言の葉孝

2010年03月05日(金) 「何かしたい」人たちへ

 昨日は友人と飲みに行っていたのです。
 友人は、「大学の後輩の一人で「何かしたい」と言っている子がいて、その子のために何かしてあげたい」という話をしていて、少し思ったことがひとつ。

 どこにでも「何かしたい」という人がいる、ということ。

 最近も一人「お金を稼ぐためのサイトを立ち上げたい」という人がいるし、「恋愛したい」と言う人もいる。
 「何かしたい」と言わなくても、何事もつまらないと斜に構えてしまっている人は、結局暗に「面白いと思える何か」を求めている。

 そのしたい「何か」は結局、絵空事に終わってしまうことが多いです。
 その理由は「時間がないから」、「今やるには大変だから」、「やり方が分からないから」。

 確かに、確かにしたいと思ったことを完遂するのは並み大抵のことではありません。それは「その人の夢」だからです。したいと思って実際に実行して出来るくらいならとっくにしている。

 出来ないからやらない、そして何もしない。
 だから人生がつまらないと思ってしまうのです。
 また、「したい」といった事が出来ないことで、心に負い目が生まれます。これは精神上大変よくないです。


 僕には不思議でした。どうしてできないことを「したい」と言い出すのだろう、と。それで、今日はその答えの一端を見た気がしたのです。

 それが、「何かをしたい」という人たちは充実を求めている、ということ。
 夢がかなうというのは最高の形で充実することです。

 しかし夢をかなえるのが最高なだけで、もう少しランクが落ちますが、充実感を得ることは可能です。

 たとえば、やったことのないことやってみたり、行ったことのないようなところにいってみたり、話したことのない人に話してみたり。
 どこかボランティア活動だの、青年団の活動だのに参加してみるのもよいと思います。
 とにかく、今までの自分の世界にないものに目を向け、手を触れてみることが大事です。

 そうして、新しいことに挑戦したことで、刺激を得て有意義に時間を過ごせたことに充実を感じる。そう、「有意義な時間を過ごすこと」が充実感を得る最も身近な方法です。

 たとえば午後5時に起きて、出社までの3時間、資格の勉強をするとか。
 朝起きるのもつらいし、朝っぱらから勉強するのも辛いですが、それでも資格という自分が成長した分かりやすい証明になります。
 僕が東海道歩きとかやってるのも充実感を求めてだったりするのです。

 プチ努力というのでしょうか、有意義であればどんなに軽いものでも(たとえば一日15分の勉強とかでも)OKです。

 長くなりましたが結論。

・「何かをしたい」と思っている人たちは充実感を求めている。
・充実感を満たすためには「有意義な時間を過ごすこと」。
・有意義であれば、どんな些細なことでも構わないこと。

 要するに「したい何か」をいきなり実行しようとするんじゃなくて、出来ることから何かして行くとよいということです。

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想 詩拓 [MAIL] [HOMEPAGE]
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