暴かれた真光日本語版
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2004年11月17日(水) ヨーロッパカルト事情

337 ヨーロッパカルト事情-1 M 2004/03/29 16:12

フランスでの反カルト法の成立過程、及びアメリカとの考え方の相違がのべらられています。少し長くなりますが、アドレスの貼り付けではなく、要約をコピーします。



ヨーロッパ・カルト事情(1)/広岡裕児
(国際ジャーナリスト・パリ在住)

セクト(破壊的カルト)とは何か(第1回) 

こんにち、フランスがセクト(破壊的カルト)対策の先頭に立っていることはまちがいない。 そのフランスに住んでいることもあって、日本でセクト問題の関係者とよく話す機会があるが、あまりにも誤解が多いので驚かされる。 たとえば、一九九六年に日本の衆議院にあたる国民議会特別委員会が報告を発表し(報告担当者の名をとってギヤール報告ともよばれる)、そのなかに一七二の「セクト」のリストがでたが、このリストに出ている団体は活動を規制されるとか、モルモン教やバプテスト教会もリスト・アップされているなどと指摘する人がある。また、昨年六月に成立した一連のセクト対策の法律改正を宗教弾圧の特別立法だと思っている人もいた。 賛否は別として、ほんらい、もっとも正しい認識をもっていなければならない学者やジャーナリストとて例外ではない。 

もっともこれは誤解した人々だけの罪ではない。 フランスの名のある社会学者・法学者・宗教学者や宗教家の一部が恣意的にまちがった情報を流している。 しかも、それが誤報であると識別できるだけの人権や政治、宗教のあり方などの基本的な情報が日本にあまりにも不十分にしか伝わっていない。 アメリカとヨーロッパでは全然違うのにいまだに「欧米」などと一くくりされている。フランスそのものへの理解にしてもフランス革命から始まって、せいぜいドゴールの一九六〇年代でとまっている。世界は一九六〇年代から劇的に変化した。フランスはその中でもとくに激しく変わった。 私もなんどか記事を書いたが単発の記事では無理であった。 こうしている間でも日本ではセクトの被害者は着実に増えている。 さいわい乙骨さん押木さんのご尽力で場を得たので、これから、じっくりと腰を落ちつけてこの問題について述べてみたい。


338 ヨーロッパカルト事情-2 M 2004/03/29 16:20

第一章 二つのセクト問題 

1 フランスとアメリカの対立

ユーゴ空爆の後処理にパリを訪問したアメリカのマドレーヌ・オールブライト長官は、ベドリーヌ外相に対してフランスでの宗教の自由の侵害について注意をうながした。 いま「セクト」について、アメリカ政府とフランス政府は真っ向から対立している。(ドイツ・ベルギーもフランス側に立っている) これはフランス人とアメリカ人の気質のちがいではない。 フランス国内でも先に書いたようにアメリカ的見方をして、国民議会や政府、市民団体を激しく攻撃する人がいる。逆にアメリカ国内でもフランス的な運動を続けている人達もいる。 この対立の原因は、深いところで相異なる二つの「セクト問題」の存在にある。 

第一は「宗教かセクトか」という区分にもとづく宗教問題としての「セクト問題」である。 フランス・カトリック教会のセクト問題の権威であるジャン・ヴェルネット神父の『セクト』(クセジュ文庫)の見出しを借りれば「社会学的かつ神学的概念」である。 同書で、ヴェルネット神父は、 「西洋におけるすべてのセクトについての言説の難しさは、この用語が価値判断を表現していると受け取られることにある。それはたしかに神学用語に属している。あるグループを『セクトである』ということは、多くの人に価値低下する判断をさせる」という。 これに対して、社会学では「セクト」を「教会とセクトをその価値についての先入観なしに社会構造として」(同書)みている。「マックス・ウェーバーは、教会を救済の機関であり、セクトは契約的団体であると定義した。アーンスト・トロエルチはそれらを弁証法的に対立させる。セクトと教会は、キリスト教の萌芽のときからすでに存在した二つの対立した傾向を代表している、と彼はいう。(教会型の)保守主義と(セクト型の)急進主義である」(同書) この「セクト」は新宗教、新興宗教、少数派宗教などといいかえられる。 アメリカやS教会がいっているのはこの意味である。


