極彩色、無色
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母と連絡が取れないまま、1日が終わった。
今まで経験したことがない程、長い1日。
待っていれば、母の車の音が聞こえて、すぐにでも玄関が開く気がして、
リビングから離れられなかった。
12時を過ぎた頃、ようやく自室へ戻り、布団に入る。それでも、寝付くまでに1時間。
父は、きっと眠っていなかっただろう。
翌日、私は友達と遊ぶ約束のため、出掛ける。
こんな時に遊ぶってなんだ!!と思ったけど、まさか母が行方不明だなどと言えなかった。
この時もまだ、普通に生活していれば、普通に過ごしていれば、母は帰ってくると信じていた。
母が行方不明など、あり得ない。
母が失踪したなど、あり得ない。
自分のすぐ身近なところで、こんなにも非現実的なことが起こるはずがない。起こっていいはずがない。そう、思っていた。
昼頃、友達と会い、買い物や食事をした。その間も、何度も携帯を見ては、兄や父からの着信を待った。
私は傍から見てすぐおかしいと思われる程ぼんやりしていたらしい。何度も『具合悪い?』『大丈夫?』と聞かれた。その度に空元気で笑った。それ以外に、何が出来ただろう。
何事もないようにしれいれば、きっと家に帰る頃には母が戻っているに決まってる。そう、信じ込んだ。
兄から電話があったのは、午後4時頃。
悪い知らせだったら……そう思うと気持ち悪くなって吐きそうだった。
『俺だけど、今話せるか?』
いかにも深刻なことを告げる前触れのような口調。私は友達から離れて、待った。 心臓がドクドク言って、持久走直後のよう。脈打つ度に気持ち悪さが増した。
『今、父さんと一緒に警察に捜索願い出しに来てるんだけど、車の鍵つけたキーホルダーはどんなのかって聞かれたんだ。で、そのキーホルダー見たら、母さんのだった。そのキーホルダー持ってたのは、中年女性だったらしいんだけど、まだそれが母さんかどうかわからないから、今から死体の確認に行くんだけど、お前も来るか?』
意味がわからなかった。兄の言ってることが文法とか、そんなの関係なく、私の頭の中で文章にならなかった。
キーホルダー
中年女性
死体
確認
死体
死体
死体
死
死
死
頭の中でリフレインがかかったように、何度も死がこだまする。
『え、あ。えっと……』
意味ある言葉なんて思いつかなかった。
『タクシーに乗って、■■警察署まで行って。入り口にいるから』
言われたことだけ、しっかり覚えた。
友達とは、急用ができたと言って、そこで別れた。
タクシーに乗ってすぐに、涙がこぼれた。
後から、後から、どうしようもなく泣けてきた。
タクシーの運転手さんは突然泣き出した女に驚いたことだろう。ちらちらとルームミラーを覗いていた。
それでも、涙は止まらなかった。
嘘だ。
違う。
母じゃない。
そう強く思っても、涙は止まらなかった。
もうその時には、覚悟していたのかもしれない。
タクシーを降りる時、涙でコンタクトが外れた。泣き過ぎでコンタクトが外れることがあると、そも時初めて知った。
警察署の入り口には、兄がいた。泣いている私を見ても、何も言わなかった。
心細くて、なるべく兄の近くを歩いた。兄は俯いていて、表情はわからなかった。
白々しい蛍光灯が、薄汚れた廊下を照らしていて、不気味だった。
二人とも無言で、角を曲がると父がいた。
父は、見たこともない程顔をくしゃくしゃにして、泣いていた。
初めて見た、父の涙。
その時、母は死んだのだと、知った。
父の姿を見て、ますます涙が溢れた。
声を上げて泣く父に、どんな言葉も掛けられなかった。
刑事さんが、神妙そうな顔で『こちらへ』と案内をする。
その後をついて、薄暗い方へ歩いていくと白い布を掛けられた棺と、線香立てがあった。線香の臭いが気持ち悪かった。
『確認をお願いします』と言われて、父も兄もその棺の前へ立ったが、私は、近くにあったソファに座り込んで、待った。
怖かった。
つい一昨日まで、生きて、動いて、笑っていた母が、
今は、冷たく、動かない、死んだものになった。
ガタガタと震え出しそうな足を押さえつけて、ぎゅっと手を握って、ひたすら待った。棺を見るのも、怖くて、ただ下を向いていた。
父が、母の名前を呼んでは、泣いていた。
『お前も線香上げて来い』
兄に言われて、棺の前に立つ。
『顔、見るか?』
反射的に、首を横に振った。
今、ソレを見てしまったら、母の印象は、ソレになってしまいそうだった。
母を思い出す度に、その棺の中の顔を思い出してしまいそうに思った。
線香の臭いが、鼻につく。
父の泣き声が、耳に痛い。
キレイな顔だったのに。
いつも、いつも、丁寧に化粧をして。
年齢の割にシワも少なく、素肌もキレイだと自慢だったのに。
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