暴かれた真光日本語版
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真光裁判、八王子土地買占め問題、その他
注) 「>」で始まる文章は、G氏に対する質問等や他の書き込みからの引用を示します。
岡田光玉(岡田良一)の家系に就いて 岡田良一の父は、岡田稲三郎という。和歌山出身。 安政4年丁巳(1857年)に生まれた人なので、岡田良一出産時(1901年)に父は44歳であった。岡田良一は、父稲三郎が44歳の時の子である。
岡田稲三郎は、50歳のとき陸軍一等主計正になった。 大正2年、主計少将に昇進。 大正5年、10月28日死没。
息子・良一は2月生まれだから、16歳の時、父死亡。父の最期の位階は、主計少将相当官として、「帝国陸海軍将官同相当官名簿」古川利昭著に、進級・任官年月日が出ている。尚、岡田稲三郎に爵位はない。
主計少将の中で、爵位のある人は、川崎男爵・野田男爵の両氏である。教祖岡田良一の父は、陸軍の中でも、主計局という、会計畑を歩んだ人で、だから官位も相当官なのである。 教祖とその父という関係で、岡田良一の年譜と合わせ見て、興味深く感じたことは、昭和20年、良一44歳の時、つまり自分が誕生した時の父の年齢に達した時、岡田良一は破産の憂き目にあい、大負債を背負い込んだという偶然である。
この符合に、真光の宿命論(自分に災いを齎すものは、近親者であろうと全て悪霊→先祖悪霊論の如きもの)から察せられるような観念を考えると、どうも教祖の経歴というのは、教義を分析するうえで、抜きにしては語れない要素が、ちりばめられていると思う。
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