うさぎのつぶやき

*日記内の全ての文章、画像等については著作権放棄しておりません。
 無断転載は固くお断りいたします。


Diary indexpastwill


2006年02月04日(土) ◆節分と記念日

「節分」
昨日は節分、豆まきはされましたか?
海苔業界の陰謀かも・・・と言われている
「巻き寿司の丸かぶり」は食されましたか?


我が家では2〜3日前に体調を壊した娘もすっかり
元気になったので、先日、3日には巻き寿司を作るからね
と言うと「その日は晩ご飯いらへんねん」という返事。
「だったら2日に作ろうか?食べれる?」と
聞いたら「うん♪」と。
と言うことで一日早く作りました。

でも、海苔巻きよりも手巻き寿司のほうが喜ぶだろうと思い
用意することに。
<海老、いくら、カニ、イカ、卵、ほうれん草、きゅうり>
これらを段取りして、あとは茶碗蒸し。

元気になって食欲が出てくればもう安心。

写真を撮るのをすっかり忘れていました。
今回は写真なしですm(__)m。(2/3書く)


   ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「記念日」
きょう2/4は結婚記念日。
もう随分昔のことなので忘れかけているけれど、
ちょっとだけ思い出してみようかしら。

    ***************

その日私はとても不機嫌だった。
気に入らないことがあり式の間中何もかもに腹を立てていた。

気に入らないこと、それは・・・。
式が終わったら少しだけ式場で休憩したあと新幹線に乗って蔵王へ
スキーに行く予定だった。
なのに、なのに・・・。
一旦花嫁姿のまま新しく住むことになる義父母同居の自宅に帰る
ことになったからだ。
私には分かっていた。
言い出したのは義父母。
理由は近所の人たちに見せたいから。

“えぇかっこしぃ”の義父母ならではの発想だった。
初々しいはずの私はそのイメージを壊す事ができないまま、まるで
見せ物のように好奇の目にさらされる事を承知させられ、夫やその
両親の言いなりにならざるを得ない自分、反発できない自分に、
そして何もかもに腹立ちを感じていたのだった。

日本髪のかつらが重くて腹を立て、来賓の長いスピーチに苛立ち、
決まりごとのように歌わされる「瀬戸の花嫁」、そしてそれを歌って
いる間中、苛立ちを隠す為に作り笑顔でいなければならない状況、
盛り上がれば盛り上がるほどに下がって行く私のテンション。

おまけに式が始まる前に
会場の衣装係の人に“婚約指輪をはずしてください”といわれ母に
預けたのだが、母は式が終わったら父と一緒に宮崎に帰るので、
会うことができないといけないと思いその後仲人さんに渡したそうで、
その指輪が姿を消してしまったのだ。

仲人さんは預かっていないと言うし母は預けたと言う。
21歳の私にはおよそ不釣合いな指輪だっただけにショックを隠し切
れず、又誰を責める訳にも行かず、そのため朝からの苛立ちは限界
に達していたのだった。

極めつけはそんな私を感じて不機嫌になっていく夫。
“あ〜〜〜この先どうなるんだろう、こんなんで結婚してうまくいくの
だろうか?スタートラインで食い違うなんて・・・。”
と式場から自宅へ向かう車の中で思ったものだった。

私の記憶はいったんそこで途切れてしまっている。

どんな様子で新しい家やご近所は私を迎えたのか、衣装の着替えは
どうだったのか、全く記憶から消し去られてしまっている。

次に思い出されるシーンは新大阪駅のホームだ。
大勢の友人達に囲まれまるで壮行会みたいな雰囲気で見送られる
ところから始まっている。

当時は現在のように二次会をすることもなくそのため殆どの友人が
見送りに来ていたように覚えている。
朝から続いていた苛立ちはその時も変わらず、もしかしたらそれ以上
にささくれ立っていた。指輪がなくなったことが火をつけてしまっていた
のだ。友人達は何故私が泣いているのか恐らく分かっていなかった
だろう。感激のあまりの涙くらいにしか感じていなかったはず。

やがて発車のベル、窓の外ではお定まりの“バンザ〜イ”が叫ばれ、
色々な事からようやく開放された安堵感と共に胸のしこりが一つに
集中し始めたのは言うまでも無い。

走り出した電車のシートにうずくまって仏頂面でいる私を気遣うことも
無く同じように不機嫌にしている夫。
二人無言のまま一時間ほどたった時、車内アナウンスで突然に私の
名前が呼ばれた。
車掌室まで行くと
「お電話が入っております」との事。母からだった。
「みどりちゃん!指輪あったよ!仲人さんが風呂敷に包んでいたのを
忘れていたんだって。みどりちゃんが心配しているだろうから、すぐに
知らせたくて電話した。安心しなさい。気をつけていておいで〜」
優しい優しい母の声だった。

私の憂鬱を心配して知らせてきてくれた母の優しさに気持ちが高ぶって
しまい
「うんうん!ありがとう」しかいえなかった私だった。

座席に戻ると夫にそのことを報告して、ほっと胸をなでおろしたその辺り
から、一気に睡魔が押し寄せてきた。
気が付くと窓の外は暗くなっている。車内はザワザワとし始めて東京が
近いことを知らせていた。

東京駅に着いたときには私の憂鬱はどこかに飛んで行ったかのように
すっきりとしていた。
蔵王行きの電車の時間までは4時間ほどあったので銀座に出てブラブラ
したり、食事もどこかでしたのだろうが、それは全く記憶に無い。
ただ上野の駅前でアイスクリームを食べたことだけはしっかり覚えている
のだが・・・。

時間つぶしをしてようやく夜行の電車に乗ったが、緊張と苛立ちと気疲れ
で疲労困憊の私たちは、グリーン車のシートを倒すと死んだように眠りに
入った。

かくて記念すべきドタバタの一日は幕を閉じたのだった。



みどりのうさぎ |HomePage

My追加