言の葉孝

2012年03月02日(金) 幸せの対価

 幸せとは何なのか。グリーの「探検ドリランド」における複製カードの現金取引事件はそれを考えさせられる。
 ゲーム内で有利になるため、お金を支払うことは理に適っている。少し前に「Darkorbit」というオンラインゲームのアイテムを10万円で販売したところ2,000個も売れてしまったという事もあった。こういう事例でも求めるものを提供し、購入者が満足するなら商業上は問題ない。

 アイテム課金をするのは「強くなりやすい」からだ。現実ではどんなに努力してもうまくいかないことはあるものだ。その点、ゲームの世界では対価を払って所持品の質を良くすれば簡単かつ確実に強者になれる。自分の活動において良い結果が得られたときは快感だ。快感を得るために努力やお金などの対価を払い、その結果を人は常に求めている。その心は射幸心という。
 自分の財産をどう使うかは自由だし、ゲームのためにお金を使うことの不毛さを論じるつもりはない。だが、ゲームはゲームと分っていなければならない。
 ゲーム内での有利を現実社会での地位向上と混同しているようであれば危険信号だ。気分は幸せかもしれないが、幸せの正体は気分ではないと一言忠告させていただこう。

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