言の葉孝

2005年04月03日(日) ヨハネ・パウロ二世が死去した日

 というわけで、危篤のニュースが入って3日と持たずにローマ教皇が亡くなられたそうです。ウィキペディアで調べてみたところ、在位は1973年からで僕が生まれる前からみたいですね。
 この人が教皇になる過程はなかなか興味深いですよ。前教皇ヨハネ・パウロ一世が選出された時、コンクラーヴェ(教皇選挙会)に参加しており、本人はもう二度と参加出来ないと思っていたらしいのですが、ヨハネ・パウロ一世の教皇就任後わずか33日後に急逝してしまったため、もう一度コンクラーヴェが開かれ、今度選ばれたのがカロル・ユゼフ・ヴォイティワ、つまり今までの教皇ヨハネ・パウロ二世だったということですね。ちなみに、264代目にして初のポーランド人教皇であったそうです。
 ニュース等でも「空飛ぶ教皇」と呼ばれる通り、ヨハネ・パウロ二世は世界中を飛び回って活動し、異教派間の関係をよくする事に尽力していたらしく、僕からみると結構好感の持てる人ですね。

 わずか33日で急逝したヨハネ・パウロ一世の名前を継いでいるだけあって、彼の遺志を組んだ行動が多かったわけですが、このヨハネ・パウロ一世に付いても少し調べてみました。
 二世が「空飛ぶ教皇」と呼ばれていたように、一世にも二つ名がありました。それが「微笑みの教皇」。飾らない態度と率直な姿勢が人にそう呼ばせたのですが、この人が短い在位期間の中でした事をみると納得がいきます。
 まず、一世は教皇として始めてヨハネとパウロの二つの名前を複合させた名前を使います。そして、教皇演説の際の一人称を一人称複数の「われわれ」から一人称単数の「わたし」に置き換えました。これの意味はよく分からないのですが、「率直な姿勢」とはこの辺に現れているのだと思います。
 更に、これは周りからの圧力によって成らなかったのですが、豪奢な教皇冠を被る事を拒否しました。つまり「飾らない態度」です。ヨハネ・パウロ一世は聖職者があまり贅沢な格好、もしくは行動をするべきではないという考えをもっており、宗教的な意味もなくお金の掛かった事柄に関して積極的に廃止させるように動いたようです。実際跡をついだ二世はそれらの事柄の幾つかを実際に廃止しています。
 つまり、この教皇は非常に革新的なんですね。正しいと思った事は徹底して守り、間違っていると思った事は徹底的に守る、そういう態度が率直だといわれる所以なのでしょう。また、ヨハネ・パウロ一世は33日目の朝、突然自室で遺体となっているのを発見されている状況から、他殺のセンでも見られていたそうです。この積極的な性格も、「出る杭は打たれる」という例に引っ掛かったと思うに十分なものがありますからね。
 あ、ちなみにですね。僅か33日で在位期間を終わらせてしまったヨハネ・パウロ一世でありますが、これは歴代一位というわけではありません。最短記録はウルバヌス七世(在位1590年)の13日間ということです。

 さらにこれから行われるであろうコンクラーヴェについてもちょっとだけ調べてみました。コンクラーヴェは基本的に枢機卿のみによって組織される枢機卿会がヴァチカンはシスティーナ礼拝堂の鍵を掛けた部屋にこもって行われるそうです。
 えらく閉鎖的に聞こえますが、これは大事な教皇選挙を外部から干渉されたくないから、ということです。しかしあまり厳重ではないでしょうな。
 選挙システムの説明をしますと、選挙権があるのは枢機卿以上ですが、選ばれる側、つまり被選挙権は司教以上(80歳以下)であれば誰でも選ばれる可能性はあるそうです。しかし慣例的にコンクラーヴェに参加する枢機卿の中で誰かが選ばれるのが通例みたいですね。
 選ぶ方法は極めてシンプルで、枢機卿達で投票し、その中から3分の2以上票を集めた人物が次の教皇です。もし、一度で決まらなければ3分の2以上集まる人物がでるまで何度でもやり直します。
 この際、少し古風な慣習がありまして、外部は選挙の結果を一切知らないわけですが、投票が一回終わるごとに中にいる枢機卿達はある事をして「選挙が終わったか終わらなかったか」を外界に伝えます。その方法とは煙です。つまり暖炉に乾いた藁をくべて白い煙を出すと「教皇が決まった。選挙は終わりだ」という合図。湿った藁で黒い煙を出す場合「今回の投票では教皇が決まらなかった。選挙はまだ続く」という合図、というわけです。
 あと、教皇の在位は基本的に終身で教皇の死か何らかの理由で退位するまで続きます。そしてコンクラーヴェが行われるのは前教皇の退位の直後である為、当然コンクラーヴェが終わり次の教皇が決まるまでは教皇の椅子は空位です。これを「使徒座空位」と呼びますが、この状態の時、教皇職を代理するのは枢機卿達です。枢機卿、特にヴァチカンの国務に関わっていた人達は使徒座空位に伴い本来の役職を解任され、代わりに国務長官だった枢機卿を長とする使徒座空位期間事務局という組織が設置され、国が運営されるみたいですね。

 ちなみに選挙に国の運営、と使徒座空位期間の間、大忙しとなる枢機卿ですが、実は日本人にも枢機卿がいます。歴代で五人いますがその中の2人はまだ在位中です。白柳誠一氏と濱尾文郎氏ですが、この二人も選挙権はもっていますから、今頃はコンクラーヴェに向けて準備中なのでしょうね。


 はあ、随分長々と書いてしまいました。
 上記の事は全部ウィキペディアからの出典なのですが、面白いですなー、ウィキペディア。適度に主観が入っていたりするし、関連の用語にはリンクが入っているので、分からなければすぐに調べ上げることができるし。
 これからも何か事件があったらちょくちょくウィキペディアで調べてメモっていこうと思います。

 って、こんなウンチク垂れてる場合じゃねえっ!!
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