暴かれた真光日本語版
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2005年03月07日(月) ザ・掲示板 記事2

○【真光系教団】被害者の会
http://religion.log.thebbs.jp/1136771096.html


[9]-[21]大林組の真実 06/01/20 17:39 9Hqd6qPk93
世界総本山・光神殿・青年会館の大林組、光記念館の竹中工務店〜

金丸前副総裁ヤミ献金 中村前建設相収賄事件関連 ゼネコン汚職仙台ルート判決 等 新聞記事


[22]-[34]竹中工務店の真実 06/01/20 17:48 9Hqd6qPk93
[談合列島](1)ボス死すともシステム綿々(連載)
読売新聞1993.9.30 大阪朝刊社会27頁〜 等 新聞記事


[39]教団機関誌 06/01/26 17:33 eUVG1hW1pX
崇教真光誌H17年7月号P102-103<奇跡の泉>
〔JR福知山線脱線転覆事故〕
 

[47]XYZ 06/01/31 16:21 Xvgo6x2He7
崇教真光誌H17年10月号
P65〔十年来の想いが実った人救い〕
栃木県足利小道場 

 私は昭和六十二年三月、貴きご神縁を賜わりました。教員としてお使いいただく中、積極的に手をかざしますと、白血病から救われた児童や、色盲が解消した児童、不登校を乗り越え皆勤賞まで頂くようになった児童等々、限りない御守護を賜わり、ご父兄や同僚の先生方六十数名のお導きが許されました。また身内や知人友人のお導きも許され、常に御守護下さる神様にご恩返しをさせていただきたいとの想いが次第に募っていきました。更に大きく神様のご用にお使いいただきたいとの想いから平成六年三月、二十五年間の教員生活にピリオドを打ちました。

【批判】『色盲(しきもう)』はIME2000ではすでに変換できないようになっている。また、『めくら』はIME2003では変換できない。「いしきもうろう」、「めくらないといけない」と入力しても、差別用語に変換されないよう、工夫されている。Wikipediaで『差別用語』を調べてごらん。
祈言集・御聖言集ともに目の不自由な人たちに差別的表現がある。崇教真光誌に、身障者が雇用されたという体験談は全く掲載されていない。

〔祈言集〕
P22 神向き讃詞
群がり起こせし迷蒙の唯物雲や穢れ雲に求めてやまぬ真理峰 掩い曇らせ身自らに正法正覚見えやらぬ盲人(めしい)となりし哀れさよ

〔御聖言集〕
P129 段々の教え
目先のみききたる盲人(めくら)多きかな。

P477-478卍の代より…
 いつ迄の世盲人(めくら)に手を引かれて、人の子よ、いづこへ行き着かんとするや。気付かざる迷い子多すぎて、盲人に盲目導かれて大がけ(断崖)に向かいて盲(暴)走、狂走致す競争に無我夢中に致しあるにあらずや。目覚めしむべきなり。

(日記作者 氏名削除)


[157]-[185]崇教真光と藤波孝生 06/02/18 14:55 38xcU2nwoR
■崇教・真光誌昭和56年12月号P39-40
 荒れ狂う世に 輝くみ教え
 自民党本部代表・衆議院議員 藤波孝生〜

リクルート事件公判 新聞記事 崇教真光誌 祝辞、祝電 等



○【真光系教団】被害者の会
http://religion.log.thebbs.jp/1140404341.html


[17]-[18]光玉の勲章はニセ勲章 06/03/11 17:13 cpT6DTs9FX


[19]-[20](大林組) 06/03/19 11:37 KgAaUlVc6h


[21]手島右卿賞 06/03/30 21:34 94Fspi.M0L
高知新聞2006年03月28日
www.kochinews.co.jp/0603/060328headline03.htm
●第1回手島右卿賞 仲川さん(専修大教授)表彰
 「第1回手島右卿賞」の表彰式が27日、高知市本町3丁目の高新文化ホールで行われ、書家で専修大学教授の仲川恭司(きょうじ)さん(60)に同賞が授与された。〜
 【写真説明】手島右卿の石こう像を受け取る仲川恭司さん=右。左は右卿の長男で顕彰会副会長の手島泰六さん(高知市の高新文化ホール)


