暴かれた真光日本語版
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2004年12月30日(木) 御み霊を外すのが怖くてできない人の参考に

御み霊を外すのが怖くてできない人の参考になれば . . .


327 名前:退会体験談 1/14 契機 投稿日:01/12/07 17:23
忘れてしまわないうちに、私が真光をやめた時のことを書いておくよ。
やめたくても「御み霊(おみたま)」を外すのが怖くてできないという人も
いるだろう。そんな人の参考になれば幸いだ。人によって真光へののめり込み
具合は違うので、これがベストということはないだろう。一例ということで
読んでくれ。御み霊を外した時だけのことでなく、その前後の気持ちの流れ
とかも書いてるから長いよ。


やめようと思った直接のきっかけは、幹部の目に余る言動に我慢できなく
なったからだ。嫌な目にあえばミソギで神鍛えで修行、未熟な幹部にあたれば
それもお仕組み。幹部も修行中であり、一般組み手以上に罪穢が深いのだ、
なんて言われて大抵の組み手は耐え忍んでいるのだけれど。私も例外ではなく、
何回も組み手や幹部の暴言に耐えたが、もうこれ以上はゴメンだと思った。

無責任で人の気持ちを考えない、理解しようとしない、真光の価値観で
こり固まった幹部にうんざりした。「若い幹部は人生経験が少ないので仕方ない」と
いう擁護もあるが、この幹部は幹部経験20年位だった筈だ。これまでの経験が
何も教訓にならず、身にもついていなかったね。真光式に言うと血肉になってない。


328 名前:退会体験談 2/14 思案 投稿日:01/12/07 17:25
最初は、この幹部に会いたくないがために「霊線保持御礼」だけ払って道場に
行かないようにしようかと思った。他道場への移管も真剣に検討した。この時は
まだ、神様は本物だと思っていたんだ。教えも本物、真光の業も本物。幹部だけが
悪い。けれどね、つらつら考えるに、どこへ行っても結局同じだと思った。幹部に
よって人当たりがいい悪いはあるけれど、教えそのものは同じだ。この先、今回と
同じようなことが起これば、私に対してでも他の組み手に対してでも、言われること
決めつけられることは同じた。なんかもう、嫌だよって気になってきた。

道場に行かず、冬眠して、手かざしだけはしていようかと考えた。「霊保」だけは
今の道場に奉納か? なんてね。 神様とは、どこででも波長合わせはできるだろ?
お導きもしたくない。神がよくて、教えがよくて、手かざしがよくても、こんな
理不尽な目に他の人を合わせたくない。私がお導き親として守るにも限界がある。
道場が原因で傷ついても責任が取れない。

冬眠では、曇り消しは充分にできないかもしれない。冬眠したまま、火の洗礼が
きたら、消されるかもしれない。だが・・組み手でなくても正法にそった生き方を
していればいいんだろ? 人類に対して、組み手の人数は少なすぎるんだから、
組み手しか生き残らないわけではないだろう。人類の3割なんて、ほど(!!!!!!)遠い
んだから。組み手になり、正法を知ったあとで離れた者は、知らなかった者より
霊界で酷い所に行くとも言われている。けれどね、自負していうけど、私は本当に
真光の神を信じていたよ。こつこつ、真摯にご神業をしてきたよ。神様は
私のことは何もかも知ってるんだろ? ならば、今回の経緯も全て知ってるわけで。
幹部に呆れて去った私を責めはしないだろう。正しい神が、そんな無慈悲なもので
あるものか。・・神向きの深さが(自嘲)変なところで幸いしてしまった。


329 名前:退会体験談 3/14 転換 投稿日:01/12/07 17:26
冬眠すると覚悟を決めたら、今まで目を背けていたことに意識が行くように
なった。この教えって、そもそも本物なのかってこと。冬眠するといいながら、
まだ信じてるんだけど、一方で、こんな幹部を育てる教えが信用できなくなって
きたんだよね。20年経験があってもひどい暴言を吐く幹部、それを正せない組織。
降格もできない、実態を把握していないのかもしれない。それなら、組織の管理
不行届だ。そんな組織維持の仕方をしている教え主も信じられない。さらには、
その教団が祀っている神までもね。

飽きるほど聞く言葉は、「幹部は駄目でも教えは正しい」「神様は正しい」
「手かざしは素晴らしい」だ。 甘えるな。社会でそんなことが通用するか。
店に、客に対して失礼極まる応対をした店員がいたとしよう。それを
抗議したら、「悪いのはこの店員です。会社は悪くありません。うちの製品は
優良です」ってかばう上役がいるかい。店員はその店の看板をしょってるんだよ。
店員の質が店の質を図る物差しになるんだよ。

組み手になって、真吠えに出かける前にいわれなかったか。「君たちは
真光の看板を背負っているんだ。神様の名を汚すようなことはするな」。
一般人を勧誘する時はボロを出さないようにして、中へ入れば我慢しろ、修行だ、
お仕組みだ、だと。外づらと内づらが違いすぎるな。
なんか、話が本題からずれてきた。軌道を戻すよ。