339 ヨーロッパカルト事情-3 M 2004/03/29 16:23

第二の「セクト問題」は、さきのヴェルネット神父の本には紹介されていない。 宗教思想信条とはまったく関係なく、「人や社会にとって有害か否か」という区別にもとづくものである。 

フランスのセクト対策関係省庁本部は 「セクトとは全体主義的構造を持った結社で、宗教的目的を表明していたりいなかったりし、その態度行為は人権と社会的均衡を侵害する」と定義している。 

またベルギーの一九九八年六月二日法は、 「有害セクト的集団とは、哲学的または宗教的使命をもった、あるいはこのように主張する集団で、その組織や実践が不法活動や損害を与える活動を行い、個人や社会を害したり人の尊厳を傷つけるものである」という。 

この「セクト」は宗教に限定されないから新宗教などといいかえることはできない。 この第二の「セクト問題」は人権問題そのものである。対して、第一の「セクト問題」はある種のグループや個人の宗教活動が阻害されるという点においてのみ人権問題と関わる。 

逆に、宗教については、第二の「セクト問題」はたまたまあるグループが宗教団体(公認非公認を問わず)であるときに関わりが出てくるだけで、本質的には無関心無関係である。


340 ヨーロッパカルト事情-4 M 2004/03/29 16:26

このアメリカとフランスの認識の違いは、社会のほんの一部のある種のグループの問題に限定されるものではない。もっと根本的な人権認識と今日の世界への認識の相違に通じている。

 昨年九月の連続テロのあとアメリカでは大統領が「十字軍」と口を滑らせたように、ビンラデン、アルカイダとの戦いをキリスト教とイスラム教の文明の衝突とみる見方が根強くあるようだ。 

しかし、フランスでは、宗教と関係ないセクトと同質の問題として見られている。 その代表的な例として十月三日におこなわれた国民議会本会議の九月十一日テロとその対応についての各党党首演説での野党フランス連合のジスカールデスタン氏の発言を紹介しよう。

(要約議事録より)「テロリストの目的は政治的なものであって宗教的なものではない。自殺飛行機が狙ったのはマンハッタンとペンタゴンのアメリカの勢力の象徴的な場所であって、宗教的な場所や修道院ではない。彼らは宗教的なことをもちだしているが、それはセクトの方法で、彼らが集めた不幸な者たちに影響を与えあの世での褒美を約束するのに利用しているだけだ(各党から「いいぞいいぞ!」の声)。彼らはこうして殉教候補者を作っている。 しかし、彼らの文書は、アメリカの勢力とそれがイスラエル国に与えている保護と戦うと厳密に政治的な目的だけを表明している。 セクトが我々の宗教を代表していないように、テロリズムはイスラムを代表していない(全議席から喝采)。イスラムが文化、建築、芸術、科学にもたらした顕著な貢献を忘れてはならない。第一、我々が日常使っている数字からしてそうではないか!」 

反宗教的コミュニストのアジテーションではない。社会党のミッテランに負けて大統領の座を明け渡したアメリカ的自由経済主義の信奉者の言葉である。                      (第一回了)


341 NO、337-340 M 2004/03/29 16:37

何故私が「ヨーロッパカルト事情」を敢え記載したかといいますと、フランスにおける反カルト法案の真意を正確に理解する必要が有ると思ったからです。そして、アメリカとフランスの立場、考え方の違いを明確に理解しておく必要があります。

極言すれば、フランスの反カルト法案は、決して宗教の自由を侵すことを目的として成立されたものではなく、「人や社会にとって有害か否か」を尺度としていることに注目するべきです。ですから、まとうな教団であれば何ら恐れることは無い法律ということです。


(日記作者注 要約元アドレスは此処? http://www.forum21.jp/contents/serial1.html)


日記作者