[34]ニセ科学 06/04/16 11:15 WrLGSxvZnP
■発信箱:ニセ科学の罪 元村有希子(科学環境部)
 万有引力の法則で有名な英国の科学者ニュートンは、錬金術の研究にも熱心だった。
 銅や鉄から黄金を作り出すという錬金術は後に「ニセ科学」のレッテルを張られ、彼の錬金術関連の資料は図書館も受け入れを断ったほどだ。結局、経済学者のケインズが買い取った。
 21世紀の日本にもニセ科学は健在だ。物理学者たちが先月開いた、ニセ科学に関するシンポジウムで紹介されたのは、「水が言葉に影響される」という珍説だった。
 水をコップに入れ、いろんな音を「聞かせる」。その後凍らせる。「ありがとう」やモーツァルトの曲だと凍った水は美しい結晶を作るが、「ばか」やハードロックでは結晶がきれいにできないという。そうした結晶を示す写真集が売られている。
 この珍説を科学的に説明できる根拠はない。写真を見せられても、実験をしてみなければ本当のことは分からない。だが複数の小学校の先生が、道徳の授業で「きれいな言葉を使いましょう」という教訓とともに教えたというから驚く。
 日本はニセ科学への免疫を持たないようだ。血液型による性格診断も、宴会での座興で済めば罪はないが、会社や学校で差別的に使われているのは見過ごせない。
 理科教育の失敗ともいえる。物事を合理的に考え、批判できる素養を養うという目的は色あせ、黒板に書かれたことをうのみにさせている。
 これまでニセ科学を「うさんくさい」と冷笑するだけだった科学者が、向き合う姿勢に転じたことは収穫だ。今後の展開に注目しよう。
毎日新聞2006年4月12日1時01分


[61]朝日 vs 毎日 06/04/21 19:41 SqCKfcIwpz
〔二十世紀の千人 第8巻〕朝日新聞社1995 P246-249
おかだかうたま
岡田光玉(本名・良一) 宗教家(真光教団教え主)
1901年2月27日〜1974年6月23日
(明治34年)   (昭和49年)

■巣立ち、立ち上がり、広がる「真光」
 手かざしという言葉は、多くの人に知られるようになった。もっとも、手かざしをする教団は数多くあって、それぞれ呼び方や、活動内容は少しずつ異なる。その中で、手かざしを「真光の業」と呼ぶのは、一般に真光と呼ばれている教団である。正確には世界真光文明教団と崇教真光が二教団になる。後継者争いがもつれ、崇教真光が別に一派を作ったという関係だが、教勢は崇教真光の方が強い。だが、教え主と崇める人物は同一であり、教義もほとんど同じだから、一般の人が区別をつけるのは無理と言っていいだろう。この両教団から教え主と位置づけられているのが岡田光玉である。
 光玉は本名は良一。東京の青山で岡田稲三郎・登美夫妻の長男として生まれた。長男だが、末っ子であり、しかも上に七人の姉がいた。母が女ばかり生んだので、出雲大社に願をかけて生まれたという。母はたった一人のこの息子を溺愛し、病気にならぬようにと、幼い彼にいろいろな薬を呑ませ、ために慢性胃腸病の症状が出たくらいであった。しかし、本来元気で、少年時代は腕白坊主へと変身していった。父は軍人で退役後繊維会社を経営していたが、16歳のとき死去した。その少し前、父は中学生だった彼に、士官学校に行くように言い渡したので、それに従った。
 1922(大正11)年に士官学校を卒業すると、近衛歩兵第一連隊に配属となる。皇居の守護が役割であったので、天皇崇拝の篤かった彼は、誇りをもってこの任務についた。翌23年に首都圏を襲った関東大震災では、東京被服廠跡の敷地の死体を片付けねばならなかった。これは彼に大きな衝撃を与えた。肉眼では見えない世界の動きがわれわれを支配していることを考えるようになる。さらに、部下が失った銃剣のありかを、通称「並木の坊さん」と呼ばれた僧侶が霊視によって見つけたというような当時の体験も、そうした世界への関心を強めた。宗教心の目覚めへの伏線と言えよう。
 陸軍歩兵学校教官を経て、日中戦争の勃発した37(昭和12)年に、大本営第一鉄道輸送司令部課長として、中国各地の輸送作戦の責任者となる。杭州に渡った彼は病を得て内地へ帰される。翌38年に御前馬術大会で、馬もろとも転倒し脊椎を骨折する。三ヵ月で一応回復したが、後遺症が残った。41年に、フランス領インドシナ戦線に赴いたが、現地で脊椎カリエスが再発したのである。帰国し東京で入院すると、医師からは、退院して三年の命と宣告された。絶望の中に、医学のあり方に疑問をもち、薬をすべて捨てた。自分を作ったのは創造神であると思い至り、その神に祈るという方法を選んだ。こうして病気が全快したことで、霊界に関する彼の信念はいっそう強いものとなった。
 病と戦うかたわら、父の繊維会社を飛行機会社に変えて順調に事業を伸ばしていたが、45年の空襲で工場が全焼し、莫大な借金を抱えることとなる。しかし無一文になって、初めて物質の無力さを思い知る。それまでの唯物的な考え方がもろくも崩れ去る。こうした変化に世界救世教の影響は見逃せない。
 世界救世教を知ったのは、疎開先の山梨県大月市であったとされている。戦後、埼玉県にあった同教の和光布教所の所長になっている。薬毒論や浄霊は世界救世教の中心的教え、実践である。彼の教えのあちこちに、世界救世教、さらにこれに先行する大本の影響がうかがえる。学問は我苦悶、ジングルベルは神来電鈴などの語呂合わせも、まさにこの系譜である。
 53年に多田建設会社の取締役に、その後、光開発株式会社を設立して社長に就任する。順調な日々を送っていた人物が、どうして宗教家に転身したのか。それは啓示によってであると説明されている。


