以前『鉄子の旅』という漫画を読んだ。 その中に紹介されていたのが、紀州鉄道と、有田鉄道である。そのうち有田鉄道はすでに廃線となってしまったのだが、僕は一度そこに行ってみたかった。
鉄道に乗りたいわけではない。 ただ、廃止されてしまった鉄道の跡を見てみたかったのである。
『鉄子の旅』で紹介されていた時点(2002年)で、紀州鉄道の終点である西御坊駅からかつての終点(日高川駅)まで、今は廃線となっている鉄道がそのまま残っている、という情報があった。しかも、プラットホームまで残っているという。
これは見てみたい。 僕は素直にそう思った。が、なかなか実行に移せずにいたのだが、GWで和歌山に程近い実家に戻ってきていることもあり、一度行ってみよう、と決心したのである。
有田鉄道は、全線廃止。しかも廃線から数年経った今、レールまで取り除かれ、工事の真っ最中ということであるが、終点である金屋口駅までバスが通っているということなので、最低でも金屋口駅は見られるだろう、ということでこちらも候補に入れておいた。
【紀州鉄道】
まずは「御坊」に行き、紀州鉄道で「西御坊」へ。 『鉄子の旅』では横見氏が、クーラーの付いていない古い車両に乗れなかったことを悔いている場面があるが、僕が乗ったのはそのクーラーの付いていない古い車両(wikipediaによると、キハ600形というらしい)である。あとで調べて分かったことだが、その古い方の車両は、土日祝日の休日を中心に走っているのだという。 ふれこみ通り、「電車」ではなくディーゼル車で(「気動車」というらしい)、クーラーは入っておらず、ドアは自動だが閉まるのが遅いため、ドアが閉まりきらないうちに発車する、という希有な風景を見ることが出来た。
紀州鉄道は御坊市の町並みを突っ切るような形で敷設されており、両側はすぐ民家である。そして10数分後、「西御坊」に到着。バス停がちょっと豪華になっただけのような、駅舎は特に味わうこともなく、廃線を見に行く。 確かに、民家を突っ切るようにして廃線が走っているが、線路の入り口の所には「立ち入禁止」の文字が。
ちょっと絶望感を感じるが、この線路をたどる道を行けば終着駅のプラットホーム跡には出られるだろうと思い、探索開始。 しかし、途中で地元の人と見られる男性が、「立入禁止」の看板を気にすることもなく線路に入っていくのを目撃してしまった。 よく見てみると、バリケードの片側は異様に広く空いており、あろう事か線路の脇では物干しで洗濯ものが風に揺られているのが見られる。ちょっと私有化しすぎではないだろうか。
コレダケ堂々ト使ワレテルンダモノ。イイヨネ。旅人ノ一人ガソレニ習ッテモ。
……ということで、途中から線路の上を歩くことに。
歩くこと20分ほど。ついに到着した終着点。確かに駅の跡がある。線路もたどってきた。ついでに使われなくなった遮断機もみつけた。 だが、何か感慨が足らない。 駅の跡といっても、そこらの空き地とそう変わらないレベルだからだろうか。
30秒で堪能したあと、もと来た道を引き返し、「西御坊」へ。丁度電車が来ているのが見えたので急いで乗り込もうとするが…… しゃ、車掌さんがいない!? エンジンは掛けっぱなし。ちなみに運転席は鍵が掛かっていないどころか、そもそも隔離すらされていない。 誰かが勝手に動かしたらどうするんだ。
結局、駅舎の休憩室みたいなところで休んでいたのだろうか、発車時刻寸前になって、乗り込んできた。
【旧有田鉄道】
次に、「御坊」から「藤並」に戻って、旧有田鉄道へ。 「藤並」は、有田鉄道のホームが無くなっている事は知っていたが、JRの方の駅もリニューアルされており、近代的な駅舎に生まれ変わっている。売店にしようとして、入ってくれる店がなかったのか、妙に広い部屋が一つ余っていたりする。 実は「御坊」に行く前にここで降りているのだが、バスの時間が一時間に一本以下で、一時間以上待たなければならなかったので、先に紀州鉄道のほうに行くことにしていた。 だが、結局30分以上バスを待たなければならなかった。
バスに乗れば自動的に「金屋口」に到着。バス停の奥の方に、駅舎があったので、そちらの方に向かおうとすると、再び立ちはだかる「立入禁止」。ここまで来て、この駅舎を見られないのは無念なので、駅舎に隣接されている「有田鉄道株式会社」が開いている観光窓口にお願いしてみた。 が、「今は有田川町が所有しているので、許可できる権限がない」という返答。確認してから忍び込めば確信犯になるので、ここは引き上げることに。
しかし。しかしだ。 僕は何のために来たのか? それは配線となり役目を終えた線路と駅を見るためではなかったのだろうか。ここであきらめれば成果は紀州鉄道の空き地同然の「日高川」だけになってしまう。 そこで僕は考えた。「金屋口」以外の駅に行ってみよう、と。 レールは全部撤去されたらしいが、駅舎は撤去するにもお金がかかるため、そのまま残っている駅もあるはず。線路をたどれば、見えてくるに違いない。
そして探索開始。
まずは線路跡に入れるところを探すことから始まった。「金屋口」からは少しレールが残っているので、その方向に沿った道をひたすらゆく。少しでも線路跡に近づける道があれば、近づいて様子を見る。 そして僕は、とある駐車場から線路跡に入れる所を発見した。あとはこの線路をたどって歩くだけである。 調べた限りでは旧有田鉄道は全長5キロメートル強。「藤並」からバスでも15分と掛かっていない。歩ききれない距離ではない。
そして歩くこと30分。なかなか見つからず、ずっと線路跡を歩いていけると思いきや工事中で入れないところがあり、結局普通の道を通ったり、と道路整備と一緒に駅舎も壊されてしまったのか、とあきらめ掛けた時。 その駅は姿を現した。
旧有田鉄道・「御霊」駅が。
少し風化が始まっていたり、ガラスが割られたりして、ぼろぼろだが駅舎は現役の姿をとどめたまま。小さなプラットホームでは、駅舎に直接書かれた駅名がうっすらと残っている。
これが見たかったんだ。 もう誰も来ない駅。それでも健気に電車を待ち続けるようなその姿。
哀愁とは違う、寂寥感とも違う。敢えて言うなら懐古の情、だろうか。 現役時代は一度も有田鉄道には乗らなかったが、この「御霊」は有田鉄道が走っていた頃と、今とを結ぶ存在で、ここに立てば当時に戻れるような、そんな気持ちを抱かせる。
ぎゅうぎゅう詰めの町中で、ぽつりと残された「御霊」駅。 これから有田鉄道跡がどう再開発されるかは分からないが、これからも残しておいて欲しいものである。
結局、「御霊」以外に旧有田鉄道の駅跡は見つからなかった。だが、あの駅が見つけられただけでも、今日の目的からすれば満足のいくものだった。
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