言の葉孝

2007年05月20日(日) 戦わなければ楽は出来ない


 ここ2ヵ月、通勤時間1時間40分の電車の旅を続けているわけだが、やはり日本の通勤ラッシュの凄まじさは噂通りのものである。語らずとも経験をしている人はたくさんいるだろう。

 通勤時間の電車は座ると言うことは、普通電車か始発駅でなければ享受できない贅沢だ。僕の友人の一人はある駅で必ずおりる人を守備良く見つけ、彼の前に立っておくという手法で、その贅沢を実現させているらしいが、熊取や日根野、もしくは和泉府中といった駅でおりる物好きはそうそういるものではなく、何故か座っている人に限って大抵、終点の天王寺まで降りなかったりする。
 普通電車でずっと座っていくのも手法としてはアリだ。実際、高校の時は終点の二つ前の南田辺まで各駅停車でことこと揺られていたものだ。
 しかしさすがに2時間30分もかかるとなると、ずっと普通電車に乗っていくことは避けたい。

 ということで、僕は今では行きの電車で座ることは諦めている。
 ただし、立つにしてもどこに立っても同じというわけではない。例えば、入口と反対側の入り口付近は禁物だ。人の出入りが多く、混雑時はぎゅうぎゅう詰めになる。座席の前、つり革が並んでいる当たりは、座席に座っている人の頭上である目の前が開けているし、まだマシなほうだが、四方に支えがあるわけではないぶん、後ろから体重を掛けられて、辛い体勢を余儀無くされることもある。
 自分的に通勤ラッシュの電車で一番の立ち位置だと思っているのは、入口脇である。出る時もあまり苦労はいらないし、支えにも苦労しない。入口付近でも案外“押しくら饅頭”の被害がない場所だったりするのである。

 しかし座るにしても立つにしても、一等地を確保するには少々根性がいる。いつも僕は和泉鳥取から熊取に普通電車に乗り、そこで快速に乗り換えるのだが、和泉鳥取から熊取までは座ろうと思えば座れる。だが、そこで座っていては熊取から先は楽が出来ない。
 熊取に着く頃には、電車の扉の前には行列ができており、扉が開くと同時に電車の良い場所を取ろうと争奪戦が始まるのである。
 そうやっていい場所を取れなかったツケは天王寺からの環状線の乗り換えに響く。天王寺に着いた直後、なるべく早く電車から出ないと思うように勧めず、環状線での一等地が取れないのである。

 何かを求めて行列に並ぶ。人を押し退けるように走る。

 そういった何かに取り付かれたような光景を毎日見ている。そういう光景は、僕の嫌いなものだが、結局は自分もその一部になってしまっているのである。
 人の混み合うところでは人は自由な速度で歩けない。二本足でマトモに立たせてもらうこともできないこともある。

 こうして第三者として考えると「狂っている」としか表記できない状態だ。
 だが、それは毎日のように繰り返される当たり前の光景なのである。

 都会に出ると「社会」というものの存在の恐ろしさを感じざるを得ない。





web拍手レス(ラノベの読書のお陰で、そういったことは気にせずにストレスも感じずに済んでますけどね。つーか、大阪はまだ温い方で、東京はもっとスゴいのだとか)

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