[62]61 06/04/21 19:42 SqCKfcIwpz
 59(昭和34)年の2月、ちょうど58歳の誕生日の早朝、最初の啓示を受ける。「天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。厳しき世となるべし」というのが、その内容であったという。この日が誕生日というだけでなく、誕生年が明治34年で、昭和34年と数字が符合することに、彼は不思議な思いをもった。その後、彼はたぴたび啓示を受けたとされ、それらのうち52項目が「御聖言」として公開されているが、「古神道」信仰に関する知識がないと荒唐無稽に思えてしまうだろう。この年、彼は妻と離婚し、井上甲子を養女として入籍した。この甲子が彼の死後、崇教真光を設立する岡田恵珠(聖珠)である。同年8月、東京・神田須田町にL・H・陽光子友之会が設立される。Lはラッキー、Hはヘルスの頭文字である。発会式に集まったのは33人。当時、彼は大先生と呼ばれていた。
 翌年立川支部、続いて八王子支部ができ、組織が膨らんでいく。彼の表現を借りれば、須田町で組織が「巣立ち」、立川で「立ち上がり」、八王子で「四方八方に広がった」というわけである。設立まもない同会のメンバーになったのが、光玉の死後世界真光文明教団の二代教え主となった関口栄であり、当時は「超古代史」に関心の深い実業家であった。光玉に惹かれ、その運動を経済的に支援した。
 信者が急に増え、また社会からも注目を浴び始めるのは、62(昭和37)年の元旦、本年は「火の洗礼」の第一年であるという神示を発表してからである。この年には機関紙『真光』を発刊し、翌年には東京の田園調布を本部として世界真光文明教団と改称する。60年代後半から70年代初めにかけ、彼はきわめて精力的に各地を巡教し、とくに若者たちに語りかけた。また、最晩年の73年には、ヨーロッパに巡教したり、ときのローマ教皇パウロ六世と会見するなど、国際的な活動もてがけた。
 彼が使命としていたのは、世界の五大宗教、すなわち、仏教、キリスト教、イスラム教、儒教、道教を総合帰一する大元の教えを説く役と、世の立て直しの役である。これまでの宗教には神の仕組みが十分人類には知らされてこず、五大宗教に伝えられてきたのは、その片鱗のみというのである。しかし今は、神界、幽界、現界のすべてに大転換期が来ており、下手をすると人類共滅の危機があるので、ここに神は神界の秘儀を人類に明らかにするようになった。彼は、「魁のメシア」であり、次にやって来る霊主文明に生きる「種人」を育てねばならないというわけである。日本的終末思想とでも言うべき教えを携えた彼は、奇しくもオカルト・ブーム元年ともされる74年にこの世を去った。彼は、自分の父方の先祖は織田信長であり、母方の先祖は徳川家康であると語っていた。信長を天才的な戦術家と表現しつつ、自分は信長の回心した姿だとも述べた。なんとも興味深いアイデンティティーである。〔井上順孝〕
【解説】
 井上順孝氏は國學院大學教授である。
www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/
www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/book/pb-1000.htm
 本書は各地の公立図書館で閲覧できる。1959年の出来事については、関口氏が訴訟相手の戸籍を弁護士職権で調べ、そのcopyを井上順孝氏に見せたのだろう。教団後継者決定に関する重要資料である。


