【振り出しに戻る】
せっかく一生懸命考えた某スーパーの企画だったが、既にスタンプラリー的企画が丁度実施されていて(買い物したらスタンプがもらえるというもの)、リアルRPGはボツ、使えると期待していた広場は公団所有だったのが公募で売りに出されている途中らしく、使用できないということでフットサル企画も微妙となった。
先方の希望としては、スーパーへの集客はあんまり考えず、にぎやかし程度でいいので、学生たちが気軽に集まって遊べる場を作ってほしいということだった。 簡単そうで難しい注文である。
書いてみたらほとんど書くことのない一日だったらしい。
【重いもの】
タカスギ君は先週末にボランティアサークルの合宿に参加してきた。その結果、いろいろ得られたものはあるらしく、帰ってきてからは俺やワキニシ君といったモモサポの主要メンバーにモモサポの目的意識の大事さなどを説いて回っている。
ワキニシ君は、「そんな重いことばかりを言っていては誰も付いてこれなくなる」と反論していた。 彼が基本的に掲げている「みんなが楽しくやればいい」という意見には、最近「楽しい」ということに懐疑的な俺はあまり賛成できないのだが、彼のこの意見にはひとつ考えなければならないことがあると考える。
確かに、全員がタカスギ君ほどモモサポの先は見据えることはできない。タカスギ君は中心のメンバーだけ分かっていればよいというが、それでも全ての活動をその目的につなげなければならないと考えると、やはり動きがとりづらくなることは否めない。 また、もし中心以外のメンバーから企画が出たとして、「目的に合わないから」と切り捨てることもできないだろう。 しかし、サークルとして闇雲に活動しても仕方がない、目指すべき目的は持つべきだとも思う。
その辺の結論はまだ出ていないのであるが、ただひとつ言えることは、「重いことも抱えることも大切だ」ということだ。 「自分たちには荷が重い」「やることが大きすぎる」、そういって自分たちでもできることを、自分たちがすごしやすい雰囲気で活動するのはいいことだが、それはぬるま湯に漬かっているような考え方ではないだろうか。 重いとは思っていても、敢えて挑戦する。辛いと思っても踏ん張ってみる。それでたとえ失敗しても、前よりは重いものを背負うことができるようになっているはずだ。
いかに重いものに耐えられるか、それは「人としての器」と呼ばれ、重いものを持てるようになる、これが「成長」と呼ばれているのではないかと俺は思う。 大きくなることを選択するか、現状維持を選択するか、タカスギ君とワキニシ君の論争の根本は、この選択なのではないかと感じた。
web拍手レス(明日は例の電気店のバイトだ。メーカー製品が売れるかどうか、ひとつ挑戦してきます)
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