ヒロの夢日記

2008年06月25日(水) アメリカ戦!

フルセットで負けちゃいました〜。
でも格上のチームによく戦ったと思います。
第二セット、木村沙織の二連続サ−ビスエース。
キャーキャー騒いじゃいました。
あの斜めジャンプフローターは北京でも活躍することでしょう。

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なんだか性教育番組みたいな感のある「篤姫」です。

「ママ〜、お渡りってなぁに?」
「パパ〜、お世継ぎってなぁに?」
「ねえねえ、なんで一緒に寝んねしないとお世継ぎが出来ないの?」

子供と見ると面倒なことになる番組ワースト1ですな。

おいらの住む佐倉市の地元ヒーローの堀田正睦がちょこっと出てきましたが、今佐倉市の国立歴史博物館では彼の特集展示をしております。
テレビでもちょこっと佐倉城址が映りました。お墓のある甚大寺へはお花見に行ったことがあります。(梅の花)歴博へ行かなくても佐倉お囃子館の隣の資料館で無料で展示物に触れることが出来ます。そらぁ堀田様、堀田様です。

[以下抜粋]

日米和親条約により、日本初の総領事として赴任したハリスは、当初から通商条約の締結を計画していたが、日本側は消極的態度に終始した。しかし、ハリスの強硬な主張により、交渉担当者の間で通商条約やむを得ずという雰囲気が醸成されると、老中堀田正睦は孝明天皇の勅許を獲得して世論を納得させた上で通商条約を締結することを企図する。

堀田は自ら京都へ向かい、条約勅許に尽力したが、武家伝奏への取次ぎの際、中山忠能(なかやま ただやす)・岩倉具視ら中・下級公家88人が抗議の座り込みを行う(いわゆる「廷臣八十八卿列参事件」)など、攘夷派の少壮公家が抵抗した。また天皇自身、和親条約による薪水給与までは外夷に対する撫恤という観点から「華夷の序」を崩すものではないとの考えであったが、対等な立場での異国との通商条約はこの秩序に変化をもたらすものであり「祖廟に申し訳ない」と頑なな態度で拒否したため、結局勅許獲得は失敗に終わり、それが原因で堀田正睦は辞職に追い込まれる。

ハリスはここに至って交渉を急ぎ、アロー号事件で清に出兵したイギリスやフランスが日本に侵略する可能性を指摘して、それを防ぐには、あらかじめ日本と友好的なアメリカとアヘンの輸入を禁止する条項を含む通商条約を結ぶほかないと説得した。新たに大老に就任した井伊直弼はこれを脅威に感じ、天皇の勅許がないままに独断で条約締結に踏み切った。
  ↑
「長いよ」


これを読むとなんだか地元で持ち上げられているほど功績を残せたとは思えないんだけど、堀田様は近代陸軍の整備に尽力を尽くしたことでも知られているそうです。
ちなみに本名は正篤(まさひろ)←おいらと同じ
だったのですが、篤姫に遠慮して正睦に改名したんだそうです。

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あ〜〜〜赤P−MANさんの出演されている「リンカーン」見逃しちゃった!!!
おいらのバカバカバカバカぁ〜〜〜 。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。











              * 回らない寿司が食いたい


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