[63]61 06/04/21 19:43 SqCKfcIwpz
毎日グラフ 84.11.11 P53

救い主の生涯
 岡田光玉・救い主は、明治34年2月27日、陸軍少将主計総監だった父・稲三郎と母・登美の長男として、東京・青山に生まれた。本名・良一。祖父は紀州藩の武士で、藩主に進講する学者(侍講)でもあった。
 少年期は、外交官か医者を志したが、父の命令で陸軍士官学校に入学(大正9年)。二年後、近衛師団歩兵一連隊の旗手を命ぜられたのを皮切りに、陸軍歩兵学校教官、大本営第一鉄道輸送司令部長などを歴任。昭和16年には、仏印軍司令部鉄道責任者となっていたが、三年前の馬術大会の障害飛越で馬と共に倒れた際の後遺症(胸椎骨折)でカリエスとなり、「余命三年」と宣告される。このとき、医者も薬も捨ててただ神に祈る生活に入ったのが、正法信仰への開眼の契機となった。
 中佐で退役後、陸軍の航空機政策会社をはじめ、製塩、炭鉱、材木など戦時会社を四社興したが、終戦直前の空襲ですべてを失ってしまう。しかし「三年」のはずの生命が、すでに五年も生きのぴ、腐るはずの骨が蘇生していたことに気づいて、神仏への感謝と祈りに生き、開発会社を経営して借金を返済し終えた34年から、救世の人生が始まった。
 その年の2月27日未明、高熱を発して夢うつつの状態になったとき、突然の神示を受け、「崇盟五道」(キリスト教、仏教など五大宗教を統合帰一する大元の教え役)と「與崇賀従道」(神の地上代行者)の”み役”を与えられたという。
 一ヵ月後、教団の前身である「L・H・陽光子友乃会」を東京・神田須田町で創立。LとHは、ラツキー(幸運)とヘルス(健康)の意味だった。当初の神組み手は33人、自転車で布教にまわる日々で教勢発展は遅々としていたが、37年元旦「火の洗礼」の第一年にあたるという神示を発表してからは一変。翌年11月には、宗教法人「世界真光文明教団」を設立、以後パリ小道場(47年)をはじめ海外国に教勢が及んで、神組み手も20万人、30万人と急増した。ローマ教皇らと並ぶセント・テニス・ザンテ勲章の叙勲(47年)、パウロ六世との会見(48年)なと世界的な宗教者の地歩を固めた。
 岡田恵珠・二代教え主は、救い主の令嬢。神示にもとづいて、祖師の“み役”のすべてを受け継ぎ、現界において、さらに大きく実践する使命にあたっている。飛騨高山に世界総本山建立―の神示を発表したときから、教団名を「崇教真光」とし一層発展させ、予定とおり建立を果たすなどめざましい活躍ぶりである。崇教真光の教勢は、9月現在、51ヵ国80民族40万人を記録している

【批判】朝日と毎日、どちらの文章を信用するかは、各自の判断にまかせる。最近、崇教真光は初期研修テキストの巻末に新聞記事の転載をしているが、朝日の記事は全く無い。岡田恵珠氏は小山孝生・村上正邦の逮捕後、公式謝罪を一切しないような人物だから、経歴をごまかすのも全く平気であろう。
 源伸君は、次に書くように大学の先生の書く文献は信頼性が高いとしている。岡田晃弥氏が『神道考古学』を学んだ大学の『神道文化学』の教授の書いた文献なら当然信頼できるわけだ。(今はなつかし源伸君のネットデビュー作である)


