なか杉こうの日記
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2005年12月15日(木) 住宅のクリスマス・イルミネーションについて。

最近はクリスマスが近づくと町の公園や駅のロータリーの木々、それに家々では小さなライトで飾り付けをするのがはやっている。ほんとうにはやっているようだ。駅の背だけは高いがあまりぱっとしない木に、夏は七夕の紙の飾り、今は鉄片からだらだらとランプをたらして、なんというのだろう、あまりにみっともなくて木が可哀相だ。痛まないのだろうか。

日本の家々で飾るライトのデコレーション。アメリカの住宅のライトは、もっとすごい。家一軒が広く、それぞれが離れているので、真っ暗だ。その中にポーチに飾りつけた様様な形のライトが浮かび上がる。トナカイや、そりや。

わたしがアメリカでそのイルミネーションを見て驚いた、そのはしりが今日本で行われているのだろうか。しかしアメリカと日本との決定的な差は、宗教心の違いである、と思う。

アメリカの家々のイルミネーションは、見ていると神を称えている感じがいかにも、した。皆が皆キリスト教で信仰心が厚いわけではなかろうが、全体的な共通の理解として、あのようにライトを飾ることで神を称える、お祝いの時期である。この世が神の国でありますよう、祝おう、という、こう、心が盛り上がるような感じがする。それが、ライトアップである。

日本には、それが無い。だからあんなふうにライトアップして、ナニを称えようというのかいな、と思う。ただデコレーションして、なにが楽しいのだろう、と思う。というか、あのような派手なイルミネーションが、ロマンチックだからという理由はなんか筋違いのような気がする。

あの明かりは、神を称えているのですよ、とわたしは言いたいのだが、そんなこと時代遅れだろうか。ただ派手に家をライトで飾っても、なんか子どものお遊びのような気がする。

ちいさなツリーにいろんな色のランプをちかちか点して、それが小さな窓に映って・・・とそのくらいがわたしの感覚ではぴったりする。アメリカのど派手なクリスマスの祝い方、あれは究極は神を称えるものなのである。まあ、日本ならば正月を祝うのと同じなのだろう。

わたしはクリスチャンではまったくないが、そんな気がする。


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