行ったほうが上達が早いはずです。



だいたい宗教・信仰って自分自身を見つめ直す為のもの

■■■ 真光関係者集合!!(33)■■■
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1101090075/

658 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/29 02:09:42 ID:TUdhHI66
だいたい宗教・信仰って自分自身を見つめ直す為のものだから、
信仰する事によって何か特別な奇跡が起こるとか、辞めたら罰があたるとか
勧誘ノルマがどうとか言ってる事自体がおかしいんだけどね。
信仰って誰かに勧誘されてやる様なものじゃないと思うし。



問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたか

■■■ 真光関係者集合!!(27)■■■
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1077411299/

56 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/02/23 01:17
終戦後に大衆が新興宗教に向かった理由は、貧・病・争だったけど、
科学の発達やある程度の生活レベルが確保された今でも、けっきょく
大衆は同じもの求めてるんだなーと。
隣の垣根がよく見えるなら、あんたのところの垣根もよくしてあげる
みたいな物質的な競争心を煽らせる宗教が竹の子のように増殖する最大の理由は、
皆がもってるブランド品を下げて安心してるバカ女の蔓延り方に象徴するような、
日本人の精神的風土にあるように思えて仕方がない昨今、、、、


57 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/02/23 09:02
宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を長い間迷わせてき
たようです。あなたの人間性、それがすべての鍵です。

祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い選ばれし者の一人になったと信じて
いる人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、
宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらでもある
のです。

問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。
そうでないと神の公正が根本から崩れます。



ある人の書き溜めていた文の内の一つ

■■■ 真光関係者集合!!(16)■■■
http://life.2ch.net/psy/kako/1037/10376/1037673567.html ttp://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1054513992/

81 名前:シーちゃん 投稿日:03/06/03 23:55
あ、そうそう、私が真実板に記載しようと思って、書き溜めていた文の内の一つが、未だ残っていました。
折角ですから、下記に記載しますから、私の遺稿として読んでやって下さい。其れでは皆さんお元気で。

少し長いので分割して記載します。

宗教とは

私はクリスチャンでは無いし、日本の文化の独自性を保持するためにも、私自身は広がりは好ましいとは思っておりません。
しかし、此は私の、極、個人的な考えに過ぎません。作家の司馬遼太郎氏は戦後、物書きに成る前には、宗教新聞の記者を
一時期されていたそうです、その意味でも宗教に対する造詣も深く、興味深い記述も多数見られまれ、「八人との対談」の中で
科学者の西澤潤一先生との会話の中の一節ですが、なかなか面白いので記載してみます。

「私はヨーロッパのプロテスタントの理想像は、江戸期の武士的なものの理想像とすこしばかり似ているような気がしています。
ともかくも、十六世紀ぐらいから新教では教会や神父さんを通さずに神様とじか取り引きするようになった。部屋の中で一人いても、
個人個人が垂直に神様とじかに取り引きをしているから、独りでいるからといっていい加減なことをしているわけにいかなくなり、
自律的になって行く。それで個人ができあがっていく。それだけでなくて、ものを考える個人になる。

次に続けます


82 名前:シーちゃん 投稿日:03/06/03 23:58
それまでカトリックの時代は、たとえば当時のスペイン人のように、聖書は教会がもっていて、人々は読んでいない。
ところがプロテスタントは自分が聖書を買ってきて、それを読んで、「聖書に書いてあるから、きちっとしましょう」
ということになる。それで十六世紀、十七世紀、十八世紀のイギリスが興ったと思うんです。」


この中で、面白いのが、神との直取引と言う所です。間に教会や神父と言う、仲介者が入れば、其れに頼り切り、
自らの意志で考え無いと言う事です。
此を排除したのがプロテスタントで、其れにより、個の確立と、科学の発展と、ヨーロパの先進性を取得し、
彼ら住民の文化性を維持し、彼らに取っては大きな役割を果たしている事は間違いないでしょう。
只、私には宗教のドグマが個人の自由な考えを阻害せず、科学の発展に反しない当たりが、不思議で、
理解しにくいですが、機会が有れば、その当たりを探ってみたいと思います。

此処で終わると、此の板に記載した意味合いが有りませんので、もう少し、続けます。
翻ってこの教団を考えた場合、教会や神父とは、比べようも無い、限りなく神に近い、仲介者(代行者)が
存在しているため、全ては教団の言うがまま、自らの頭で全く考えず、ものを考えない個人で溢れかえっています。
此からの日本を考えた場合、若い人達の多くがこの教団に関与する事は、欧米の逆で衰退の一途を辿ることになります。


日記作者