330 名前:退会体験談 4/14 勉強 投稿日:01/12/07 17:27
4/14 勉強
それでだ。今まで気にしながら、ずっと読まずにいた本を借りに図書館に
行ったんだよ。「マインドコントロール」とか「カルト宗教」に関わる本だね。
オウム真理教事件の頃から気にしていたけど、読めなかった。真光に依存し、
真実を見るのが怖かったのかもしれない。疑いの気持ちを持つことそのものに
罪悪感もあった。神や教えを疑うのは、邪霊の働きだと言われていたからね。
だけど、今までの私のご神業からいって、こんなもの読んだからって、神様が
怒るわけもないだろ? と妙な自信を持ってしまった。居直ったというか。
冬眠まで考えているんだから、今更霊障も悪想念もあるものか。もしも(この
辺まで来ると、もう大分疑ってるんだけど)私が間違ってたら、お詫びして
戻りゃいいだろ。神様は優しくておおらかなんだろ。

なんというか、真光の、教団に都合のいい、脅しになる方向の教えの取り方
でなく、こっちに都合のいいように、とことん取ったんだよね。この時点で
もう、マインドコントロールが解けかかってたのかもしれないね。

何冊か読みやすそうなのを選んで借りてきたけどさ、一冊目から大当たり!
目から鱗がぼろぼろ落ちたよ。10枚くらい落ちたかもしれん。組み手になって
いた年数分かと思った。どうしてこんな簡単なことにひっかかっていたのかと、
自分に呆れた。「誰でも罠に陥る可能性がある」とあったのに救われた。


331 名前:退会体験談 5/14 比較 投稿日:01/12/07 17:29
カルトについて語った本だけでなく、他の「カルト宗教」と呼ばれている
教団の問題提起本も借りてきたのがよかったんだと思う。教えや勧誘方法、
信者の日常生活、外部との軋轢など、それぞれに違いはあるけど、本質的に
同じ部分や似ている部分もある。よその教団だから冷静に見ることもできる。
真光と比べて考えるといろいろと興味深かったよ。そして、わかった。
ベースになる教えがキリスト教か仏教か神道かっていう違いがあるだけで
中身は驚くほどそっくりだってね。
インターネット上で信者家族のサイトや脱会者の相互互助サイトもある
けど、私はそっちはほとんど見なかった。別に「インターネット上の情報は
9割が嘘」とか「ネットは匿名の人の悪意で満ちている」という幹部の言葉を
信じたわけではない。1冊の本としてまとまっている物を読んだ方が効率が
いいと思っただけだよ。

マインドコントロールの手法はわかった。カルトがどういうものかもわかった。
それまでの、私のカルト宗教に関する知識はお粗末だったからね。イメージで
「親の反対を振り切って家を出てしまうもの」「研修は眠らせず、何日も
家に帰さず拘束して洗脳するもの」「全財産を有無をいわせず巻き上げるもの」
「犯罪も辞さないもの」程度でしかなかった。それと真光を比べて、「うん、
真光は大丈夫だ」と思っていただけだものね。物を知らなかった、知ろうと
しなかった。知りたくなかったんだろうな、きっと。


332 名前:退会体験談 6/14 氷解 投稿日:01/12/07 17:30
問題が残った。真光の業は何なんだ。教えを信じる元になる物だよな。
いくらマインドコントロールやカルトに関する知識を得ても、真光がそれと
手法がそっくりでも、真光業の効果は否定できない。自分で経験してきたからさ。

「ほかのカルトはカルトでも、うちだけは正しい、その証拠が真光の業だ」、
という解釈もあり得る。自分じゃ、もう真光を信じていなくて騙されていたと
実感してるけど、理論武装が足りないんだよ。それで、捜した。今度はネット上も
見た。どこかで「手かざしは気功だ」と読んだ。これは、すんなりと納得した。
でも、霊動は? 霊査は? あちこち捜して、「霊動は変性意識状態」という一文を
見つけた。それは何だ。ネットサーフィンでやっと探し出した「変性意識状態とは
トランス状態」とのこと。読んだ時は「だーーーっ」となった。トランスかよ〜〜。
最初からそう注釈入れてくれよー。ひー。そう言われれば、わかるよ。
あ〜、俺はそんなもんに何年もひっかかってたのかよ。もう、アホか、馬鹿かと。

まぁね。真光を信じている時はカルト本を読んでも催眠術の本を読んでも
頭の中を素通りしていたかもしれないけどさ。私には、読む時期がきていたんだね。
とにかく納得したよ。


333 名前:退会体験談 7/14 感情 投稿日:01/12/07 17:31
これで理論武装は完成した。それでも、まだ「感情」の問題が残った。
頭では全て納得してるのだけれど、心がついていかない。「まだ信じていたい」
とか、「信じている」っていうのではないよ。騙されていたという事実に
茫然としていたんだ。心のよりどころにしていたものがなくなり、それに
力を注いでいた時間を振り返って惚けたようになっていた。信じるものが
なくなって心が抜けたような感じ。あくまでも抜けた「ような感じ」だけだ。
現実に、私はいて、心はあるんだからさ。

なんだか、真実を見極めたあと、心が退行しているのがわかったよ。
5歳児くらいの心細さという感じだ。「親神様」が偽物、いないと知ったん
だからね。捨てられた子供さ。依存心が強くなってたしね。

このまま、すぐにやめたら腑抜けになりそうだから、少し様子を見て
やめるタイミングを考えることにした。それと並行して静かに怒りを持続
させた。教えでは、「怒ると濁毒が発生する」とか「曇りを積む」とか
いうけど、正当な怒りは生命力や気力を生み出すよ。それで退行していた
のも戻っていった・・と思う。まともな喜怒哀楽を取り戻さないとね。


日記作者