[65]61 06/04/21 19:50 SqCKfcIwpz
「現代のこころ 崇教真光」旺文社 No: 3850 [返信][削除]

投稿者:源伸 02/03/23 Sat 07:14:22
どうも批判派教団の暴露本や退会者の批判のみがネット上に溢れ真光の全体像が見えにくくなったり、イメージが偏ったりしているようですので、入手し易く教団から出していない書籍を一冊紹介します。〜


[66]61 06/04/21 19:52 SqCKfcIwpz
それでは、実際にこの文献の原文をお目にかける

『現代のこころ 崇教真光』(旺文社)
■神秘から宗教へ―真光に集う若者たちの世界(P106-116)
谷 富夫(広島女子大学文学部助教授)
P113-114
 ところで、生活に〈生かされる〉可能性があるもう一つの教えに、真光の終末観がある。〜〜

■人類の未来を考える(P136-147)
(P143)岡田恵珠 神のみ光の偉大さとでも申しましょうか。〜


[67]61 06/04/21 19:53 SqCKfcIwpz
【その他教団関係の出版物より】

『寸教』(崇教H2年初版) P105-106 [25]親子・兄弟・夫婦の霊波線〜

 【批判】つまり、恵珠氏の母は、光玉氏の妻でないということだ。
このことが教団の出版物に掲載されたのは始めてである。


[68]医療拒否 06/04/21 19:54 SqCKfcIwpz
崇教真光誌H18年3月号P65
平成18年立春大祭 御聖誕お祝いの言葉(2月5日)
青年期に人生最大の宝物を賜わる 中京方面 高山中道場

 主の大御神様、救い主様、教え主様、お代理様、立春大祭の佳き日、聖祖師救い主様御聖誕お祝いの言葉をお捧げさせていただきます事は、身に余る光栄であり感激の極みでございます。
 わが家では、昭和39年11月に母が京都中道場(現・大道場)にて貴きご神縁を賜わり、私は昭和41年4月、勿体なくも青年期に初級研修を受講させていただきました。私は生まれた頃より心臓が悪く「三歳迄生きられるか分かりません。覚悟して下さい」と医師に診断されていましたが、御み霊を戴き真光隊としてご奉仕に励むうちにすっかり健康にならせていただきました。母も救い主様より賜わりました「医者にかからぬ信念をもて」との御言葉を胸に40年間薬一つ飲む事なく、ひたすら真光業の実践に励ませていただき、75歳になった今も尚元気でご神業ご奉仕にお使いいただいております事、感謝の他ございません。

(日記作者 氏名削除)


[92]-[93]教育基本法 06/04/29 11:01 1w.FyTdJoX
■日本会議HPより www.nipponkaigi.org/reidai01/180425annai.htm
 教育基本法改正の今国会実現をめざす緊急集会〜教育基本法が60年ぶりに全面改正へ〜
〜集会には自民党を支持してきた神社本庁、仏所護念会、崇教真光などの代表者も参加。〜


[94]真琴 06/04/30 06:42 LLtBG4BPwy
真光誌 平成十八年4月号 P101

自分が買った耐震偽装マンションを売って難をのがれた男がいるが、
人を不幸にして自分だけ幸せになった体験がある。〜


[95]教育基本法 06/04/30 18:01 1w.Fyc.bMH
■自民、内憂外患 創価学会重視に不満/民主が愛国心で攻勢
産経新聞東京朝刊平成18(2006)年4月29日[土]〜


[116]大林組、営業停止 06/05/12 21:30 Fnh/YfU5rL
■防衛施設庁談合、ゼネコン大手など8社を営業停止〜

 (読売新聞)2006年5月11日21時55分更新


[131]『崇教真光』誌 06/05/19 20:51 Fnh/YWOeEz
2002年9月号10-19頁
岡田恵珠師八月度月始祭み教え
 先ずはじめに申し上げたきことは、この月の五日より「住民基本台帳ネットワーク」が実施されますが、個人情報保護法案が成立しておらない時に国民総背番号制が行われますことは真に遺憾でございます。
 国民の総意に反する情報管理は、お国の将来を危うくするものであり慎重な対応が切に望まれます。
  □
【批判】このように、崇教は個人情報保護法の必要性を強く主張している。教団が個人情報保護に反することをしていたら、どんどん指摘すべきだ。


日記作者