言の葉孝

2010年12月10日(金) 汝平和を欲さば、パラベラム

 Wikipediaのトップページを見たら、新しいページとして『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』という項目がありました。なんでこの項目が作られたかは、11月からの情勢を見れば明らかですね。
 銃の弾丸として非常にポピュラーである9mmパラベラム弾のパラベラムとは、この言葉のラテン語「Si vis pacem, para bellum」の後半を取ったものだということはその筋には有名な話です。
 むろん会社は武器製造の会社なので戦争はビジネスチャンスとして歓迎するところなのでしょうが、建前では「武器は守るためのもの」という精神がこめられているのです。
 そしてこの弾は非常にポピュラーと述べましたが、それゆえに手に入れやすく、威力は低いものの扱いやすい、という話です。つまりこれは「軍隊でなくても、一般人レベルで自分の身や家族を守るのに使える」ということを指します。
 ……と、言い切っちゃうともっと詳しい人からツッコミが入りそうなので弾丸の話は程ほどにしておきましょう。


 平和というものは、言い換えれば非平和との戦いです。

 戦争を経験した世代は既に大部分が失われた日本では、平和が既にあたりまえのものだと思われているように感じますが、それは断じて違います。

 今の平和な時代は、太平洋戦争で払った犠牲に対するお釣りみたいなもので、本来は他国に守ってもらいつつ「自分は戦争しない」というだけで得られるようなものではないと思います。
 日本で最初に国家らしきものがあった弥生時代から昭和まで、平穏な時代を生きていても、人は常に戦う覚悟があったでしょう。それをなくしてしまったのは太平洋戦争以後が日本の歴史の中で初めてのことなのです。

 誤解を招かないよう、はっきり言っておきますが、僕は日本に軍備を強化しろとか、核配備をしろと言っているのではありません。
 今回の主題は、平和はタダでは手に入るものではなく、人任せで維持できるものではない。一市民の心構えとして、政府や自衛隊だけの他人事ではすませてはいけないということです。

 国としての姿勢はともかく、日本人の一人ひとりに対し、もし日本がこれから戦争状態に移らざるを得なくなったとき、それを国の所為だと責任を押し付けて済むものだと思うなといいたいのです。

 誰の所為であろうが、死ぬときは死にます。
 生きること、人間という動物として命を持つことは、即ち命懸けです。

 自分と家族の命が危険にさらされたとき、誰が悪いのかを考えて取り乱すのか、それとも落ち着いて拳銃にパラベラムを込めるか。
 平和な時代に暮らさせてもらっている僕たちとしては、その選択がいつでも突きつけられる可能性があることを考えておかなければなりません。
 

【汝平和を欲さば、戦への備えをせよ - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9D%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%82%92%E6%AC%B2%E3%81%95%E3%81%B0%E3%80%81%E6%88%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%82%99%E3%81%88%E3%82%92%E3%81%9B%E3%82%88

【9mmパラベラム弾 - Wikipeda】
http://ja.wikipedia.org/wiki/9mm%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%BC%BE

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