2010年12月25日(土) |
『KAGEROU』について |
『もしドラ』も「世間で評判が高い作品なんて買いたくない」「表紙につられて買ったと思われたくない」と手を出さない天の邪鬼の僕ですが、不思議と『KAGEROU』は騒がれた当初から読もうと思っていました。
俳優・水嶋ヒロが作家として生きていくと公言し、名前を隠してポプラ社の賞に応募、そしてめったに出ない2000万の大賞を受賞するという、世間としては「ふざけんな」の一言の話です。 古くは高校時代から10年近く、漫然と小説を書いてきて、ようやく文芸というものを意識し始めてきた(のではないかと思い始めている)僕として気になっていたのが、「何で水嶋ヒロは作家で食べていきたい」と言い出したのか? という一点でした。
しかも当初は「俳優止める」とまで言っていたのですから、相当な覚悟です。小説を書くという行為に、どんな想いを持っているのか、です。 まあ、ゴーストライターですとか、なってない水嶋ヒロの小説を出版社の人間が必死に直したとか言われてますが、そんな大人の事情は世間で囁(ささや)かれている以上のことは推測しかできません。 多少なりとも知るために、唯一できることは、のはとりあえず「どんなもんなのか?」と読んでみることでした。
前置きが長くなりましたが『KAGEROU』の感想です。 (キャラクター名などは実名で書いています。極力キモには触れませんが、ネタばれ注意です)
悪くはない作品でした。「生きること」と「死ぬこと」をテーマにして、ヤスオという男が色々な人と会話をするという感じです。 前評判でも触れられていますが、文章としても平易で、小中学生の読書感想文にはちょうどいい感じですね。
話の展開としては登山が一番近いですね。「山頂に行く」という目的があり、それ以外の伏線等はほとんど張られておりません。「ああ、これは伏線だったのか」と思ったところも、物語の本編としては全く関係のないところです。 「これから何が起こるのか?」という以外は、先の事は考えなくてよいですし、ただその場で起きていること、その場で話されていることに「ああ、なるほど」とか「いいや、これは納得できないな」とか思っていればいいので読む方としては非常に楽です。
ただ、感動はありません。 感極まった言葉づかいは最後を除いて皆無ですし、展開としてのどんでん返しはありますが、ドキドキやハラハラといった類の心の動きを呼び込むものではありません。キャラクターとしての動きは、10人に満たない人数の人と会話をするだけで、大きな苦難を乗り越えるわけでも、小さな努力をするものでもないからです。 水がただまっすぐと流れていくような、そんな作品だと思います。
僕は作家としても書評家としても大したレベルではないことを自覚しつつ評させていただくと、これが大賞になるほどスゴイ作品にはどうしても見えないのです。
せめてキョウヤについてもっと深く掘り下げていれば、だいぶん評価は変わると思うんですけどね。大賞に届くかどうかはさておき。 あと、この作品に対して、作者がいろいろ語る「あとがき」や、そうでなくて大賞に選んだ理由などをかいた「解説」などを巻末に持ってきていただきたかったですね。
作品とは関係ないですが、最悪なのが帯です。
『第五回ポプラ社小説大賞受賞作 著者・齋藤智裕が、人生を賭してまで 伝えたかったメッセージとは何か?
そのすべてがこの一冊に凝縮されている』
『哀切かつ峻烈な「命」の物語。 廃墟としたデパートの屋上遊園地のフェンス。 「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。 そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。 命の十字路で二人は、ある契約を交わす。 肉体と魂を分かつ者とは何か? 人を人たらしめているものとは何か? 深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へ向かう。 そこで彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。』
一読してから、この帯を見たら、この白々しさが際立ちます。 このコピーを書いた人が、嘘をついていないなら、エレベーターで1回から屋上まで上ることさえ、エベレストの登頂に匹敵する冒険ととれる感受性の持ち主ですよ。
先に書きましたが僕は、レベルは決して高くないけど『KAGEROU』という作品自体は悪いと思いません。 しかし、このように作品の評価どころか、性質まで捻じ曲げるような嘘の広告をしてまで本を売ろうとする精神は許せません。
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